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原子力規制庁の東電福島第一原発核災害調査は、非科学? [東電核災害の検証]

東電福島第一原発核災害の原子力規制庁の調査チームの安井正也リーダーは、「1回結論を出しても反証が上がってくるかもしれない。それを恐れずまた新しいデータを集めていく。」といっている。調査チームには、反証が出ることを恐れるところがある。現在の自然科学は、(1)ある理論・仮説が科学的であるか否かの基準として反証可能性を選択した上で、(2)反証可能性を持つ仮説のみが科学的な仮説であり、かつ、(3)厳しい反証テストを耐え抜いた仮説ほど信頼性(強度)が高い、とみなす反証主義(はんしょうしゅぎ、英: Falsificationism)を採っている。だから、反証が出れば、反証テストとなり、より信頼性(強度)が高くなる。それなのに、なぜ歓迎しないのだろう?

 日本の官僚制の「無謬性(むびゅうせい)の原則=ある政策を成功させる責任をを負った当事者の組織は、その政策が失敗した時のことを考えたり議論してはいけない≒間違えるはずがない。」が働いてるのではない。

閑話休題

規制委、規制庁は2013~14年に1、4号機の原子炉建屋など、2、3号機の原子炉建屋を19年に現地調査。

東京電力福島第1原発3号機の原子炉建屋で、損傷した3階の天井からカメラを入れて4階を調べ調査チーム=2020年9月(規制委提供)
東京電力福島第1原発3号機の原子炉建屋でVNlt.jpg
3号機原子炉建屋の3階天井に空いた穴にカメラを付けたさおを差し込み、事故後初めて4階部分をのぞき込んだ。3階天井の太いはりが下方向に曲がっていることなどから4階で水素爆発が発生したと考え、激しい損傷をチームは想定していた。調査チームは、床一面にがれきが散乱しているものの配管や足場などほぼ無傷な画像を見て「壊れてねえな。不思議な感じだ」と戸惑った。福島中央テレビ(福島県郡山市)が設置していたカメラの映像解析の結果、3号機の水素爆発は4階部分で発生した。その爆発で5階の屋根が損傷し、直後に建屋内に残存していた水素を含む可燃性ガスが燃焼。球状の噴煙を伴う上昇気流が、巨大な屋根の破片を上空約200メートルまで噴き上げ「多段階事象」と見られた。それで「水素爆発の圧力波が均等に広がったため、配管などの小さな設備はあまり影響を受けなかった」と考察された。
また、東電が炉心溶融を起こした1~3号機の原子炉格納容器の上ぶたに、溶融核燃料(デブリ)に匹敵する高濃度の放射性物質が付着している事が判明した。
続ける

原子力規制庁の東電福島第一原発核災害調査で、溶融核燃料(デブリ)の回収は300年以上無理だ。に続く

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新潟県の技術委員会、事務局・原子力安全対策課に柏崎刈羽原発の「核物質防護設備の機能の一部喪失」について問い合わせた [新潟県原発の安全管理に関する技術委員会]

2021年3月22日に、柏崎刈羽原発で、不正な侵入者を検知する設備が複数壊れていた問題が原子力規制委員会から最も重い評価・>赤:安全確保の機能又は性能への影響が大きい水準<とされたことから、県が臨時に要請し、県原子力安全対策課、柏崎市と刈羽村の担当者の9人が、発電所を訪れ、東京電力から一連の問題の説明を受けたあと、マイクロバスで構内に移動、視察している。


その6日前の3月16日に、東京電力ホールディングス(株)以下のプレスリリースを公表している。

「柏崎刈羽原子力発電所における核物質防護設備の機能の一部喪失」に関する原子力規制委員会の暫定評価結果の受領について
https://www.tepco.co.jp/press/release/2021/1585125_8711.html


《原子力規制検査の状況等について、核物質防護に抵触しない範囲において、追加でお知らせいたします。》
210316j0101-001syuku.jpg
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22日の視察の際などに、東京電力ホールディングス(株)から県つまり県民に、「核物質防護設備の機能の一部喪失」について《核物質防護に抵触しない範囲において》説明はあったのだろうか。報道では《原子力安全対策課の原直人課長は「核セキュリティに関する設備の詳細な説明を受けることはできなかったが、情報公開のあり方などの問題点を伝えた。・・」と話していました。》とあり、県民に説明は無かったのどうか。
3月26日07時に、県防災局原子力安全対策課=県技術委員会事務局=に問い合わせメールを送った。
プレスリリースには、「地元の皆さまをはじめ、社会の皆さまに、大変なご不安やご心配をおかけしておりますことを、改めて深くお詫び申し上げます。」とある。またまた、書いただけなのだろうか。

