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memo 戦略爆撃 原爆へ至る道 政府の防空デマ、鬼畜米英プロパガンダ(8) [原子力損害賠償制度]

 政府のデマ、プロパガンダ

natari2.jpgそして次のような物語が新聞に載った。【例えば,アメリカ兵が日本軍将兵の頭蓋骨等を記念品として国に送る話とか,戦場では日本の負傷兵が戦車で「ローラーで地ならしをするかのように押し潰」されたとか,「鉄条網で箕巻きにされ波打際に頭から杭のように埋められ」たと伝えられた。また,特に反響を呼んだものに「米誌『ライフ』五月号に臆面もなく掲載」された写真で,記念品として送られた日本兵の骸骨を前に少女がその寄贈者にお礼の手紙を書こうとしている図であった。
 こうした報道の要点は,アメリカ人が「男も女も残忍に陶酔」するような国民であり,「負ければ一億がペン軸」にされるということであった。サイパン玉砕について「日本の宣伝が鳴物入りではやしたてた場面は,一般植民者,農園主,官吏等の市民層の間で起こった事態」であった。当時,サイパンには43,000人の兵士と20,000人の非戦闘員がいた。後に「バンザイクリフ」という言葉と共に知れるようになる一般民間人の集団自決は,「一億決死ノ覚悟」を喚起する格好の材料として盛んに報道される。これらの悲劇は本土から2,000キロ離れた絶海の地で起きた事件であったが,情報局はアメリカの『タイム』8月7日号の記事を外電経由で新聞やラジオで紹介していた。
ドイツimages2.jpg 朝日新聞では『タイム』の記者が日本人非戦闘員の集団自決を「悲惨な自殺」と読んだことに対し,「われわれにとってはそれは断じて『死』ではない,『生』である,同胞の心情に宿り一億倍となってふき出すいのちである」と解説している。そして,タイムの記事の結びをそのまま,新聞記事の結びに引用する。「日本非戦闘員のこの自決こそ『日本人は全民族をあげて降伏よりも死を選ぶ』ということを表明しているのである」。・・中略・・戦後,「日本が負けたら,あなたとあなたの家族どうなると思いましたか」という質問に対し,68%のものが「残虐行為,飢餓,奴隷化,全滅」と答えている。
政府は少なくとも,この「おどし」によって戦争継続を選択の余地のないものと認識させることに成功していた。】

https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/11711/1/daigakuinkiyoseikei_31_1.pdf

防空images.jpgまた、アメリカ製の焼夷弾(中国に投下された不発弾)を入手して爆発させ、約100メートル四方に火焔を噴射する焼夷弾の威力を確認(昭和18年2月)。科学者は、焼夷弾の消火はほぼ不可能だと指摘していた。しかし、政府は「焼夷弾は消せる」とデマを流布した。それで「空襲など怖くない。逃げずに火を消せ」と国民に指示した。

検証 防空法:空襲下で禁じられた避難

検証 防空法:空襲下で禁じられた避難

  • 作者: 水島朝穂
  • 出版社/メーカー: 法律文化社
  • 発売日: 2014/02/07
  • メディア: 単行本


 

memo 戦略爆撃 原爆へ至る道 日本への戦略爆撃(7) [原子力損害賠償制度]

 日本への戦略爆撃

この敵国家の直接的破壊を戦略爆撃で行うには、戦略爆撃機基地のための拠点確保が重要である。実際、対日本戦で、戦略爆撃機基地のためB29が日本の主要都市に届く距離にある、マリアナ諸島の確保にアメリカ地上、海上兵力をまず投入している。その後は、中継基地、護衛用戦闘機の基地として必要だった硫黄島を奪い、最後に以後の戦略爆撃の拠点とするつもりだった沖縄を占領している。7月16日には嘉手納基地にヨーロッパから転戦してくる予定だった第8航空軍の司令部を置いた。

