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原発と大津波 警告を葬った人々-岩波新書--吉田 昌郎(よしだ まさお)所長が津波予測を握りつぶした [東電核災害検証、吉田調書]

吉田 昌郎(よしだ まさお)所長;;.jpg原発と大津波 警告を葬った人々
添田 孝史/著 
-- 岩波書店
  岩波新書 新赤版 1515
 -- 2014.11
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 ほか S/539.0/ソエ/
内容紹介
原子力産業で地震学の最新の科学的知見は、なぜ活かされなかったのか。その後のプレートテクトニクス理論導入期において、どのような議論で「補強せず」の方針が採られたのか、綿密な調査によって明らかにする。
吉田 昌郎(よしだ まさお)所長が津波予測を握りつぶした事実が明記されています。
目次
序章 手さぐりの建設
第1章 利益相反―土木学会の退廃
第2章 連携失敗―地震本部と中央防災会議
第3章 不作為―東電動かず
第4章 保安院―規制権限を行使せず
第5章 能力の限界・見逃し・倫理欠如―不作為の脇役たち
終章 責任の在処
著者等紹介
添田孝史[ソエダタカシ]
1964年生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。サイエンスライター。1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。97年から原発と地震についての取材を続ける。2011年に退社、以降フリーランス。
東電福島原発事故の国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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津波想定のつまみ食いby東電①三陸地方の津波歴史 [東電核災害検証、吉田調書]

三陸沿岸には津波来襲回数が多い。1611年(慶長16年)、1616年(元和2年)、1651年(慶安4年)1676年(延宝4年)、1677年(延宝5年)、1687年(貞享4年)、1689年(元禄2年)、1696年(元禄9年)、1716~1735年(享保年間)、1781~1788年(天明年間)、1835年(天保6年)、1856年(安政3年)、1868年(明治元年)、1894年(明治27年)とおびただしい頻度で記録されている。
表  昭和三陸津波   杉戸 克裕=120930_24sinsai1_.jpg
昭和三陸津波   杉戸 克裕=120930_24sinsai1_06.jpg
沖合いは世界有数の海底地震多発地帯で、しかも深海のため、地震によって発生したエネルギーは衰えずそのまま海水に伝達し、太平洋に広がり、大陸棚を伝って海岸にむかう。太平洋に向いて山肌がせまる三陸海岸は、V字形、のこぎり・鋸の歯状に入り込んだ湾の奥に村落が存在する。海底は湾口から奥に入るにしたがって急に浅くなっている。巨大なエネルギーを秘めた海水が、湾口から入り込むと、奥に進むにつれて急激に海水は膨れ上がり、すさまじい大津波となってしまう。
1896年(明治29年)6月15日の午後7時32分30秒、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約150km(北緯39.5度、東経144度)を震源とするマグニチュード8.5という巨大地震発生。名は明治三陸地震(めいじさんりくじしん)>
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図 明治三陸大津波d.jpg
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タグ:津波
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希望・願望が実現するという夢物語を紡いで、2号機事故対応 東京電力の第三者検証委員会の報告書解読 (106) [東電核災害検証、吉田調書]

東京電力の「福島第一原子力発電所事故に係る通報・報告に関する第三者検証委員会」の検証報告書の解読(106)

3号機の建屋爆発後
14日11時01分に3号機建屋が爆発した。2号機のトーラス室(圧力抑制室、S/C)にあるベント大弁の電磁弁励磁用回路が外れて閉になったこと、準備が完了していた注水ラインが消防車及びホースが破損して使用不可能になった事が確認された。13時05分から損傷しているホースの交換など海水注水ラインの再構築が始まった。13時25分には、RPVの原子炉水位低下からRCIC・原子炉隔離時冷却系が止まり、炉注水が無くなったと判断された。その時S/C水温149.3℃,PCV(S/C)圧力0.486MPa、RPV圧力約6.0MPaだった。

