SSブログ
エネルギー基本計画 ブログトップ
前の5件 | -

沖縄の原発計画=核分裂事故で人死のSL-1 ① [エネルギー基本計画]


米国陸軍核動力計画(ANPP.The Army Nuclear Power Program)により

米国アイダホ州にBWR沸騰水型原子炉・コードSL-1・2.3m×2.7m×6.1mを、直径11.7 m、全高15 mの円筒形鋼製原子炉建屋に設置した。下☟map画像。
360px-USA_Region_West_relief_location_.jpg

この沸騰水型軽水炉BWRは、北極圏近くのレーダーサイト、遠距離早期警戒ライン基地に電力と熱を供給するために、特別にアルゴンヌ国立研究所ANLが軽水を自然循環する設計をし、設計名はアルゴンヌ低電力原子炉(ALPR)でした。
米陸軍が求めた性能は以下の7項目
●すべての部品が空輸できること
●全ての部品を7.5 x 9 x 20フィート(2.3 m×2.7 m×6.1 m)、重量20,000ポンド(9,100 kg)にパッケージできること
●標準的な部品の使用
●最小限の人員と手間で建設、運用できること
●シンプルかつ信頼性があること
●北極の永久凍土地域に適応可能
●3年間連続運転できること
▽炉の運転操作には二人のオペレーターで充分だったが、これに監督官が付くことになっていて、計3人で運転された。
▽暖房用熱400 kW と電気200 kWを基地に供給する性能設計
▽炉心の高さは約70cmで、構造は59個の燃料集合体、1個の始動中性子源集合体、9個の制御棒、13ミリの水路(軽水はポンプなしで、自然循環)で構成設計されていた。運転は40個の燃料集合体、1個の始動中性子源集合体、5個の制御棒で運用された。
image13.gif▽炉心を最小化するために、中央の制御棒1本を引き上げ操作するだけで、起動する設計。
▽核分裂反応・発熱を起こすウラン235は、炉心に93.2%・兵器級に高度に濃縮されたものが、
ウラン-アルミニウム合金を造り厚さ1.3mm・長さ25.8インチ(66cm)・幅3.5インチ(8.9cm)の薄板で、初期負荷には31ポンド(14 kg)が含まれていた。
(砲身方式のウラン原爆の臨界量は100%ウラン235の金属で22kgとされている)
▽ この炉心からなる原子炉は、直径38.5フィート(11.7 m)、全高48フィート(15 m)の円筒形鋼製原子炉建屋に設置。


1957年7月から建設された。1/4インチ(6 mm)の厚さの鋼製円筒形の炉建屋の下部には、埋め込まれた剝き出しの原子炉、中央に操作エリア、上部近くに復水器やファンのどがある。サポートと管理の建物が原子炉建屋を囲んでいる。吹き抜け外部階段があり、通常のドアが設置されて原子炉建屋に入退室をおこなっていた。
原子炉建屋は、1/4インチ(6 mm)の厚さ鋼鉄製であったが、炉から内部の水蒸気や放射能が出たとしても建屋内に封じ込める造り、格納容器 Containment vessel の造りはなかった。チェルノブイリ原発と同じ。
sl-1原子炉の鳥瞰図06.jpg
1958年8月に臨界になり、実用化に向けた様々な試験を行い、1958年12月にオペレーターの訓練と運用の経験蓄積に使うために米陸軍に引き渡された。名称・コード名はSL-1、 Stationary Low-Power Reactor Number Oneになった。
陸軍と空軍、米海軍や原子力貨客船「サヴァンナ Savannah」を運用していた民間船舶会社アメリカン エクスポート-イスバランテンラインズ American Export-Isbrandtsen Lines のオペレーター要員が訓練された。また設計出力は3MWだが "PL-1 condenser test."「PL-1復水器試験」のため1960年後半には約4.7MWの出力でテストが実施された。
日本の原子力百科事典ATOMICAには「研究用原子炉」と記載されている。


220px-SL1nuclearpowerplant.JPGSL-1
即死者が出た原子炉事故  に続く

nice!(0)  コメント(0) 

沖縄の原発計画=兵器級(Weapons-grade)をつかう原子力発電所 が計画されていた? [エネルギー基本計画]


沖縄に計画されていた原子力発電所は直径約40メートルの鋼鉄製の球体の中に格納され、解説図では球形と報道されている。ワイオミング州のサンダンス空軍基地の北米航空防衛司令部(NORAD)の第731レーダー隊に電力とに暖房を供給した原子炉PM-1は、下写真にあるように球形であった。