1944年6月16日、米軍は中国の成都を発信基地とする北九州爆撃とサイパン上陸作戦を心理的打撃を狙って同日に決行した。6月17日付の朝日新聞では、苦心の長距離飛行 我が本土を窺う敵空軍の悩みと題した記事を載せた。そこでB29の性能について「爆弾ニトン積載した場合」「行動半径2700キロ」であり、「爆撃四トン」の場合には「行動半径2200キロ」と述べられていた。行動半径2200キロというのはサイパンから本州までの距離に相当する。
B29の航続距離から中国の成都が発進基地での攻撃地域は、台湾、朝鮮半島、本土の北九州地域,中国地方日本海沿岸に限定される。

範囲image008.jpg 


こうした米軍の爆撃機の性能に関する記事が多くなった。このようにサイパンが米軍の手に落ちると、日本本土が空襲されることが知れ渡った。その不安は「朝鮮人ハ八幡市ヲ全滅サセル為灯ヲツケタ侭自分等ハ待避シテ居タラシイ」「今後其ノ様ナモノハ叩キ切ルト云フ」といった噂流言となっていた。

https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/11711/1/daigakuinkiyoseikei_31_1.pdf

6月24日、大本営は奪回の見込みなしとしてサイパン島の放棄を決定した。「サイパンハヤラレテ了ツタラシイテニヤンハ其レ以前二占領サレタラシイ」といった噂が流れた。
6月30日、学童疎開を閣議決定。
7月10日にはサイパン玉砕を公表。「ついにわが本土から二千余キロのサイパンに足かがりを作った」としB29なら「爆弾四トンを積んで六千キロ飛べるからサイパンからだと爆弾を五トンに増して来襲することも」ありうると報道されるようになった。


memo 戦略爆撃 原爆へ至る道 戦略爆撃の大焼殺(ホロコースト)化(6) [原子力損害賠償制度]

 爆弾+焼夷弾の火炎無差別空襲

1943年5月16日、英空軍はメーネとエダという大型ダムを爆破し、洪水を引き起こす爆撃を行った。1069人が死亡、行方不明225名、重軽傷1294名。

1943年7月末からのハンブルグ(人口約120万人)に、イギリス軍が夜間に続いてアメリカ軍が昼間に攻撃で8m_Eine20Mutter20C3BCber20dem20Kinderwagen20ihrer20Zwillinge20im20Tode20erstarrt.JPG昼7夜に及ぶ「24時間体制」の爆撃が計画された。24日午前1時頃に英空軍空襲が始まった。27日の空襲で「火災旋風」が起きた。炎を伴った竜巻が発生して、最大風速は240km/h、気温は800℃に達し屋外は溶鉱炉さながらとなった。市街は21km²に渡って焼け落ち、街路のアスファルトが突然発火して防空壕へ避難した者もしない者も大勢死亡した。約4万人が死亡した。ほとんどは地下防空壕から空気が吸い出された結果として発生した一酸化炭素による中毒の市民の犠牲者だった。市民の3分の2、約80万人が市を離れた。
 この約1週間の空襲、コードネーム「ゴモラ作戦」は、延べ3,095機の爆撃機が出撃して、40機がドイツ軍に落とされ、ハンブルク上空に到達した2,630機が約9,000トンの焼夷弾、爆弾を投下した。少なくとも5万人を殺し、負傷者3万7千人、約315,000戸の家屋が破壊され100万人を越えるドイツ市民が家を失った。その後の調査では死者の50%は成人女子、12%は子供、成人男子は38%、非戦闘員が多い。イギリス政府は後にこれを「ドイツのヒロシマ」と呼んだ。
 大工場の被害は少なく、五カ月後には空襲前の生産力の八割を回復したとされる。

43年11月、米国航空軍はノルデン照準器が無用の夜間攻撃とレーダー使用する爆撃を許可した。当時のレーダー使用爆撃は「盲目爆撃」というほど精密度が低かった。つまり、米軍の戦略爆撃は公式には軍事目標への「精密爆撃」であるが、実は無差別爆撃へと変更された。

1944年3月にチャーチル首相は米国に「炭疽爆弾」50万個を注文した。ドイツの地域に投下し、その地を居住不能にしようする生物兵器空襲を計画した。(連合軍がドイツ本土に侵攻するので取りやめになった。)。ダム爆撃による洪水作戦や爆弾+焼夷弾の火炎無差別空襲といい、「敵の武装軍隊と戦うという伝統的な軍事教義が放棄され、それに代って国民生活を攻撃するという計画がとり入れられた」(戦争研究、プラッケット、岸田純之助・立花昭訳、一九六四年)


