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核分裂生成物FPの乾性沈着した範囲 めも原爆被曝者手帳㊹-Ⓕ [原爆被爆者援護法]

①爆発でできた超高温の火球の垂直方向の拡大と水平方向の拡がりによる原爆雲(核分裂生成物FPを含む、)、②爆発で生じた衝撃波と熱線による上昇気流での衝撃雲(誘導放射能を含む衝撃塵で土砂の茶色が特徴)、③爆心の真下を中心に、半径約2kmの範囲で生じた木造の家はほぼ全壊・全焼による上昇気流での黒い火災煙を含む火災雲

原爆雲・雨201007_8b.jpg
断熱膨張による温度低下により原爆雲の外縁部は上昇力が弱まり、対流圏と成層圏と境目に横・水平方向に360度全方向に広がる。積乱雲でよく見られるカナトコ雲と同様の現象。「100m上がるごとに気温は0.6℃下がる」対流圏の地上数km以上の上空では、大気の温度は0℃以下であるから、断熱膨張による温度低下とあいまって、カナトコ雲様原爆雲内部は、核分裂生成物FPなどを凝縮核にした過冷却な状態(0℃以下でも液体で存在している状態)の小さな水の粒、氷晶(ひょうしょう)という非常に細かい氷の結晶や霰ができてる。これらが引力に引かれて下降する。周囲の空気を巻き込んで下降気流が発生する。下降気流の風速は、通常でも「強い台風」なみの瞬間風速30m/s程度が、稀にこの倍以上の風速が観測されている。
「100m上がるごとに気温は0.6℃下がる」のだから。100m下がるごとに0.6℃気温は上がる。下降するに従い地表に近づくにつれ、霰や氷晶は融ける。核分裂生成物FPなどを凝縮核にした雨滴が下降気流をつくり降る。気温、湿度と雨滴の大きさの関係で、水分が蒸発して水滴が小さくなったり、消失して核の核分裂生成物FPなどだけが下降気流にのって下降する。
カナトコ雲様原爆雲、キノコ雲の傘の部分の拡がり
その核分裂生成物FPなどの放射性微粒子やそれを凝縮核にした雨滴が降下する地域は、カナトコ雲様原爆雲の下だ。
1989年に公表された増田善信氏の研究には次のような記載がある。(広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったかhttp://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1989/1989_02_0069.pdf
《雨がなかったと考えられていた爆心の南側でも弱い雨があったことである.すなわちこの図の海田市や仁保のほか,この図に入らない,呉,江田島向側部落,倉橋島袋内部落でも弱い雨が降ったことが報告されている.倉橋島袋内は爆心から南南東約30キロメートル離れている.》19頁
《爆心の南ないし南東側の仁保、海田市、江田島向側部落、呉、さらに爆心から約30キロメートルも離れた倉橋島袋内などでも“黒い雨”が降っていたことが確認された.》23頁
爆心から北北西に《20キロメートルも離れた湯来町宇佐付近でも、爆発後20分以内あるいは30分ないし1時間以内に雨が降り出している》《南方30キロメートルも離れた倉橋島袋内でも30分ないし1時間以内に雨が降りはじめている.》《原爆投下によって生じたキノコ雲が、急速に四方へ広がり、雲が伸びていく先端で雨が降ったものと推論せざるを得ない.》21頁
このように爆心地から南や東方向の30km圏に降った雨は、黒くない。黒塵を多く含んだ火災煙からなる火災雲は、海から陸へも向かう南南東の風で流れ風上の南や東側には来ない。従って原爆雲からの雨滴は、火災雲を通過しないので黒くならないし、火災雲の雨滴が加わらないので量も限られる。気温、湿度と雨滴の大きさの関係で、水分が蒸発して水滴が小さくなったり、消失して雨滴の核の部分、核分裂生成物FPなど放射性微粒子が下降気流にのって下降しただろう。
それによる被曝は?
「2011年に放影研の平井裕子らは電子スピン共鳴法を用いて、広島の爆心地から2.75キロメートル以遠の初期放射線被曝が0.005グレイ以下で無視できる遠距離被爆者の臼歯の放射性降下物によるガンマ線による外部被曝線量を求めた。その結果、爆心地から北西方向の放射性降雨域の4人の被爆者よりも多くの被爆をしている遠距離被爆者が、放射性降雨がほとんど降らなかった爆心地の南から東にかけて多くいることがわかった。」(原爆被爆者に対する放射性降下物による被曝影響の真実、沢田昭二氏、の5頁http://hibakutokenkou.net/uploads/report20160318235423.pdf

 

LSS寿命調査の群・コホート区分と総被曝線量 めも原爆被曝者手帳㊹-Ⓔ [原爆被爆者援護法]