なんとか炉注水を再開して、水位を核燃料、炉心の上にして燃料損傷や炉心熔融を防いで、放射能の放出を抑えることが最優先課題となった。しかしRPV圧力容器は、消防車で注水できる炉圧よりも約5.0MPa・50気圧も高かった。

炉から水蒸気を放出してRPV圧力を下げなければならない。BWR沸騰水型原発は、炉からの水蒸気はS/Cに放出・排気・ベントされる。S/Cのプール水中にベントされ、水中で凝縮して温水化し、体積を激減させて減圧する仕組みで小さな安価なPCV格納容器で済む事がBWRの売り。しかし、冷えた海水を入れて水温制御をしてないから、S/Cプール水温149.3℃になっており凝縮は期待できない。その上、水温制御、冷水の注入ラインを構成しようにも、弁の有るトーラス室には149℃のプール水の熱気で入れないから、できない。

PCV(S/C)圧力は0.486MPaで、PCVベントを必要とする圧力0.856MPaには余裕がある。炉からの水蒸気をS/Cに排気・ベントしても大丈夫?だろう。最優先課題の燃料損傷や炉心熔融を防いで、放射能の放出を抑えるための炉注水再開と、PCV高圧力によるPCV過圧破損の恐れの二つを天秤にかけての判断を迫られる。14時43分に消防車による海水注水ライン再構築完了。水位がTAF有効燃料頂部まで低下は、16時半頃と予想されていた。15時頃の最長許容炉心露出時間(無冷却時間)は約35分。だから17時までにTAFよりも上に水位を回復させなければならない。RPV圧力容器の減圧を始めれば、減圧沸騰で水位低下が進む。RPVベント、減圧開始は、TAFよりも上に水位がある間に、早ければ早いほどいい。14時43分に消防車による海水注水ライン再構築完了。さあ、どうする。

東電は「格納容器ベント(以下,ベント)の準備をしてからSRV を開けて原子炉を減圧し,海水注水を行うこととした。」(東電、福島第一原子力発電所及び福島第二原子力発電所における対応状況について(平成23 年12 月版)の53頁)PCVベントの準備が炉心露出に間に合わなくても、炉に海水注水は始めない。こういう方針であった。RCICが動いている間にPCVベントが出来るとの希望・願望実現を前提にした事故対処策で失敗したが、今度はPCVベントの準備が炉心露出前に終えるとの希望・願望実現での事故対処策を採った。

地元の県、市町村等を相手に、相手が理解できない難しい言葉、炉心損傷割合という専門用語や符牒で語り、通報し、訳のわからないことをクチャクチャと喋る戯け・タワケ者、愚か者と変わらない態度であった東電。それだけでなく、希望・願望は脇に置いて、現実をキチンと見ることもできていない。希望・願望が実現するという夢物語を紡いで、事故対応をする愚かさ。

14日、炉心の露出が迫る中で
14日16時頃になって、S/Cベントラインのベント大弁を励磁して開く操作をするが、弁は開かず。SRV逃し安全弁の安全弁機能(バネ式)が炉圧力の上昇に応じて作動し、水蒸気がS/Cに吹き出す音が中央制御室に響いて、原子炉水位の低下を告げていた。水位がTAFまで低下と予想される16時半を前にして、15分に原子力安全委員会委員長の班目春樹氏から所長に電話があり、ベントができないなら原子炉圧力容器のSR弁をすぐに開けろと云われた。それもあり16時28分にPCVベント作業を飛ばして、原子炉をSRVを開けて減圧し、海水炉注水を行うこととした。30分には待ち構えていた消防車を起動し送水を開始。炉注水ラインの最後の弁、逆止弁にPCV側から送水・吐水圧力がRPV側にかかる。RPV圧力容器側からかかっている炉圧が下がり、炉圧<送水・吐水圧力になれば圧力差に応じて弁が開き、炉注水が始まる。逆に炉圧>送水・吐水圧力ならば閉じる。

