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流砂ーヘニング・マンケル/著 -- 東京創元社 -- 2016.10 [放射能検査と摘発、食品、水]

71sFVlnQnlL.jpg流砂  原タイトル:Kvicksand
ヘニング・マンケル /著  
  柳沢 由実子 /訳  
出版者 東京創元社
ページ数 360p
ISBN 978-4-488-01065-2
出版年 2016/10/29
新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館 1階文学 /949.8/マン/
内容紹介
流砂は地獄への穴だが、私はなんとかそれに嵌らなくて済んだ-。がんの告知を受けた北欧ミステリの帝王は絶望といかに闘ったのか。著者の闘病記であり、遺言でもある魂の書。

2 意に反して影の世界に引き込まれる子どもたち より抜粋
 29 闇に光る歯  《》は他書からの補遺
サビン・アーノルド・フォン・ソチョキーというアメリカの科学者が1915年に、当時は”アンダーク(暗くない)”と云う名の放射性物質ラジウムを使った夜光塗料を発明した。《外部からの光・電磁波の刺激で発光する物質に放射性物質を混ぜ、放出される放射線の刺激で持続的に発光するようにした塗料》
《1916年、”ラジウム”を使った発光塗料がイギリスとフランスでは特許が登録。フランスは「ラジオミール」という名で登録されました。イタリア特殊潜水部隊の任務の多くは海中の暗闇で行われていた為、チューブ状の物に発光塗料を流し込み作業をする計器を照らし暗所での任務にあたっていました。当時では画期的な使い方となり、それでイタリア海軍が発注した。 https://www.jw-oomiya.co.jp/blog/wakayama/24350 》
フォン・ソチョキーは会社を設立し、若い娘たち――中にはまだ十二歳にも満たないような子どもや文字も読めない 少女もいた―を雇い入れ、暗闇で光る夜光塗料を時計の文字盤やロザリア十字架に塗る仕事をさせた。少女たちは細かな点や線に夜光塗料を正確に塗るために、筆の穂先をなめて整えていた。
 少女たちは唇や爪にこの夜光塗料を塗ったこともあったという。暗い部屋で光る口や手を動かしてふざけて遊んだ。
それどころか一九一六年に発行された医学誌『レントゲン』は「レントゲン線にはまったく毒性がない。人間にとってのレントゲン線は植物にとっての太陽光線と同じくらい無害有用なものである」と記している。
《1900年には生物組織に影響を与えるという報告。ピエール・キュリーがラジウムを腕に貼り付け、火傷のような損傷を確認。医学教授らとの協同研究の結果、細胞を破壊する効果を確認》

1914年7月からの第一次世界大戦の最中、様々な器具に夜光塗料を塗って暗闇の中で発光させた。
《 夜光塗料を使ったものは、ブンカー(軍用の特殊防空壕)や潜水艦、塹壕で非常に好まれた。放射性物質が人体に悪影響を及ぼす性質も併せ持つとは、誰も思っていなかったのだ。 https://www.webchronos.net/features/38270/ 》
戦争後の1918年、その工場ではおよそ2000人の工員がフルタイムで夜光塗料を使う仕事についていた。
プルトニウムファイルのp40、41より
『ニュージャージー州オレンジの町には米国最大の文字盤塗装会社「合衆国ラジウム社」がある。同業の会社はコネチカット州、イリノイ州、ニューヨーク市にもあった。文字盤塗装工業は4000人ほどの女工がいて、うち800人がオレンジの工場で働いていた。』『出来高払いなので仕事は速く、日に250個から300個も仕上げる。女工はブラシを舐めて先をとがらせた(ティッピング)。そうすると文字の輪郭をうまくなぞれる。「半年で4000ミリグラムのラジウムを体内に入れる」と1933年の論文では推計されている。』『女工たちは、塗料のはねた服を着て帰宅し、暗がりできらきら輝くのを家族に見せた。唇や瞼や歯に塗料を塗ってデートに出かける女性もいた。』
『ニューヨークのセオドア・ブラムという口腔外科医が何かがおしいと気付く。』 続く

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