44年6月6日のノルマンディー上陸作戦、当初からアイゼンハワー将軍はドイツ軍の輸送を麻痺させるため鉄道網と燃料供給を断ち切る石油とくに合成石油工場を爆撃することを計画した。それによって、フランスやベルギー市民も数万人単位で死亡することをやむなしとした。1500名のル・アーヴル市民を殺し、カーンでも3000名、ブローニュやカレーの湾岸要塞への爆撃で6000名という「フランス大虐殺」が行われている。
石油工場爆撃でドイツの石油供給は、その夏には激減した。

このように石油の供給が激減しても、ドイツ軍は頑強に抵抗し、秋になっても連合軍はドイツ国境を越えられなかった。それで、冬季に英米両軍はドイツの鉄道網にレーダー爆撃を開始した。これ表面上は鉄道操車場に精密爆撃を加えて軍事輸送を切断するものに見えるが、レーダー使用爆撃は「盲目爆撃」である。実際は軍事施設をもたない地方の小都市にまで無差別地域爆撃を加えることを意味した。

 44年12月から45年2月の「クラリオン作戦」は、そうしたドイツの小都市や村に低空飛行で侵入し、機体を見せつけ爆音で脅しつけ爆弾、焼夷弾で空襲する。鉄道網の破壊が表看板だが、ドイツの民衆を焼殺(ホロコースト)し、ドイツ人の戦意壊滅を狙ったである。1945年2月23日の夜に英国空軍(RAF)によって行なわれたプフォルツハイム市空襲で、町の人口の約4分の1、即ち17,000人以上が死亡し、町の建物の83%が破壊された。

1945年2月13日のドレスデン空襲では、重量のあるブロックバスター弾で屋根や窓を吹き飛ばして建物内部の木材をむき出しにし、その後に焼夷弾を落として建物を発火させ、最高で1,500℃もの高温に達する火災旋風を発生させる第一波空襲。さらに第二波空襲で消火及び救助活動に当たる人々を殺傷するという計画された。
 ドレスデンには目立った軍事施設もなく、「エルベ河畔のフィレンツェ」の別名の通り美しい街並みと数多くの文化財が知られた都市である。ドイツ軍も空襲に対してはほとんど無警戒であり、高射砲などの兵器も他地域に移動するなどして、空襲への防備は手薄。
 合計3900トンの爆弾、焼夷弾が投下された。第二波の空襲で疎開の子供たちを乗せて発車を待っていた列車は瞬く間に火に包まれ、子供たちは全員丸焼きになったそうである。14日昼の米軍の第3波空襲では、500㌧の爆弾と300㌧の焼夷弾が投下され、エルベ河畔にいた被災者を機銃掃射で狙い撃ち。
埋葬者は25,000人から最大で60,000人といわれる。しかし人口62万人で約20万人とも言われる避難民が当時、市に居たとされ正確な生存者数、死傷者数は判らない。

このドレスデン空襲の二十数日後には、東京大空襲が行われる。

ドイツ全体では第二次大戦中に131の都市や町が空襲を受け、英国空軍だけで100万トンの爆弾を投下し、60万人が直接死亡し、350万戸が全壊したと言われている。

ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945

ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945

  • 作者: イェルク・フリードリヒ
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2011/02/22
  • メディア: 単行本

memo 戦略爆撃 原爆へ至る道 精密爆撃(5) [原子力損害賠償制度]

