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「核を救うために命をどこまで脅かすのか」フランスの「福島九周年追悼集会」2020;0311 [日々の雑感]

関西学院大学出版会のPR誌『理』(コトワリ)の54号  http://www.kgup.jp/files/ko_web_54.pdf
連載 世界から 第24回 アルコール戦争 (フランス文学者 海老坂 武)より
三月十一日、パリのレピュブリック広場に出かける。
フランスの核廃絶運動の諸グループによる「福島九周年追悼集会」。出し物は和太鼓、「パリ太鼓アンサンブル」と名乗る十一人(女性七人、日本人らしき演奏者は女性二人、男性一人)のメンバーが入れ替わり立ち代わり太鼓を叩き続ける。冬空のもと百人ほどの聴衆が一時間ばかりの熱演に立つたまま耳を傾けていた。そしてこれがいかにもフランス的なのだが、その周りで太鼓に合わせて聴衆の一人はパントマイムを始め、一人は踊っている。
演説も何もない。ただフランス語で三つのスローガンが横断幕に書かれている。「福島・終わりなき大災害」「東京放射能オリンピックお断り」(これは日英仏語)。
「核を救うために命をどこまで脅かすのか」。ここにあるのも命か金かの問いかけだ。
三月十七日パリにて    
OVNI オヴニー、フランスと日本をつなぐ情報フリーペーパー、https://ovninavi.com/ より
パリ3.11追悼集会。〜東日本大震災、福島原発事故から7年〜
2018-03-07
 今年もパリのレピュブリック広場で、東日本大震災と福島原発事故の追悼集会。今年は広場にテント、再生可能エネルギーを象徴する大道具なども設置され、追悼セレモニー、スピーチ、討論会などが開催される。
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「脱原発に向けた即座の政策実施」を公約のひとつに掲げて昨年の大統領選を闘ったジャン=リュック・メランション率いる政治運動「服従しないフランス」も参加する。同運動は「原発に関する市民投票」を、この日3月11日から18日まで行う。これに関するメランションのスピーチも聞くことができそうだ。同じく昨年、大統領選の候補だった、ブノワ・アモンの新しい政治運動Generation-sも参加する。
 レピュブリック広場には、14時頃から音楽が流れ始める。14時46分(福島原発事故が起きた時刻)には、爆発音と共に煙が上がり、トランペット演奏とともにパフォーマンス、武藤類子さんのテキスト朗読などの後、1分間の黙祷。
和太鼓の演奏、ヒューマンチェーンなどの後「フランス全体の原発の状況」 「原子力と健康」「EPR問題」「ビュール(フランス東部の中・高レベル放射性廃棄物の深地層処分所)」「軍事原子力」「原発に関する市民投票」などのテーマに関するスピーチ(それぞれ4分ほど)が予定されている。
16時頃から2時間ほど、広場に設置されるテントの中で、上出のテーマごとに討論会が行われるほか、脱原発やATTACなどの市民団体や、環境専門インターネット新聞 Reporterre がブースを出して情報を提供する。(集)
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福島から避難し「安全な場所で暮らし子を育てる権利」
2019-04-01
 福島の原発事故後、避難生活を続けている家族による、パリでの証言会とディベート。昨年、ジュネーヴにある国連人権委員会で「安全な場所で暮らし、子育てする権利」について話をした森松一家と、今年ローマ法王に謁見した鴨下一家が参加。パリ2区の区役所にて19h30-。入場無料。
 森松明希子さん(郡山市から大阪に避難)は昨年3月、グリーンピース・ジャパンの支援を得てジュネーヴの国連人権委員会に赴き、安全な場所で暮らし、子育てをする権利を訴えた。鴨下美和さん(いわき市から東京に避難)もそれに同行し、スイスやフランスのローヌ=アルプ地方ではふたりで証言を行った。
今年はローヌ=アルプ地方、ドイツ、スイスで証言会を行った後、パリに到着。すでにINALCO(パリ大学東洋語学校)で福島からの避難生活の困難などについて話しをし、学生たちとの討論会を行った。鴨下さんは子どもがいじめにあったため、今まで仮名で証言し、顔写真も出さないできたが、今年は親子とも本名で証言する。
 在仏日本人の脱原発を求めるNPO「よそものネット・フランス」と、パリの脱原発団体 Sortir du nucléaire Paris が共催し、脱原発全国ネットワークRéseau Sortir du nucléaireの後援を得て開催される。