広島では初期放射線による被ばく線量を爆心からに距離に応じて概略的に、1.5kmで500mGy、2.0kmで70mGy、2.5kmで10mGy、3.5kmで 0.3mGyとされている。

爆心距離と線量15e_05b.jpg

長雨地域

1時間以上の長雨で2.0kBq/m²の沈着があり、それによる被曝量40mGyの降雨地域は、爆心から北西方向に拡がっている。1.5kmで500mGyでLSS寿命調査のDS02に基づき建物の遮蔽効果、人体そのものでの減衰効果などを考慮したピカッの初期放射線の被曝線量の評価では200-500mGyの黄○評価、だから総被曝線量は>540mGy。初期放射線による被曝の比率は>92.6%。
2.0km付近は70mGyでLSSは5-100mGyの青○評価だ、総被曝線量は110mGy位、初期放射線による被曝の比率は>63.6%。
3㎞地帯は山地。山地を越えると、5mGy以下の紫○評価の人らが居る。総被曝線量は>45mGy、初期放射線による被曝の比率は>11.1%。
この1時間以上の長雨地域で爆心から2㎞以上離れた地点で原爆空襲をされた人らは、LSSのように初期放射線による被曝が小さい無視できるから被曝は無いものとして扱うべきではないだろう。

降雨30分以下の少雨の地域は、広い。LSSの残りの地域はすべて入っている。少雨で0.5kBq/m²の沈着がある降雨地域では黒い雨の被曝線量が7mGy。2.0kmで70mGyでLSSの評価では5-100mGyの青○の評価がついている人らだ。総被曝線量は>77mGyで初期放射線による被曝の比率は>90.9%。
2.5kmで10mGyでLSSの青○の評価で、総被曝線量は>17mGyで初期放射線による被曝の比率は>58.8%。2.95kmでは2.4mGyで>5mGyの紫○評価の人らが居る。総被曝線量が>9.4mGyで比率は>25.5%。
降雨30分以下の少雨で爆心から2.5㎞以上離れた地点で原爆で空襲された人らも、LSSのように黒い雨被曝は無いものとして扱うべきではないだろう。

黒い雨被曝・7~40mGyを加算した総被曝線量でLSS寿命調査のコホート・群を分けるべき

纏めると、LSSは”爆発時市内”にいた人々を「爆心地から、0-1999m、2000-2499m、2500-9999mの」コホート・群と爆心地距離に分けているが(LSS第2報)、黒い雨被曝・7~40mGyを加算した総被曝線量でコホート・群を分けるべきである。特に爆心から2.0km以上離れた離れた地点で原爆で空襲されたLSS対象の人らは、黒い雨被曝・7~40mGyを加算した被曝線量で扱われるべきである。1.5-2.0kmの地点での原爆空襲を受けたLSS対象の人らのうち、1時間以上の長雨地域の人達は、黒い雨被曝・40mGyを加算した被曝線量で扱われるべきである。

また、乾性沈着も考慮すべきである。

原爆による放射性微粒子の沈着による被曝線量の大きさ推定 めも原爆被曝者手帳㊹-Ⓓ [原爆被爆者援護法]

原爆によって生成した放射性微粒子の沈着(湿性沈着と乾性沈着)による被曝線量の大きさは、どれ位だろう。DS02の初期放射線による被曝線量に較べて、どれ位なのだろう。
床下土壌の調査結果等から今中哲二氏(元京都大学原子炉実験所)が推定している。「広島原爆の黒い雨にともなう沈着放射能からの空間放射線量の見積り」という論文で、http://www.hisof.jp/01publication/0301BlackRain2010.pdf で入手できる。推定の過程は「『恐竜の尻尾のホネの化石から、生きていたときの体重や顔つきを推定するような作業』という喩え」られていて要約は出来ないので、要点を記す。
「もっとも広汎に行われた調査は、1976 年の厚生省委託調査」でその調査結果から「、1945 年に黒い雨として降った最大平均値は『これ以上ではなかっただろう』という値を求めると、約2kBq/m²」
床下土壌データから「山間部での黒い雨にともなう初期セシウム137 沈着量の平均は1.2 kBq/m²」
1976 年土壌調査、1945 年原爆直後空間線量測定データ、床下データを考慮し、いわゆる“黒い雨地域”で、黒い雨にともなって地表に沈着した『セシウム137 初期沈着量の平均値は0.5~2 kBq/m2』の範囲であった。
核分裂生成物FPにはセシウム137のような揮発性(volatile)の物とストロンチウム91のような難融性(refractory)の物があり、沈着挙動が異なってくる。R/V(難融性が揮発性の物の何倍あるか)で表す。、長崎については、黒い雨が降った西山地区で、揮発性核種であるセシウム137 と難融性核種であるプルトニウムの測定データがあるので、そのデータからから広島黒い雨地域でのR/V 比は1.0~2.0 であったと仮定する。
セシウム 137 初期沈着量が1kBq/m² でR/V 比=1ときにγ線の空間線量率は、「8月6日12時ころ、つまり原爆から約4時間後の空間線量率は1.3 mGy/h で、1日後に0.12 mGy/h、1週間後に0.013 mGy/h と急速に減少する。積算線量は、1日後で 14 mGy、1週間で19 mGy、2週間で20 mGy、1カ月で22 mGy、1年で24 mGy である。」「R/V=2の場合では、4 時間後、1日後、1週間後の空間線量率は1.8、0.19、0.020 mGy/hとなり、1日、1週間、2週間、1カ月、1年の積算線量は、20、28、30、33、38 mGy となる。」
黒い雨とともに地表沈着した放射能による、地表1mでの2週間積算空間線量、平均的なγ線の外部被曝量は
「• 小さい側で、0.5[kBq/m2]×20[(mGy)/( kBq/m2)]=10 mGy
• 大きい側で、2.0[kBq/m2]×30[(mGy)/( kBq/m2)]=60mGy
すなわち、10~60mGy と見積もっておく。」