そうして置いて、16時34分にSRV逃し安全弁の逃し弁機能を手動で開けようとした。125ボルトの直流電源のスイッチを開操作するが、バッテリーが上がってしまったのか、うんともすんとも言わなかった。12ボルトの自動車用バッテリーをかき集め、それらを「10個直列につないで120ボルトのバッテリーにして装着してみたがうまくいかない。10個では電圧が定格より5ボルト足りないからと11個つなぎにすれば良いのではないか、いや、これは電圧でなく電流が足りないから120ボルトのバッテリーをもう1セットつくり、2セットを並列つなぎにしたほうがいいのではないか、と試行錯誤を繰り返したがなかなか開かなかった。」(朝日新聞「吉田調書」)18時になって、ようやく原子炉圧力が低下し減圧を開始した。

16時34分は6.998MPa→18時3分に6.075MPa→19時3分に0.63MPa。19時頃に消防車の送水・吐水圧力より下がった。18時半頃に炉水位がBTF有効燃料底部以下を示している。つまり炉心が全露出している。それ以降、水位計指示値が固定、スケールアウトした。

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消防車から海水が送水されて、水位が上昇してくるはずだがピクリともしない。見に行ったら19時20分には燃料切れでポンプが止まっている消防車を発見した。30~60分前に止まったらしい。だから、炉注水は無かったことになる。水位計では18時半には炉心が全露出しているから、60分余り全露出=無冷却であった。約35分の最長許容炉心露出時間(無冷却時間)を過ぎている。

ようやく炉注水始まる 
給油後の14日19時54分、19時57分に消防車各1台を起動して海水注水を再開した。1時間後の21時頃から炉圧が上がり始める。SRV をもう1 弁追加で開けることとし、21時20分に漸く開弁に成功する。炉圧が下がる。CAMSは14日21時55分から測定を再開し、CAMS測定値はD/Wは約8Sv/h、S/Cは約0.5Sv/hである。〈SOP導入条件判断図〉でのSOP対象領域に入り、この時点でに既に炉心損傷でシビアアクシデンと判断される。

水位は、22時40分頃に燃料域水位計で約-750mmつまりTAF有効燃料頂部の下方約-750mmが最上位である。以降は降下し続ける。つまり炉心は再冠水することなく燃料は1200℃越えの部分があり、熔融へと向かっていると考えられる。14日の23時42分CAMS測定値は、D/Wは22.5Sv/h、S/Cは9.1Sv/h。炉心熔融と判定される。その間も、消防車によって海水炉注水は継続しているから、熔融炉心から水蒸気は発生を続けている。だからジルコニウム-水蒸気反応が進み、水素ガスが大量生成する。

PCV(D/W)圧力は概ね0.75MPa。PCV格納容器の最高使用圧力0.53MPaより高く、限界圧力1.06MPaよりも低い。この圧力では「格納容器の一部は塑性域に入り、漏洩率が増加する恐れがあるが、破損に至ることはなく」とされている(SOP運転操作解説A-31)。つまり、格納容器の貫通部ベネトレイションなどに、ピンホールが生じて漏れ出す領域である。東電の解析では、[RPV 圧力が上昇しているのに対し、D/W 圧力は若干低下傾向であることから、炉内でガスが発生する一方、D/W から原子炉建屋(R/B)への漏えいが発生しているものと推定。][D/W からR/B への放射性物質の漏えいの規模は比較的小さかったものと推定。](東電、熱流動解析コードを用いた2 号機の原子炉強制減圧後の原子炉圧力上昇評価より)

「14 日夕方から中央制御室で対応を行っていた復旧班は,原子炉圧力の上昇に伴う減圧のためのSRV 開操作と,D/W 圧力上昇に伴う減圧のためのベント弁開操作を行っていた。」そして「15 日11:25 頃,D/W 圧力の低下を確認」している。ようやくPCVベントは成功した。14日11時01分の3号機建屋爆発でベント弁が閉じてから、1日24時間後にようやくPCVベントは成功した。14日昼の「格納容器ベント(以下,ベント)の準備をしてからSRV を開けて原子炉を減圧し,海水注水を行うこととした。」との方針のままだったら・・・。


