SSブログ

「エネルギー・デモクラシー」の挑戦―第59回の学習交流会資料-壱 [新潟女性の会]

2019令和1年11月10日に女性の会の第59回学習交流会があった。

エネデモShiminseiji-.jpg配られた資料から佐々木寛(ささき・ひろし)氏のものを挙げる。




時論「エネルギー・デモクラシー」の挑戦――新潟県の原発検証委員会について

佐々木寛(ささき・ひろし)
新潟国際情報大学国際学部教授
専門は、政治学(エネルギー・デモクラシー論)。著書として、「『3・11』後の平和学」(編著)、「地方自治体の安全保障」(編著)など多数。「新潟県原子力災害時の避難方法に関する検証委員会」副委員長。環境エネルギー政策研究所(ISEP)理事。


「エネルギー・デモクラシー」実験場としての新潟

原子力問題が、単に科学技術の発展やエネルギー供給の問題にとどまらず、その管理や運用をめぐって、社会全般にまたがる、すぐれて「政治的」な問題でもあることは言をまたない。原子力という人類史上最大の人為的エネルギーが社会に及ぼす影響の大きさを考えれば、それはごく自然なことである。そして、ロベルト・ユンクの「原子力帝国」論やウルリッヒ・ベックの「リスク社会」論に代表されるように、原子力発電から核兵器に至るまで、原子力技術がもたらす秘密主義や専門家支配が、私たちの社会に一種の非民主主義的な状況をもたらす危険性についても、すでに広範に指摘されている通りである。


 そこで、原子力発電のような巨大なテクノロジーをいかに民主的に管理・運用できるのか、あるいはその「民主化」の過程で、そのテクノロジーに依存している社会そのものがいかに「民主化」してゆくのかという、きわめて基本的な問題が浮かび上がる。「エネルギー・デモクラシー」の視点は、このような原子力技術と民主主義との関係を包括的に捉えようとする視点である


 私が住む新潟は、世界最大といわれる柏崎刈羽原発を抱え、今この「エネルギー・デモクラシー」のもっとも先鋭的な実験場となっている。昨年の県知事選挙では、柏崎刈羽原発の再稼働の是非が最大の争点であった。勝利した米山隆一現知事は、その公約の中で、「福島原発事故およびその影響と課題に関する3つの検証(事故原因検証、事故の健康と生活への影響の検証、安全な避難方法の検証)がなされない限り原発再稼働の議論は始められない」とした。周知の通り、電力事業者である東京電力と新潟県の間には1983年より「安全協定(柏崎刈羽原子力発電所周辺地域の安全確保に関する協定書)」が締結されており、事実上、県知事の同意なしに原発の再稼働は難しい。県知事選は、原発再稼働をめぐる事実上の県民投票の様相を呈し、また勝利した新知事は、その検証には最低でも3.4年かかるとしているため、この新しい新潟県政の誕生は、東京電力のみならず、日本全体の原子力行政にも大きな影響を与えた。


「熟議」の場としての検証委員会


 しかし、現代における民主主義の機能は、政治的政策決定の是非を一度の投票(多数決)で決めることのみにあるのではない。是か非かという結論よりむしろ、その決定を導き出す「熟議」のプロセスにこそ、民主主義のより重要な機能が存在する。

 米山知事は、2003年からすでに存在している「技術委員会(新潟県原子力発電所の安全管理に関する技術委員会)」(委員15名)に加え、「健康・生活委員会(新潟県原子力発電所事故による健康と生活への影響に関する検証委員会)」(委員9名)、および「避難委員会(新潟県原子力災害時の避難方法に関する検証委員会)」(委員9名)という新たに2つの委員会を立ち上げた。これら新委員会はすでに去る9月に第1回目の会合が開催されたが、さらにこれら3委員会の上に、すべての検証を総括する「検証総括委員会」の設立も予定されている(佐々木さん作成図が下にある、http://www.aesj.net/document/atomos-201712mokuji.pdfでご覧ください)。
 「技術」「生活・健康」「避難」の各検証委員会は、それぞれ前記知事公約の3つの検証に対応しているが、それぞれの議論は互いに連携・共有され、より有機的な検証が可能となっている。