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流砂=その②ーヘニング・マンケル/著 -- 東京創元社 -- 2016.10 [放射能検査と摘発、食品、水]

流砂  原タイトル:Kvicksand
ヘニング・マンケル /著 
  柳沢 由実子 /訳 
出版者 東京創元社
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館 1階文学 /949.8/マン/

内容紹介
2 意に反して影の世界に引き込まれる子どもたち より抜粋
 29 闇に光る歯  《》は他書からの補遺

その続き
プルトニウムファイルのp40、41より
『ニューヨークのセオドア・ブラムという口腔外科医が何かがおしいと気付く。1914年、時計の文字盤に夜光塗料を塗っていた若い女性が診察に来て、歯の治療のあと顎がなんだかおかしいという。口を開けさせたブラムは、見たこともない光景を目にする。ブラム歯医者は、あごの骨がボロボロになってしまった患者がいる、原因は時計の針に夜光塗料を塗る彼女の仕事にあるのではないかという疑い・所見「患者の顎は放射線にやられた、というよりも蹂躙されたのだ。」を医学雑誌に書き、この疾患を「ラジウム顎」と名付けた。その報告がニュージャージー州のオレンジの監察医ハリソン・マートランドの目にとまる。かねがねオレンジでも、若い女性が原因不明の病気で死んでいた。』『マートランドが最初に見た35歳の女性は、急進性の貧血に苦しんでいた。文字盤塗装の仕事は6年前に始め、体調はいたってよかったのに1925年、体に挫傷のようなものが現れた。間もなく歯ぐきの出血が始まり、口蓋と喉の組織がくずれた。マートランドはラジウムが犯人だと確信する。体にガイガーカウンターを近づけたらガリガリ言った。死の間ぎわ、ゴム管に吐かせた息を分析したらラドンガスが見つかる。
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ラドンRnはラジウムがアルファα放射線を出して崩壊して出来る核種・娘核種である。α線の大半は塗料成分に吸収され、そのエネルギーで直ぐに蛍光を発光する。Uウラン238からUウラン234やThトリウム230を経てRaラジウム226が壊変で生成する。それがアルファα線を出してRnラドン222に壊変する。Rnラドン222は、半減期3.823日でラドン同位体34種類で最も長い。化学的には気体・ガスの希ガス類であり、水≒血液へのラドンの溶解度は他の貴ガスのキセノンの約2倍、クリプトンの約4倍、アルゴンの約8倍、ネオンやヘリウムの約20倍である。

 Raラジウム226は化学的には周期表でIIa族のアルカリ土類金属で、同族元素にはMgマグネシウムやCaカルシウムがある。ラジウムもMgやCaと似たような化学的挙動、性質を示し、体内では骨や歯にに集まりやすい。
それで、体内に入った「半年で4グラムのラジウム」が骨や歯で、希ガス類のRnラドン222に壊変する。だから、骨や歯がカスカスになってしまい、あごの骨がボロボロになってしまったり骨折が起きてもおかしくない
続く

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流砂ーヘニング・マンケル/著 -- 東京創元社 -- 2016.10 [放射能検査と摘発、食品、水]

71sFVlnQnlL.jpg流砂  原タイトル:Kvicksand
ヘニング・マンケル /著  
  柳沢 由実子 /訳  
出版者 東京創元社
ページ数 360p
ISBN 978-4-488-01065-2
出版年 2016/10/29
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館 1階文学 /949.8/マン/
内容紹介
流砂は地獄への穴だが、私はなんとかそれに嵌らなくて済んだ-。がんの告知を受けた北欧ミステリの帝王は絶望といかに闘ったのか。著者の闘病記であり、遺言でもある魂の書。