広島市の広島“黒い雨”-86上.jpg

今中氏は「人が2週間じっと地面の上にいるということは不自然」と自認しているので、8月7日の朝8時、1日後までのγ線積算空間線量は、同様に計算すると小さい側で、0.5×14=7mGy、 大きい側で、2.0×20=40mGy。
今中氏は「『人の被曝量』を求めるには、建物の遮蔽効果、屋外・屋内の滞在割合、人体そのものでの減衰効果などを考慮する必要がある。」また広島市街地は、建物、木造家屋が大破しており、黒い雨も避けれずにずぶ濡れになったろう。衣服や皮膚上に放射性微粒子の沈着、付着したろう。それが出すβ線による被曝には建物の遮蔽効果、屋外・屋内の滞在割合は無関係だ。線量は「Preliminary な結果によると、ベータ線による『皮膚線量』は、ガンマ線空気吸収線量より一桁程度大きくなりそうである。」プラスマイナスゼロとみて、人の被曝量を7~40mGy と見積もっておこう。

健康診断特例区域は、飴か?鞭か? めも原爆被曝者手帳㊹-Ⓒ [原爆被爆者援護法]

1973昭和48年に広島県、広島市は沼田町(現安佐南区)や佐伯郡(当時)などの約1万7千人を対象に、黒い雨の降雨状況や健康状態のアンケートに着手した。県・市が調査結果を74年7月に発表。4割が「病気か病弱」、2割が「原爆投下後に急性症状あり」。それで1976昭和51年に「健康診断特例区域」(被曝者とは認めないが、無料健康診断は行う。がんなどの特定疾患になれば被爆者手帳に切り替える)に宇田「大雨地域」を日本政府は指定して終息を図った。しかし小雨地域の住民たちが「黒い雨・自宅看護原爆被害者の会」を78年に結成 健康診断特例区域の拡大を運動。

その後
1987昭和62年5月に元気象研究所研究室長の増田善信氏が「黒い雨は従来の降雨地域の2倍の範囲に降った」と気象学会で報告 。翌年3には再調査を基に増田氏は「降雨範囲は従来の4倍、爆心から北西方向約45㎞、東西に約36㎞」と発表。2008平成20年6月に、広島市が市民約3万7千人を対象に原爆体験者等健康意識調査、アンケートと約900人の個別面談調査を実施し、黒い雨を体験した時間や場所を回答した1565人分について解析。広島大原爆放射線医科学研究所の大滝慈教授は、広島市の東側と北東側を除くほぼ全域と周辺部で黒い雨が降ったと解析した。これは宇田「小雨地域」に比べて約3倍の広さとなる。
被爆者は、健康診断特例区域の拡大と被爆者手帳への切り替えを求めている。
降雨域1601_01.jpg

日本政府は「科学的・合理的な根拠のある場合には、被爆地域と指定」としている。76、78年度の調査など原爆爆発後の大気中核実験の降下物と混じって、原爆由来の放射能と断定できないので「放射能の残留はなく、科学的・合理的な根拠がない」として被爆地域と認めていない。しかし、原爆由来の放射能ではないとも断定できない。そうした宇田雨域大雨地域の旧伴村と小雨地域の旧安村と、湯来地区等の広島原爆投下1-3 年後に建築され建替えられてない家屋15か所の床下土壌中、大気中核実験の降下物が混じっていない土壌から、原爆由来の放射能が検出されている。日本政府の「放射能の残留はなく、科学的・合理的な根拠がない」の主張は、破たんしている。被爆地域と認められるべきである。
このように、日本政府の原爆被曝被災から放射性微粒子による被曝、「黒い雨」などでの被曝を除く方針は1mmたりとも変っていない。