 これまで、福島第一原発事故に関しては、「国会事故調」、「民間事故調」などいくつかの包括的な検証が試みられてきたが、原発立地自治体が自前の予算で設立し、運用するものとしては、この新潟の試みは、これまでになく包括的なものとなっている。また、避難者への新たな生活調査や地域住民による避難訓練、広く市民への意見聴取なども実施し、これらを前提に時間をかけて「徹底的な検証」を行うという意味では、歴史的にもきわめて挑戦的な試みであると言えるだろう。単に専門家が議論することに終始するのではなく、その議論の争点や成果は地域住民に広く還元され、まさに市民が「熟議」するための材料や基盤となる。原発が立地する自治体や地域住民が、いったんは賛成反対の立場や結論を脇において、徹底的に議論を積み重ねる。この新潟検証委員会の歴史的な意義は、まさにその議論のプロセスと、そこで生み出される相互の学びにこそあると言える。またその蓄積された議論は、おそらく国内外のすべての人々、あるいは将来の世代にとっても大きな財産となりうるだろう。残念ながら、地元メディアの一部では、個々の委員会委員の現在の政治的な立場のみに焦点を当てた報道がなされたが、それはこの委員会の試みが内包する普遍的な意義への無理解が原因となっている。


検証の包括性について――「避難委員会」の議論から


 それにしても、「徹底した検証」とは何か。それはおそらく、あらかじめ議論の枠組みを限定しない、あるいは結論ありきの議論をしないということである。福島第一原発の事故とそれがもたらした<現実>をつぶさに再検討し、その.現実.から、そしてまた常にその<現実>に立ち返って議論を行うということである。

 筆者も一委員として参加する「避難委員会」の初会合(9月19日実施)では、その点をはじめ、この検証委員会が目指すべき検証の包括性に関する議論がなされた。まず、原子力災害において「安全な避難」とは何か、という基本問題が存在する。そもそも放射性物質が外部に拡散している状況下で、一定の被ばくを前提にしない避難は本当に可能であるのか。仮にもし被ばくを前提にするとすれば、それはどの程度までが「安全」であるといえるのか。また、「避難」とはいったい何を意味するのか。通常、避難者にとっては、避難先から帰宅するまでが「避難」にあたる。しかし原子力災害では、長期にわたって帰還が困難な地域も発生しうるため、避難計画に帰還までを含めることで、想定しなければならない事態や争点が飛躍的に増えてしまう。検証委員会では、この「避難」のどこまでを対象にして議論を行うのか、それ自体が大きな争点となった。


   また、原発から5㎞圏内の「即時避難区域(PAZ)」や30㎞圏内の「避難準備区域(UPZ)」といった既存の同心円の地域区分が、本当に現実の避難計画に有効であるのかという根源的な問いも浮かび上がる。これもまた福島原発事故等の実際の原子力災害の経験から再検証されなければならないだろう。その場合、国際原子力機関(IAEA)の国際基準や、政府の原子力防災対策指針そのものも、それがもし災害経験の<現実>に照らし合わせて不十分であるならば、それ自体が再検討の対象となるだろう。


   このほかにも、避難者の中の「要配慮者」の具体的定義をめぐる問題、あるいは放射性物質の放出状況を具体的に想定するために必要となる、災害要因の多様な想定、すなわち自然災害のみならずテロやミサイル攻撃などの事態も想定に含むべきかどうかなど、数多くの抜本的争点が存在する。初回の会合では論点の洗い出しが目的であったため、提起されたこれらすべての争点が排除されずに今後の討議課題として位置づけられた。


「リスク社会」を生きるための<知>


   だが、このような包括的かつ徹底的な検証を行うことは、実際は原発の再稼働を遅延させるための単なる時間稼ぎにすぎない、という批判もあるかもしれない。また、民主主義のためと称して、あれこれ議論ばかりして結果的に日本の科学技術の進歩や経済成長を遅らせているだけだ、という批判もありうるかもしれない。たしかに、「技術委員会」や「生活・健康委員会」で提起されたものも含め、前述のような多くの基本争点を十分に議論するためには、現時点で気の遠くなるような時間が必要であるように思える。


   しかし、国内のすべての原発が再稼働する場合はもちろんのこと、たとえすべての原発が停止していたとしても、いずれにせよ私たちは原子力災害のリスクの中で生き続けなければならない。私たちはもはや既存の原発が「ノーリスク」であるという前提には立てなくなった。そしてもしそれが動かしえない<現実>であるならば、私たちは自分たちの子孫の遠い未来をも射程に入れつつ、現実の「リスク社会」の中でどう生きていくのかについて、今一度立ち止まって考えなければならない時期を迎えているのだといえるだろう。


   この問題には、じつは右も左も、保守も革新もない。「リスク社会」は既存の政治的枠組みを超えた、境界横断的な問題を提起している。ここで一政治研究者が出すことのできる当座の結論は、この問題に立ち向かう方法が、単なる個別の「専門知」からはけっして生み出されることはないだろうということである。唯一の「解」は、リスクを共有した共同体の成員が、あらゆる既存の.知.の境界を超え、相互に徹底した対話と熟議を積み重ねる事にしか見いだせない。新潟における検証委員会の試みは、この新しい<知>の創生に向けた挑戦でもある。
(2017年10月12日記)

 

タグ:第59回資料
nice!(0)  コメント(0)