2 意に反して影の世界に引き込まれる子どもたち より抜粋
 29 闇に光る歯  《》は他書からの補遺
サビン・アーノルド・フォン・ソチョキーというアメリカの科学者が1915年に、当時は”アンダーク(暗くない)”と云う名の放射性物質ラジウムを使った夜光塗料を発明した。《外部からの光・電磁波の刺激で発光する物質に放射性物質を混ぜ、放出される放射線の刺激で持続的に発光するようにした塗料》
《1916年、”ラジウム”を使った発光塗料がイギリスとフランスでは特許が登録。フランスは「ラジオミール」という名で登録されました。イタリア特殊潜水部隊の任務の多くは海中の暗闇で行われていた為、チューブ状の物に発光塗料を流し込み作業をする計器を照らし暗所での任務にあたっていました。当時では画期的な使い方となり、それでイタリア海軍が発注した。 https://www.jw-oomiya.co.jp/blog/wakayama/24350 》
フォン・ソチョキーは会社を設立し、若い娘たち――中にはまだ十二歳にも満たないような子どもや文字も読めない 少女もいた―を雇い入れ、暗闇で光る夜光塗料を時計の文字盤やロザリア十字架に塗る仕事をさせた。少女たちは細かな点や線に夜光塗料を正確に塗るために、筆の穂先をなめて整えていた。
 少女たちは唇や爪にこの夜光塗料を塗ったこともあったという。暗い部屋で光る口や手を動かしてふざけて遊んだ。
それどころか一九一六年に発行された医学誌『レントゲン』は「レントゲン線にはまったく毒性がない。人間にとってのレントゲン線は植物にとっての太陽光線と同じくらい無害有用なものである」と記している。
《1900年には生物組織に影響を与えるという報告。ピエール・キュリーがラジウムを腕に貼り付け、火傷のような損傷を確認。医学教授らとの協同研究の結果、細胞を破壊する効果を確認》

1914年7月からの第一次世界大戦の最中、様々な器具に夜光塗料を塗って暗闇の中で発光させた。
《 夜光塗料を使ったものは、ブンカー(軍用の特殊防空壕)や潜水艦、塹壕で非常に好まれた。放射性物質が人体に悪影響を及ぼす性質も併せ持つとは、誰も思っていなかったのだ。 https://www.webchronos.net/features/38270/ 》
戦争後の1918年、その工場ではおよそ2000人の工員がフルタイムで夜光塗料を使う仕事についていた。
プルトニウムファイルのp40、41より
『ニュージャージー州オレンジの町には米国最大の文字盤塗装会社「合衆国ラジウム社」がある。同業の会社はコネチカット州、イリノイ州、ニューヨーク市にもあった。文字盤塗装工業は4000人ほどの女工がいて、うち800人がオレンジの工場で働いていた。』『出来高払いなので仕事は速く、日に250個から300個も仕上げる。女工はブラシを舐めて先をとがらせた(ティッピング)。そうすると文字の輪郭をうまくなぞれる。「半年で4000ミリグラムのラジウムを体内に入れる」と1933年の論文では推計されている。』『女工たちは、塗料のはねた服を着て帰宅し、暗がりできらきら輝くのを家族に見せた。唇や瞼や歯に塗料を塗ってデートに出かける女性もいた。』
『ニューヨークのセオドア・ブラムという口腔外科医が何かがおしいと気付く。』 続く

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プルトニウムファイル―アイリーン・ウェルサム/著 -- 翔泳社 -- 2013.1 [放射能検査と摘発、食品、水]

71KyLLw5z1L.jpgプルトニウムファイル 原タイトル:The plutonium filesの抄訳
副書名 いま明かされる放射能人体実験の全貌
著者名1 アイリーン・ウェルサム /著  
著者名2 渡辺 正 /訳  

出版者 翔泳社
出版年 2013.1
ページ数 16,549,6,2p 図版16p
版注記 2000年刊の新装版
ISBN 978-4-7981-3088-0
新潟市図書館収蔵 巻館 /559/ウ/ 