220px-PM1nuclearpowerplant.jpg
核燃料は、ウラン23593%濃縮・核兵器級をつかい、1962年2月に臨界し基地の廃止に伴い68年に廃炉になった。沖縄の原発は「1基につき14・3トンの濃縮ウラン燃料」と報道されているが、これは93%濃縮・核兵器級ではないか。
 グリーンランドの氷面下の「キャンプ・センチュリー」に造られたPM-2Aも、93%ウラン235濃縮・兵器級を使い1960年10月に臨界。基地に豊富に電力、熱エネルギーを供給したが、その熱で氷の床、天井、壁が融け変形するために3年後64年にPM-2Aは分解解体され、米国に返送された。エアバス(Airbus)のA320型機、30機分に相当する量の放射性廃棄物は、地下35メートルに埋められ遺棄されている。
沖縄の原発は「金武キン湾の海水で冷却する設計。敷地内には放射性廃棄物の地下貯蔵庫」設置と報道されているが、排熱は海水で出せるが、放射性廃棄物はアメリア本国へ持ち出したろうか。グリーンランドのように地下貯蔵庫ごと遺棄する心算だったのかな。
 南極のマクマード基地のPM-3Aは、原子炉を地面に埋設タンクに設置した。93%ウラン235濃縮・兵器級を使い、1962年3月に臨界に達した。1972年に原子炉の中心部分にある循環パイプ部分に冷却水がにじみ出ているのが発見され、修理再開には2年の期間と160万ドル(約4億8千万円(当時))が必要とされたので、72年廃止。原子炉は細かく切断され、米国に運んで廃棄。1959年12月に米国も採択した南極条約では「核爆発、放射性廃棄物の処分の禁止」しているから、漏れ出た放射能汚染水を吸い込んだ南極の土を除去しカリフォルニアのポートヒューニーメ海軍基地に運びアスファルト舗装に組み込みでる。
 50年後の日本で環境庁ら行政府が、東京電力・福島第一原発・核災害事故で発生した汚染土で同様にアスファルト舗装を、日本全土でやろうとしている。
続く
220px-PM3Anuclearpowerplant.JPG
マクマード基地

nice!(0)  コメント(0) 

沖縄の原発計画=米国陸軍核動力計画(ANPP)The Army Nuclear Power Program で計画された? [エネルギー基本計画]


主に遠隔地の比較的アクセスしにくい場所で電気および暖房エネルギーを生成するための小型の加圧水および沸騰水原子炉を開発する米国陸軍核動力計画(ANPP)The Army Nuclear Power Programは、1954年に始まった。1954年2月10日付けの防衛長官からのメモで始まり、1954年8月30日の原子力法により、原子力委員会(AEC)と陸軍省(DA)との共同で、ANPPは展開した。海軍原子炉計画は潜水艦と空母などの原子力推進に集中したが、陸軍核動力計画の焦点は発電と熱供給にあった。

220タイム地名.jpg
造られた原発のコードは、最初の文字でS –固定、M –モバイル、P –ポータブル。2番目の文字はH –高電力、M –中電力、L –低電力。3番目の数字でシーケンス番号、現場での組み立てでA。

ML-1は、陸上輸送可能な移動式でM、低電力のL、最初だから1
600px-ML-1_mobile_nuclear_power_plant_in_Idaho,_ca._1961-1965.jpg
MH-1Aは、パナマ運河のガトゥン湖に係留され”はしけ”搭載の浮体式でM、高電力のHで、
船上で組み立てたからAが付いている。
220px-MH1Anut.JPG
これは、ウラン235濃縮度4〜7パーセントの核燃料を用いた。最初がS –固定、P –ポータブルの原子炉は、ウラン235濃縮度93%の核燃料、兵器級 (Weapons-grade)の核燃料を使った。原爆・核分裂爆弾 nuclear weapon 向けには最低20%以上、実用上90%以上の濃縮度が必要とされてる。それで、90%以上の濃縮度は、兵器級(Weapons-grade) とも呼ばれる。
続く
参考 参考 参考
天然ウランには、非核分裂性のウラン238に対して、核分裂性のウラン235が約0.7%の割合で含まれている。ウラン235を富ませた,豊富にしたEnriched エヌリッチド濃縮して核分裂爆弾 nuclear weaponや原子力発電所 nuclear power plant では使う
ウラン235の核分裂時には平均約2.5個の中性子が放出される一方、プルトニウムの核分裂時には平均約2.8個の中性子が放出される。したがって、ウランよりもプルトニウムの方が核兵器の小型化に適しており、現在、世界のほとんどの核兵器はプルトニウム型となっている。

nice!(0)  コメント(0) 

沖縄の原発計画=グリーンランドの8メートルの氷の下に米軍基地と原発が作られた [エネルギー基本計画]