2号機、海水注水を嫌った事故対応・追加 東京電力の第三者検証委員会の報告書解読 (105) [東電核災害検証、吉田調書]

東京電力の「福島第一原子力発電所事故に係る通報・報告に関する第三者検証委員会」の検証報告書の解読(105)

 検証委員会は「地元の県、市町村等に対する説明としては、炉心損傷割合がいかなる意味を有しているか理解できなかったものと考えられ、不十分な通報であったと言わざるを得ない。」検証報告書15頁と評価している。しかし、相手に伝わらない難しい言葉、専門用語や符牒で語ることは、訳のわからないことを喋る戯け・タワケ者と変わらない。愚か者のすることだ。「不十分な通報」のではなく「愚かな通報」だ。

その様な愚かさが、事故対応に影響を与えたろうか?

2号機の事故対応
11日14時50分にRCIC・原子炉隔離時冷却系をCST復水貯蔵タンクを水源に手動起動した。RCIC・原子炉隔離時冷却系は、全交流電源喪失時においても復水貯蔵タンク・CSTないし圧力抑制プールS/C・S/Pを水源に、崩壊熱で発生する原子炉蒸気を用いるタービン駆動のポンプで炉注水を行う系統。注水で水位が高くなったので自動停止したが、15時39分に再手動起動させた。その直後15時40分頃の津波来襲でRCICの稼働状態が不明になった。
12日02時55分にRCIC・原子炉隔離時冷却系が稼働していて炉に注水している事を、炉圧5.6MPaよりもRCICの吐水圧力6.0MPaが高いことから確認している。12日21時頃、13日10時40分頃、13時50分頃と再三確認している。その炉注水で2号機の原子炉水位は、14日12時頃までTAF+3000mm以上で安定的に推移している。

RCICの停止条件
RCICの運転維持を制限する条件は①制御用直流電源の枯渇②水源の枯渇②ポンプ駆動の蒸気圧の低下④ポンプの軸の冷却用の水の水温の上昇による軸の回転不安定化、停止。①~③は判り易い。④はAOP事象ベースの事故時運転操作手順書の第12章の12-4-23頁には「SRVからの蒸気放出により、S/P水温度が上昇し、60℃を超えるとS/Pを水源とした場合RCIC、HPCIの油冷却が出来なくなる。」とある。

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津波被水で直流電源は枯渇したが、何故だか、どのようなメカニズムか不明だが、とにかく稼働していた。②の水源枯渇化は、復水貯蔵タンク・CSTを水源にした場合に問題になる。水源を圧力抑制プールS/C・S/Pにすれば解決する。しかしそうすると、④の軸の冷却用の水の水温上昇の問題が顕れる。

水源をCST復水貯蔵タンクにしていれば冷水なので問題はないが、S/C圧力抑制プールは原子炉からベント・排気される水蒸気を冷却凝縮しているので水温が上昇してくる。それで問題となる。RCICは炉水位低下でS/Cプールを水源として自動起動するが、炉水位回復・水位高で自動停止し、その後にCSTに水源を切り替える手動する手順になっている。現に2号機は切り換えている。だがら、CST水源だから無問題だ。

ところが、12日04時20分から05時にかけて、水源をCSTからS/Cに切り替えている。この切り替えで、②の水源枯渇の問題は解決されるが、水温が問題になる。EOP兆候ベースの事故時運転操作手順書のS/P温度制御SP/Tの項で水温を扱っている。制御目標の水温は、水蒸気凝縮実験から77℃以下なら凝縮は起こり、減圧というS/Cプールの本来の働きを果たせる事。S/C水温が高いとSRV排気管・ベント管の異常高温凝縮振動が起こりS/Cプール水がその振動で激しく動き水流でS/C破損する可能性がある。こうした事を踏まえて、制限図 図C-2 S/P熱容量制限値で、制御目標の水温が示されている。SBO下で採れる制御手段は、D/D-FPか消防車送水でS/Cスプレイでの直接散水やD/Wスプレイでの越流で冷水を入れる事。