内容紹介プルトニウム原子の誕生から4年半、マンハッタン計画が正式に発足し、放射能の人体への影響を調査するためにアメリカは国費で放射能人体実験に着手していた…。当事者たちを取材し、国家ぐるみの人体実験の全貌に迫る。
ピューリツァー賞受賞ジャーナリストの大著、新装版で登場!「プルトニウムの人体投与」 本書は2000年8月に翔泳社より刊行された『プルトニウムファイル』上下巻を合本にしたうえで、若干の加筆・修正をし、訳者あとがきを一部新しくした新装版です。 プルトニウム原子の誕生からわずか四年半、マンハッタン計画が正式に発足し、放射能の人体への影響を知りたいがために、アメリカは国費をつかって放射能「人体実験」をはじめた。その厚い国家秘密の壁は、半世紀を経て一人の女性記者によって崩れはじめたのだった。そして「人体実験」の機密のヴェールは開かれ、コードネームだけの被害者たちは、ようやく生身の人間と変わった。 しかし、汚染されてしまった被害者の体は?実験によって亡くなった人は?秘密主義の名残りが、実験にかかわった医師たちの秘密隠蔽や言い逃れに変わるのか……?
ラジウム [ドア・ブラムという口腔外科医がそれに気づく。何かがおしい・・・・・・。一九一四年、時計の文字盤に夜光塗料を塗っていた若い女性が診察に来て、歯の治療のあと顎がなんだかおかしいという。口を開けさせたブラムは、見たこともない光景を目にする。歯医者は、あごの骨がボロボロになってしまった患者がいる、原因は時計の針に夜光塗料を塗る彼女の仕事にあるのではないかという疑いを報告。患者はまもなく死んだ。だが、なんの対策も取られず、]
目次
第1部 「産物」(プルトニウムは酸の味;カリフォルニア大学・放射線研究所 ほか)
第2部 核のユートピア(十字路にて;来る人去る人 ほか)
第3部 核実験のモルモット(スターリンの果たし状;兵士のモルモット第一号 ほか)
第4部 合衆国版・ナチ収容所(「マウスかヒトか?」;ヒューストンの「クリップ」軍医 ほか)
第5部 清算(「真実を言おう」;暴露と痛み ほか)
著者等紹介
ウェルサム,アイリーン[Welsome,Eileen]
1951年ニューヨーク市生まれ。テキサス大学オースチン校卒業。87年より『アルバカーキ・トリビューン』紙の記者(94年退社)。プルトニウム注射の報道記事で受賞したピューリツァー賞(94年)のほか、多方面の報道活動によりジャーナリスト協会公共部門賞、ジョン・ハンコック賞、全国ヘッドライナー賞、シュルデン・リング取材報道賞、新聞協会ヘイウッド・ブラウン賞、ジョージ・ポーク国内報道賞、スクリプス・ハワード公共部門賞などを受賞
渡辺正[ワタナベタダシ]
1948年鳥取県生まれ。東京大学大学院博士課程修了、工博。同大学助手・助教授・教授(生産技術研究所)を経て定年退職。2012年より東京理科大学教授(東京大学名誉教授)。生体機能化学、環境科学などを専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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津波想定のつまみ食いby東電①三陸地方の津波歴史 [東電核災害検証、吉田調書]

三陸沿岸には津波来襲回数が多い。1611年(慶長16年)、1616年(元和2年)、1651年(慶安4年)1676年(延宝4年)、1677年(延宝5年)、1687年(貞享4年)、1689年(元禄2年)、1696年(元禄9年)、1716~1735年(享保年間)、1781~1788年(天明年間)、1835年(天保6年)、1856年(安政3年)、1868年(明治元年)、1894年(明治27年)とおびただしい頻度で記録されている。
表  昭和三陸津波   杉戸 克裕=120930_24sinsai1_.jpg
昭和三陸津波   杉戸 克裕=120930_24sinsai1_06.jpg
沖合いは世界有数の海底地震多発地帯で、しかも深海のため、地震によって発生したエネルギーは衰えずそのまま海水に伝達し、太平洋に広がり、大陸棚を伝って海岸にむかう。太平洋に向いて山肌がせまる三陸海岸は、V字形、のこぎり・鋸の歯状に入り込んだ湾の奥に村落が存在する。海底は湾口から奥に入るにしたがって急に浅くなっている。巨大なエネルギーを秘めた海水が、湾口から入り込むと、奥に進むにつれて急激に海水は膨れ上がり、すさまじい大津波となってしまう。
1896年(明治29年)6月15日の午後7時32分30秒、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約150km(北緯39.5度、東経144度)を震源とするマグニチュード8.5という巨大地震発生。名は明治三陸地震(めいじさんりくじしん)>
図 明治三陸大津波ed.jpg
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図 明治三陸大津波d.jpg
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タグ:津波
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