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セミパラチンスク=草原の民・核の爪痕--2011.=草原の民・核汚染の50年-1999 [日々の雑感]

 セミパラチンスク
セミパラチンスク―草原の民・核の爪痕 (新版)L.jpg副タイトル1 草原の民・核の爪痕
著者1 森住卓 /写真・文 
版表示 新版
出版年 2011.11
出版者 高文研

A5判/ページ数 135p
大きさ 21cm
新潟県立図書館収蔵 書庫3門  資料コード0010011393201  NDC分類(9版) 369.36

ISBN 978-4-87498-470-3
内容紹介

 かつての旧ソ連(現カザフスタン共和国)の核実験場であり、現在も多くの人びとが生活する「セミパラチンスク」に暮らす人々を追った17年間の記録。近年の取材内容を加えた新版。

目次
ベーリックくんとの出会い
はじめてのカイナール村
ハエが飛ビ交う病室
機密に覆われたチャガン空軍基地
スパイごっこ
地下核実験場と「原子の湖」
ガラス瓶の中の胎児たち
第四診療所の四万を超えるカルテ
厳重監視地域の村
四年ぶりのドロン村
エレオガゼさんの怒り
水爆実験で消えた村
草原の結婚式
お産と停電の話
写真家と科学者
核実験は祖国に対する核戦争だった


セミパラチンスク―草原の民・核汚染の50年、XL.jpgセミパラチンスク
副書名 草原の民・核汚染の50年
著者名1 森住 卓 /写真・文 
出版者 高文研
出版年 1999.9
ページ数 156p
大きさ 21cm
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館 2階21番書架 NDC分類(9版) 369.36

内容紹介

セミパラチンスクは旧ソ連の核実験場であったが、今も多くの人びとが生活し続ける大草原だ。草原の海原には馬や牛が放牧され、人びとの笑顔があった。だが、苦渋に満ちた人びとの表情も見続けてきた。そして、著者自身、目の見えぬ放射能にさらされる恐怖も体感し続けてきた。核被害の実態を取材して五年。被曝者たちの目を覆いたくなるような実態は私の心を重くする一方で、私自身、写真家として何ができるのかを自問自答し続けることとなった。この核被害は今もなお、いつ終わるとも知れず続いている。このままではソ連時代、沈黙を強いられた人々の叫びは21世紀に持ち越されてしまう。旧ソ連の行った核実験の実態を、無念の思いで倒れていった人々の怒りと叫びを、何とかして伝えたいという一心で、通い続けた五年間でもあった。

かつての旧ソ連(現カザフスタン共和国)の核実験場であり、現在も多くの人びとが生活する「セミパラチンスク」を取材し、今もなお、いつ終わるとも知れず続いている核汚染の実態を写真と文章で伝える。


145頁
水爆実験地の風下地域で放射性降下物からも被爆線量が多く住民を避難させなければ地域を割り出して、住民の避難を案ずるサハロフ博士に、水爆核実験最高責任者アレキサンドル・ワシレフスキー元帥が語った言葉。
「あなたがたは何の良心の呵責を感ずることはない。軍の作戦にはいつも犠牲がつきもので、20人か30人の犠牲が出るのが普通だ。しかもあなた方の実験は国や防衛にとってはるかに重要なんだから」
「・・・・カザフ人の子供のことは心配ない。昔物語になるよ。万事うまくいくさ」

日本の原発推進者も地域住民や最下層労働者に対し同様の心境を持ち合わせているのだろう。


著者等紹介
森住卓[モリズミ タカシ]

フォトジャーナリスト。1951年神奈川県に生まれる。日本写真家協会(JPS)、日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)会員。1988年、共著『ドキュメント三宅島』(大月書店)で日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。94年、世界の核実験場の被曝者を取材開始。96年、セミパラチンスクの写真で公募展「視点賞」受賞。99年、『セミパラチンスク草原の民・核汚染の50年』(高文研)で週刊現代「ドキュメント写真大賞」、第5回平和協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、日本ジャーナリスト会議特別賞(2000年)を受賞。2000年、「民族の嘆き―コソボ1999」で「視点」奨励賞。07年、「20年目のチェルノブイリ」で「視点」奨励賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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