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水蒸気圧=炉圧はRCICが定格流量を確保するためには、1.03MPa以上は必要。崩壊熱低下による蒸気圧低下、それによるRCIC機能低下・停止は、何れ起こるだろう。時刻は見当もつかない。

ポンプ軸の冷却低下によりRCICポンプ停止
だから、2号機のRCICの稼働維持は、12日05時頃の水源切り替え以降は②の蒸気圧の低下によるタービン不安定化・停止と④ポンプ軸の冷却低下によるポンプ不安定化・停止で制限されるようになった。14日13時18分には原子炉水位が低下傾向し、13時25分にはRCICの注水喪失と判断されている。この13時頃の原子炉圧力≒水蒸気圧は6MPaは有るから、②の蒸気圧の低下とは考えられない。④ポンプ軸の冷却低下によるポンプ停止と考えられる。

EOP兆候ベースのS/P温度制御の操作手順通りに、それを参照してS/Pスプレイ=S/Cスプレイを実施して、水温を制御していれば、その頃の原子力圧力では75℃位が制御の上限水温。だから2号機のRCICの稼働は継続したのではないか。

避け得たRCIC停止
S/C水温は11日15時40分頃の津波来襲直前に30度位、以降測定が停止になり約63時間後に測定が再開した。再開直後の14日07時頃に146℃、12時半頃に149.3℃を示している。63時間で120℃近い上昇幅、時間当り1.5~2℃位水温が原子炉からベント・排気される水蒸気などで上昇している。切り替えた12日05時、津波来襲から約13時間後には約26℃上がって、S/C水温約56℃位だろう。だから10時間内に、15時までに消防車海水送水でのS/CとD/Wスプレイで冷水を補給すれば、75℃以下に水温制御は可能だ。だから、2号機のRCICの稼働は継続しただろう。

海水注水を嫌がった結果
しかしS/CやD/Wスプレイで冷水を入れるための弁の開閉などラインアップをしていないから、実施する気はなかったのだろう。海水を入れてしまえば、2号機は廃炉決定するから、嫌だったのかな。東電は、12日17時半にPCVベントの準備を始めるよう所長指示を出している。ラプチャーディスクを除く,ベントライン構成完了は翌13日11時。PCVベントでPCV圧力が約1.2気圧0.12MPaになれば、水温は高くても105℃ですむ。しかし、RCICが動いている間にPCVベントが出来るとの希望を持つのは結構だが、そうした希望・願望実現を前提にした事故対処は妄想で愚か者の対策だ。

物理的には、ラプチャーデスク・破裂弁が破れてベントラインが開通しPCVベントが始まる炉圧は0.53MPa・絶対圧。その場合の水温は154℃。その手前の144℃や150℃でRCICの④ポンプ軸の冷却低下によるポンプ停止が起きたら、どうするのだろう。その場合のPCV圧力は、0.4~0.47MPaだから、PCVベントは起きない。SRV逃し安全弁を開いて、RPV圧力をPCVに移行してPCV圧力を上げても、ラプチャーデスク・破裂弁が作動し破れる0.53MPaまで上がるとは限らないぞ。どうするのだろう。
現実には、S/C 温度149.3℃,PCV(S/C) 圧力0.486MPa,原子炉圧力6.0MPaの時にRCICが止まってしまった。


原子力緊急事態宣言以後は、「炉心溶融」の公表や通報は無意義? 東京電力の第三者検証委員会の報告書解読 (104) [東電核災害検証、吉田調書]

東京電力の「福島第一原子力発電所事故に係る通報・報告に関する第三者検証委員会」の検証報告書の解読(104)