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原発と大津波 警告を葬った人々-岩波新書--吉田 昌郎(よしだ まさお)所長が津波予測を握りつぶした [東電核災害検証、吉田調書]

吉田 昌郎(よしだ まさお)所長;;.jpg原発と大津波 警告を葬った人々
添田 孝史/著 
-- 岩波書店
  岩波新書 新赤版 1515
 -- 2014.11
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 ほか S/539.0/ソエ/
内容紹介
原子力産業で地震学の最新の科学的知見は、なぜ活かされなかったのか。その後のプレートテクトニクス理論導入期において、どのような議論で「補強せず」の方針が採られたのか、綿密な調査によって明らかにする。
吉田 昌郎(よしだ まさお)所長が津波予測を握りつぶした事実が明記されています。
目次
序章 手さぐりの建設
第1章 利益相反―土木学会の退廃
第2章 連携失敗―地震本部と中央防災会議
第3章 不作為―東電動かず
第4章 保安院―規制権限を行使せず
第5章 能力の限界・見逃し・倫理欠如―不作為の脇役たち
終章 責任の在処
著者等紹介
添田孝史[ソエダタカシ]
1964年生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。サイエンスライター。1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。97年から原発と地震についての取材を続ける。2011年に退社、以降フリーランス。
東電福島原発事故の国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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「反原発」のメディア・言説史ーー3.11以後の変容ー刊行日 2021/02/05 [核のガバナンス]