被曝事実とは違う、歪んだ幻想が制度的法的強制で社会的に成立
このような、被曝事実とは違う、歪んだ幻想が制度的法的強制で社会的に成立している。生成後に飛散した放射化物質と核分裂生成物FPからなる放射性微粒子の湿性沈着と乾性沈着による被曝、被曝者を研究対象とすることは、この歪んだ幻想に正面からぶつかり幻想による酔い、夢心地から覚醒を迫る。日本政府の意向、方針とぶつかる。研究費などが出なくなる。つまり、研究が蓄積しない/していない。知見の深まりが無い。歪んだ幻想が制度的法的強制で学問的社会でも成立している。この放射性微粒子の湿性沈着と乾性沈着による被曝こそが、3.11東電核災害の被曝なのに、、、

床下土壌の調査は「広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状」http://www.hisof.jp/01publication/0301BlackRain2010.pdf にある論文を見よ。

戦時災害保護法と原爆医療法 めも原爆被曝者手帳㊹‐Ⓑ [原爆被爆者援護法]

その後に第1号被爆者(直接被爆者、前述の地域で原爆爆発に遭遇した人)、第2号被爆者(入市被爆者、爆心地から2km以内に2週間以内に入市した者)、第3号被爆者(救護被爆者、死体の処理または救護にあたった者)、第4号被爆者(胎内被爆者)と区分して法的制度的対象して増やしている。直接被曝者を認める地域を、広島では爆心から北7kmの安佐郡祇園町の4地域を追加している。残留放射能のうち中性子線により生成した放射化物質の誘導放射線による被曝は、第2号被爆者で公認した。しかし、残留放射能の放射性微粒子による被曝、生成後に飛散した放射化物質と核分裂生成物FPによる被曝、「黒い雨」で可視できる被曝は認めていない。
ビキニ被災事件
「昭和29年(1954年)のビキニ被災事件をきっかけとして、日本政府は昭和32年(1957年)に『原子爆弾被爆者の医療等に関する法律』を制定し、」(広島市ホームページ)と云われている。ビキニ被災事件、第五福竜丸の被曝は、3F水爆の残留放射能・生成後に飛散した放射化物質と核分裂生成物FPからなる放射性微粒子による被曝である。それを契機としながら、ヒロシマ・ナガサキでは、そうした被曝を公認しない。
国際的な関係、日米関係では米国政府が第五福竜丸被爆者の死を被爆死とは認めていない。責任が明らになる損害賠償をせずに、見舞金で終息を図った。日本政府は、そのお先棒を担いだ。だから、放射性微粒子による被曝被害は隠しておきたいと日本政府には動機があった。それだけではない。日本政府には、公認する被爆者を減らしたい別の動機があった

戦時災害保護法
第二次大戦中、民間人(一般戦災者)を、大日本帝国は戦時災害保護法(昭和17年法律第71号)による扶助対象としていた。「本法ハ災害ニ對スル国家補償ニハ非ズシテ罹災者ノ更生再起ノ素地ヲ與フルコトヲ以テ目的トス」(戦時災害保護法施行ニ関スル件依命通牒、午社発第252号)とする扶助対象としていた。昭和17年4月18日の日本本土への初空襲(いわゆる「ドゥリットル空襲」)から適用されている。敗戦後に戦時災害保護法は廃止された。
戦争被害の補償は軍人・軍属や国・軍の役務を遂行していた場合に限定され、空襲被害など一般市民の戦争被害に対する補償は国家補償の対象とならないとしている。1957昭和32年になって、外地からの引揚者へは「引揚者給付金等支給法」(昭和32年法律第109号)で、数多い空襲の内で原爆空襲の被災者を原爆医療法で「原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ」という理由を付けて、差異を言い立てて救済を打ち出してきた。国家補償ではなく社会保障的、福祉的な措置という性格付だ。そりゃ、国家補償となったら東京大空襲の約12万人など空襲死者約56万人への補償問題が浮上するから、国の恩恵的措置という性格付けにしたのだ。だから、対象人数を少なくしたいという動機が日本政府にある。

このように日本政府には、原爆被曝被災から放射性微粒子による被曝、「黒い雨」などでの被曝を除く二つの動機があった/ある。

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