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沖縄の原発計画=沖縄に原発2基の建設を、米政府が占領中の1960年代に計画 [エネルギー基本計画]

沖縄タイムス 2021年3月5日記事 ジョン・ミッチェル特約通信員】の要約



沖縄が米国の占領施政下にあった1960年、米政府が沖縄本島のほぼ中央部、金武きむ村(当時)に2基の原子力発電所を建設する詳細な計画を定めていた。沖縄タイムスが報告書を入手した。原発建設を検討したことは知られているが、詳細な計画が存在したことが初めて判明した。

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絶対権力を持つ占領米軍が建設を進めていれば沖縄も原発と同居する歴史を歩んでいたことになる。予定地は現在の沖縄電力金武火力発電所の敷地。原子炉1号機を63年12月に、2号機を65年に完成させる予定だった。米政府が金武で計画した原子炉の出力は2基計8万キロワット。完成後は、沖縄全体の電力供給量がそれまでに比べて2・6倍に増加すると見込んだ。
報告書の題は「遠隔地の軍隊の電力活用に関する研究」。米国原子力委員会の事業で、国防総省が調査対象の米軍配備先を指定し、各地で原発を建設する計画の立案と経済効率の算定を米カイザー社が担い、60年にまとめた。最終候補地は沖縄、韓国の基地、グリーンランド、南極など10カ所が挙げられた。
 沖縄は二つの原子炉を擁する計画で、最終候補地10カ所の中で最大規模、民間地に予定されたのも沖縄だけだった。1基につき14・3トンの濃縮ウラン燃料を直径約40メートルの鋼鉄製の球体の中に格納し、金武湾の海水で冷却する設計。敷地内には放射性廃棄物の地下貯蔵庫、高さ70メートルの排気煙突も計画された。
グリーンランド、南極の2カ所では実際に原発が建設された。(別稿で扱う。)
 最終的に沖縄で建設しなかった理由は分かっていないが、予定地には米政府が原発ではなく石油火力の金武火力発電所(きんかりょくはつでんしょ)を建設し、65年に運転を始めた。出力は原発計画と同規模の計8万8千キロワット。この金武火力発電所の発電開始を機に、米軍から電力系統の発電と送電、配電業務が琉球電力公社(Ryukyu Electric Power Corporation) に全面的に移った。
 1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還(沖縄本土復帰)されたので、沖縄電力株式会社(The Okinawa Electric Power Company, Incorporated)が1972年5月15日に設立され、公社から引き継いだ。金武火力発電所石油火力は86年に廃止され、石炭火力発電が2002年から運転している。
沖縄電力の中長期経営計画には、2009年(平成21年)策定では小型原子力発電の導入可能性の「研究」があったが、2019~21年度の中期経営計画では「研究」の文言がなくなった。二酸化炭素(Co2)排出量の実質ゼロを目指すが、原発導入ではなく再生可能エネルギーの強化などを進めるとしている。

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