「反原発」のメディア・言説史L.jpg「反原発」のメディア・言説史ーー3.11以後の変容
著者 日高 勝之 著
出版社 : 岩波書店 (2021/2/9)
刊行日 2021/02/05、発売日 : 2021/2/9
ISBN 9784000614511
内容
3.11の福島原発事故後、「反原発」「脱原発」の言説が新聞・テレビ、書籍・雑誌、映画等のメディアに溢れた。気鋭のメディア研究者が、これらメディアや人物・作品を取り上げ、3.11以前の関連言説も合わせ、戦後日本の民主主義の視点から言説とその背景を、俯瞰的・相関的に整理・考察。資料的価値も高い1冊。
3.11以後、メディアに溢れた「反原発」「脱原発」言説とは何だったのか?3.11とコロナ禍に共通する問題とは?それら言説の丹念な収集を続けてきたメディア研究者が、3.11以前の状況と比較し、日本の「核」への懐疑のありようを俯瞰的に分析・整理する。
目次
序章 3.11以後の「反原発」とは何か
第1章 主流メディアの位相―新聞とテレビ
第2章 懐疑と抵抗―科学者とフリージャーナリスト
第3章 「日本」をめぐる闘争―人文社会科学系知識人
第4章 反メディア、市民運動と民主主義―ドキュメンタリー映画
終章 カタストロフィとレジリエンスの交錯―3.11とコロナ禍から考える「戦後」後
著者等紹介
日高勝之[ヒダカかつゆき]
1965年大阪生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、NHK報道局ディレクターを経て、英ロンドン大学東洋アフリカ研究学院大学院メディア学研究科博士課程修了。ロンドン大学Ph.D.“博士(メディア学)”。英オックスフォード大学客員研究員、立命館大学産業社会学部准教授などを経て、立命館大学産業社会学部教授。専門はメディア・ジャーナリズム研究、政治コミュニケーション。
主な著書に『昭和ノスタルジアとは何か―記憶とラディカル・デモクラシーのメディア学』(世界思想社、2014年。2015年度日本コミュニケーション学会・学会賞受賞)、Japanese Media at the Beginning of the Twenty-first Century: Consuming the Past(Routledge 2017年)、Persistently Postwar: Media and the Politics of Memoryin Japan(共著、Berghahn Books 2019年)ほか。ほか(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
詳しい目次
序 章 3・11以後の「反原発」とは何か
 1 福島原発事故後の「反原発」
  「反原発」の高まり/世界屈指の原発大国/世論の大きな変化/これまでの議論とそこから零れるもの/3・11以降の「反原発」の検証必要性
 2 多様な視座から「反原発」を考える
  「イデオグラフ」の視点――二〇一四年の都知事選/単一ではない「反原発」/正義論の視点から原発を考える/「なに」「だれ」「いかに」をめぐって――核と地球温暖化/包摂的な民主主義のために
 3 本書の五つの問い――3・11後の「反原発」はいかなるものか
  「反原発」の発信者とその議論・表象の実際と到達点――第一の問い/多様な立ち位置からの象徴闘争 ブルデューの「界」概念――第一の問いポイントその1/誰・何と敵対するか――第一の問いポイントその2、その3/民主主義の議論の成熟に向けて――第二の問い/原発と核――第三の問い/代替エネルギーと気候変動の問題――第四の問い/近現代日本のポスト・カタストロフィの思潮として――第五の問い/本書の構成など
第1章 主流メディアの位相――新聞とテレビ
 1 転換と内省
  主流メディアの内省
 2 内省とマニフェスト――3・11後の新聞
  事故が多発した二〇〇〇年代/『朝日新聞』『毎日新聞』『東京新聞』三紙の変化/ドイツとイタリアの「脱原発」/菅直人首相の「脱原発」発言/三紙の「脱原発」への三つのステップ/3・11以前の新聞/被ばくリスクの扱い/内省と告発の試み――『朝日新聞』/独自のスクープ記事――『毎日新聞』/市民目線の長期報道――『東京新聞』/オルタナティブなエネルギーへの転換/地球温暖化との関連/核と原発――原子力の表と裏/その後の三紙の核関連社説/「脱原発」「反原発」市民運動との接点/「なに」「だれ」「いかに」のメタ政治的正義との関連/新聞に変化はみられたか/社説と記事の距離
 3 強固なメディア特性――3・11後のテレビ
  事故直後のテレビ報道/原発そのものの是非/3・11以前のテレビ/地域ローカル議題からの脱却/3・11から生まれた異色の番組――NHK『長すぎた入院』ほか/内部被ばくの問題/テレビ番組の系譜と継承/テレビ局内のサブ「界」の差異/放射能リスクに関するその他の番組/引き継がれる原発議題の人間化、ローカル化/復興議題の両義性/3・11の記憶の風化
 4 原発広告の構造――主流メディアの桎梏
  広告と原発/見えない圧力/主流メディアの今後――「プロレス」と「格闘技」
第2章 懐疑と抵抗――科学者とフリージャーナリスト
 1 専門科学知と社会科学知の交錯――科学者
 ⑴ 原発推進派からの転換――武谷三男
  「原子力の平和利用」の理論的支柱/原子力への懐疑/専門科学知と社会科学知の交錯
 ⑵ 市民科学者の立ち位置――高木仁三郎
  大学を辞した科学者/原子力資料情報室の設立/道具的理性批判との親和性/高木の包摂性
 ⑶ 孤高と峻厳――小出裕章