原子力緊急事態宣言後
2号機は、消防車注水が始まった14日19時54分以降に、原子炉圧力が低い状態且つ原子炉水位もBAF有効燃料底部より低い状態から、燃料が過熱状態となり、炉心損傷、炉心溶融へとつながったものと推定されている。CAMSのγ線量率測定値からは、14日21時55分の時点で既に炉心損傷が開始しており、14日23時42分の時点で炉心熔融と判定される。これらの測定値は、福島原子力事故発生後の詳細な進展メカニズムに関する未確認・未解明事項の調査・検討結果「第3回進捗報告」2015年5月20日、「第4回進捗報告」2016年12月17日に東電から公表、報告されている。

2016年3月9日に設置された「第三者検証委員会では、公開されている各事故調の報告書、公刊されている文献、東電において作成した各種文書・資料等、平成23年3月11日から同月16日までの官庁等への通報文(事後の修正通報を含む。)、残されている事故後の社内テレビ会議の発言内容(主として文字起こしされたものを確認したが、必要に応じて音声そのものについても確認した。)等を確認したほか、関係者延べ70人(うち、10人については再度のヒアリングを実施)からのヒアリングを行い、それらの結果を総合して、結論を出すに至った。」検証報告書04頁
だから、この東電が公表、報告している資料を検証委員会は確認している。それにも関わらず、検証委員会は2号機では東京電力の云う「2号機については翌15日15時30分頃」としている。

第三者検証委員会は「原子炉格納容器内のγ線線量率の測定の結果、炉心損傷割合が5%を超えた場合には、原災法令の下では、通報基準としての15条報告対象の「炉心溶融」に該当するものとして取り扱われる。」(検証報告書09頁より)としているが、「10条通報にしろ、15条報告にしろ、本来は、原子力緊急事態宣言のための情報提供のものであり、原子力緊急事態宣言後は、その目的を達したことになるといえる。」(検証報告書15頁)としている。11日16時36分付けの原子力緊急事態宣言が19時03分に発令以後は、「炉心溶融」の公表や通報には無意味、無意義と云いたいのだろうか?12日18時25分に半径20㎞圏内に国が避難指示を発令して以降は、2号機と3号機の「炉心溶融」の公表や通報には無意味、無意義と云いたいのだろうか?

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また「『炉心損傷割合が5%を超えている』旨の通報をしており、具体的な数値そのものを通報していたことが認められる」「保安院は、前記のとおり、その炉心損傷割合の意味するところを理解していたはずであるからである。また、その当時、官邸には保安院職員が常駐していたのであるから、官邸もその炉心損傷割合の意味するところを理解することは可能な状況にあった。」「炉心損傷割合の通報であっても、国のなすべき避難指示等の実施に影響は殆どなかったはずであると評価して差し支えないものと言える。」(検証報告書36-37頁)と検証委員会は述べている。

しかし、その避難等の指示をうける地元の県、市町村等の自治体や地元住民などにとっては、炉心損傷割合の意味する〈炉心溶融に至らずに全燃料被覆管が破裂、損傷〉か〈炉心熔融〉という情報は、極めて重大である。PCVベントなどにより放射能が放出される、漏洩する状況下では、特段に重要である。〈炉心溶融に至らずに全燃料被覆管が破裂、損傷〉で出る放射能が希ガス類ならば、希ガスが去れば直ぐに避難から戻れると考える。ヨウ素も少ないから、安定ヨウ素剤の服用・投与も念のために行うことだ。〈炉心熔融〉では希ガス類、ヨウ素、セシウムが出てくるから、放射能雲が去っても多くの残留する放射能で避難が余儀なく長期間化すると予見される。持ち出す手回り品の量が違う。アルバムなどの記念品、位牌なども持ち出そうとするだろう。安定ヨウ素剤の服用・投与も必須になる。

愚かさを追認、第三者検証委員会
検証委員会は「地元の県、市町村等に対する説明としては、炉心損傷割合がいかなる意味を有しているか理解できなかったものと考えられ、不十分な通報であったと言わざるを得ない。」検証報告書15頁と評価している。しかし、相手に伝わらない難しい言葉、専門用語や符牒で語ることは、訳のわからないことを喋る戯け者と変わらない。愚か者のすることだ。「不十分な通報」のではなく「愚かな通報」だ。


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