The Nuclear City Lost Under Ice Camp Century 「氷の下の『核の町』が溶け出す」の要旨


N3b5Nq.jpg
クリックすると拡大
5c19018.jpg
1959年にアメリカ軍がグリーンランド地下8メートルの氷の下に「キャンプ・センチュリー」、冷戦下でソビエト・ロシアに向けた核ミサイルを配備する目的のための基地を建設し始めた。グリーンランド一帯に何百本ものトンネルを掘り、その1本1本に核ミサイルを充填する極秘計画「プロジェクト・アイスワーム」を試行した。
1960年に氷の下のトンネルを掘り終え、原子力発電機を設置した。
トンネルの天井は全面で氷の重みにより上から圧迫され、建物、原発や人間が発する熱や、氷床そのものの移動などで、基地全体が常に何らかの補修を余儀なくされた。原発は生活を基地を維持する電力を豊富に供給したが、排熱も多い。電力エネルギーの倍の熱エネルギーが排出・廃棄された。数年後には、居住者の四分の一、約50人が毎日、トンネルを維持して崩落を防ぐべく、チェンソーで氷を切り続けた。
核ミサイルを充填するための核ミサイルを充填するためのトンネルを掘っても、氷床が動いたり溶け出したりするため、補強しても、トンネルが変形してしまう。ミサイルを充填は出来ない。
SDQ1Em.jpg
米軍は3年後には、原発を撤去し様子を見ましたが、1967年には基地は建屋やディーゼル燃料、放射性廃棄物はそのまま遺棄して、放棄された。エアバス(Airbus)のA320型機、30機分に相当する量の放射性廃棄物は、地下35メートルに埋められた。

 続く

nice!(0)  コメント(32) 

沖縄の原発計画=沖縄に原発2基の建設を、米政府が占領中の1960年代に計画 [エネルギー基本計画]

沖縄タイムス 2021年3月5日記事 ジョン・ミッチェル特約通信員】の要約



沖縄が米国の占領施政下にあった1960年、米政府が沖縄本島のほぼ中央部、金武きむ村(当時)に2基の原子力発電所を建設する詳細な計画を定めていた。沖縄タイムスが報告書を入手した。原発建設を検討したことは知られているが、詳細な計画が存在したことが初めて判明した。

沖縄に原発2基の建設を計画 米政府2249縮.jpg
画像クリックで拡大
沖縄に原発2基の建設を計画 米政府899.jpg
絶対権力を持つ占領米軍が建設を進めていれば沖縄も原発と同居する歴史を歩んでいたことになる。予定地は現在の沖縄電力金武火力発電所の敷地。原子炉1号機を63年12月に、2号機を65年に完成させる予定だった。米政府が金武で計画した原子炉の出力は2基計8万キロワット。完成後は、沖縄全体の電力供給量がそれまでに比べて2・6倍に増加すると見込んだ。
報告書の題は「遠隔地の軍隊の電力活用に関する研究」。米国原子力委員会の事業で、国防総省が調査対象の米軍配備先を指定し、各地で原発を建設する計画の立案と経済効率の算定を米カイザー社が担い、60年にまとめた。最終候補地は沖縄、韓国の基地、グリーンランド、南極など10カ所が挙げられた。
 沖縄は二つの原子炉を擁する計画で、最終候補地10カ所の中で最大規模、民間地に予定されたのも沖縄だけだった。1基につき14・3トンの濃縮ウラン燃料を直径約40メートルの鋼鉄製の球体の中に格納し、金武湾の海水で冷却する設計。敷地内には放射性廃棄物の地下貯蔵庫、高さ70メートルの排気煙突も計画された。
グリーンランド、南極の2カ所では実際に原発が建設された。(別稿で扱う。)
 最終的に沖縄で建設しなかった理由は分かっていないが、予定地には米政府が原発ではなく石油火力の金武火力発電所(きんかりょくはつでんしょ)を建設し、65年に運転を始めた。出力は原発計画と同規模の計8万8千キロワット。この金武火力発電所の発電開始を機に、米軍から電力系統の発電と送電、配電業務が琉球電力公社(Ryukyu Electric Power Corporation) に全面的に移った。
 1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還(沖縄本土復帰)されたので、沖縄電力株式会社(The Okinawa Electric Power Company, Incorporated)が1972年5月15日に設立され、公社から引き継いだ。金武火力発電所石油火力は86年に廃止され、石炭火力発電が2002年から運転している。
沖縄電力の中長期経営計画には、2009年(平成21年)策定では小型原子力発電の導入可能性の「研究」があったが、2019~21年度の中期経営計画では「研究」の文言がなくなった。二酸化炭素(Co2)排出量の実質ゼロを目指すが、原発導入ではなく再生可能エネルギーの強化などを進めるとしている。

nice!(0)  コメント(18) 
前の5件 | - エネルギー基本計画 ブログトップ