  反原発の原子力研究者/加害と搾取――「他者」へのまなざし/従属理論、構造的暴力論との関わり/「騙された責任」を取るということ/核と温暖化/3・11後の「小出裕章ブーム」/ラジオ番組『たね蒔きジャーナル』/小出「日本のマスメディアは腐っている」/「反原発の科学者『界』」というサブ「界」――武谷・高木・小出
 2 個と抵抗――フリージャーナリスト
 ⑴ 「教祖」のスタイル――広瀬隆
  『東京に原発を!』と『危険な話』/「ヒロセタカシ現象」とバッシング/3・11後の広瀬/専門家と主流メディアへの敵対
 ⑵ 原発立地地域から考える――鎌田慧
  七〇年代からの現地ルポ/「さようなら原発一千万人アクション」/兵器産業、核拡散の議題化/広瀬との相違/主流メディアとの軋轢――『朝日新聞』大熊由紀子との対立
 ⑶ 内実の可視化の追求――田原総一朗
  異色の立ち位置/『原子力戦争』の反響/余儀なくされた東京12チャンネルの辞職/『朝まで生テレビ!』の原発特集/3・11後の田原/「原発がかわいそう」――熟議を求めて/フリージャーナリストと主流メディアの不調和――「政官産学メディア」の力学
 3 機動力とジレンマ――ネット・ジャーナリズム
  IWJとその機動力――岩上安身/OurPlanet-TV と白石草/東電記者会見への密着――木野龍逸の仕事/複合的なジレンマ
第3章 「日本」をめぐる闘争――人文社会科学系知識人
  原発に関心を示してこなかった人文社会系知識人/3・11後の出版メディア/「新規参入者」としての知識人たち
 1 反西洋近代的日本主義――中沢新一
  「日本の大転換」「文明の大転換」/反西洋近代的日本主義――「近代の超克」の系譜/思想的超克課題として
 2 戦死者の「祈念」――加藤典洋
  原爆犠牲者の「祈念のかたち」/反日本近代的内省主義/原発推進派の「四つの軸」への反証/「敗戦後論」の延長線
 3 「日本」を超克する――笠井潔
  自己欺瞞の精神構造――「ニッポン・イデオロギー」/「潜在的核保有」の争点化/科学者と人文社会系知識人の差異/笠井による中沢への批判x――「日本」をめぐる闘争/笠井による加藤への批判――「ゴジラ」と潜在的核保有
 4 「戦後民主主義」の進度――小熊英二
  「個の自律」と「戦後民主主義」/鶴見俊輔と「ベ平連」を意識/「戦後民主主義」の進度の争点化/厳しいメディア批判
 5 知識人のユニークな自己批判――安冨歩
  原発と「東大話法」/激しい賛否
 6 「日本」と知識人
  「反近代」の思想的超克課題――二つの立場/メディア批判が意味するもの
第4章 反メディア、市民運動と民主主義――ドキュメンタリー映画
  ドキュメンタリー映画と反原発/ドキュメンタリー映画とは何か/原発問題を扱った3・11以前の作品
 1 民主主義のエクササイズ――鎌仲ひとみ
  映画制作と自主上映運動/「内部被ばく」の争点化
 2 3・11後の表現論的可能性――舩橋淳と想田和弘
 ⑴ 避難所から見た民主主義――舩橋淳
  「小宇宙」と「反テレビ」/言語情報でまとめられないドキュメンタリー映画/民主主義の自覚――舩橋と鎌仲・小熊との相同性
 ⑵ 「政治的無関心」の記録――想田和弘
  想田が目指す「観察映画」/3・11直後の首都圏住宅地の風景が意味するもの/海外での制作経験――鎌仲・想田・舩橋を結ぶもの
 3 メディアの相対化――森達也と三人の作り手たち
  3・11直後の「現認」記録/映像メディアの加害性/映画『3・11』への激しい賛否の嵐/メディアの相対化と「自己言及性」/森と二人の共同制作者への反発――松林要樹と『祭の馬』/馬の身体運動と生命力の逆説
 4 その他の主なドキュメンタリー映画   二人の弁護士による映画制作――河合弘之・海渡雄一/インタビューで迫る作品群――岩井俊二ほか/原発周辺地域の苦悩と試み/ドキュメンタリー映画の三つの特徴
 5 補論――劇映画における福島の事故と原発
  3・11直後の劇映画――『希望の国』『おだやかな日常』『朝日のあたる家』/二つの大作映画――『天空の蜂』『シン・ゴジラ』/リアルを追求――『太陽の蓋』『彼女の人生は間違いじゃない』『STOP』/大作映画と低予算映画の違い
終 章 カタストロフィとレジリエンスの交錯――3・11とコロナ禍から考える「戦後」後
 1 「反原発」の多層化と多位相化
  各「界」特性の増幅を伴う「反原発」の多層化と多位相化/「反原発」が伴う反「主流メディア」論/「反核」と「反原発」の接続の困難/科学者による包摂的な議論構築/人文社会系知識人の「日本」への問い、への跳躍/論点の分散化の課題
 2 なぜ「脱原発」は日本で政策実現しないのか――ドイツとの比較
  3・11後のドイツのメディア報道/国論を二分してきたドイツの原発議題/「等価性の連鎖」の重要性/ドイツにおける二つの委員会の助言/日本の課題
 3 3・11とコロナ禍を結ぶもの
  「ただちに影響はない」と「瀬戸際」/専門家会議と原子力規制委員会/意思決定、プロセス、情報開示/対話型専門知
 4 今後のために――多元的な知の展観と接続
  多元的な知の展観と接続/武谷三男が問うたもの/可能性への模索――3・11とコロナ禍以降の時代のために
あとがき
主要参考文献

タグ:メディア論
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原発時代の終焉 - 東京電力福島第一原発事故10年の帰結ー小森敦司 著ー2021;03 [東電核災害の検証]

原発時代の終焉 - 東京電力福島第一原発事故10年の帰結
小森敦司
緑風出版(2021/03発売)
価格 ¥1,980(本体¥1,800)
ISBN  9784846121044
原発時代の終焉360.jpg


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