 精密爆撃、その実態

 技術的には、「空の要塞」と呼ばれた B17の防御力とノルデン式爆撃照準器の開発が有った。これは爆撃態勢に入ると、機体のコントロールを操縦手は高度と速度を維持し、コースは爆撃手がノルデン照準器を操作して爆撃機を操縦する。風速・風向、機速や高度の補正コンピュータ機能あり自動調整して機を導く。投下終了後、操縦系統を操縦手が取り返して離脱する。目視照準なので、夜間爆撃時には全く使えない、もっぱら昼間爆撃になる。これで、理論上は高度10000mから投下で半数が目標の1m以内に着弾、「成層圏から漬け物樽に命中させられる」、20,000 feet (6,100 m)の高度から直径100foot(30m)以内の誤差で爆弾を命中させられるはずだった。
norudenn.jpg 1941年7、8月の航空戦計画部案では、58059機の航空機、179398人の航空士官で戦略爆撃をドイツに行うことになっていた。
 

結局、昼間は米軍のノルデン照準による精密拠点爆撃、夜間都市爆撃は英軍となり、ドイツの都市に昼夜を分かたぬ空爆を加えた。

現実には1943年1-11月の第8航空軍のB-17による実績では半径300m以内に着弾する爆弾比率は高度12000フィート(3657m)で44%、高度15000フィートで24%、21100フィート(6431m)で13%、27500フィート(8382m)で5%だった。“精密”には程遠く米軍もやはり“ばら撒き”だった

 ドイツ軍の高射砲 8.8 cm FlaK は有効射程は7620m、それ以上の高度をとれば目標から半径300m以内着弾は5%、的中はまずない。的中させるために高度を下げれば、回避行動を余儀なくさせる。「高射砲の炸裂を見る度に、操縦桿を倒して爆撃機を目標から逸らせてしまうのだ。」「目標上空での回避行動は、まるで標準作戦手続(SOP、standard operating procedure)だ。誰もが皆これをする。そして誰もが皆、爆弾をあらぬ方向へまき散らすのだ」(カーチス・ルメイ回想録)

 意図したものではないが、爆撃目標周辺の都市破壊と人的被害は凄まじくなる。それが繰り返される。「道義的制約は軍事的必要性と称するものにほとんど例外なく屈服」したそうである。

新装版 アメリカの日本空襲にモラルはあったか―戦略爆撃の道義的問題

新装版 アメリカの日本空襲にモラルはあったか―戦略爆撃の道義的問題

  • 作者: ロナルド シェイファー
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2007/06/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



memo 戦略爆撃 原爆へ至る道 industrial web theory(4) [原子力損害賠償制度]

 米国の参戦

1941年12月に真珠湾攻撃とそれによるドイツの対米宣戦布告によって、米国が欧州戦線に参戦します。陸軍航空軍(Army Air Force)第8航空軍が1942年2月に編成され、7月には英国に派遣。8月から本格的な作戦行動を開始。当初英空軍はこの航空軍も自らの指揮下に置くことを望むが、英国がそれまで行ってきた“夜間無差別爆撃戦略”に対する拒絶反応、在欧州アメリカ戦略航空軍司令官は、ドイツ国民に爆撃を加えることで彼らの士気阻喪を狙うという戦略に反対した公史に記されている。この将校は爆撃にともなう道義的責任を繰り返し提起し、ワシントンの航空軍司令部は司令部で、こうした作戦は航空軍政策と国家的理念に反するという理由で彼を強く支持したとも記されている。

1941年7、8月に航空戦計画部(Air War Plans Division/AWPD)が立案した、 米国の戦略爆撃理論では、敵国の産業構造を分析して全体の中枢(hub)、つまり輸送網、製造網の中心となる場所、輸送網なら鉄道の車両や路線が一箇所に集まる操車場、大都市の駅などが中枢(hab)をみつける。ここを叩くと、全体がマヒしてしまう心臓部(vital point)である。そこを繰り返し相手が修復したら再び爆撃、ひたすら爆撃を繰り返す。

PhysRevE.90.022806b.png当時、アメリカ都市部の鉄道で列車の遅延、運行の乱れが頻繁に発生していた。その原因を調査すると、鉄道ネットワークでは、路線上の一箇所に故障した列車が立ち往生し、線路をふさいでしまうだけで、次々と後続の列車が停止に追い込まれ、連鎖的にシステム全体がマヒしてしまう事がわかった。ここから、巨大なネットワーク(Web)でも、たった一箇所の破綻で、システム全体の崩壊につながる、という理論を導き出し、これを国家の産業構造、軍需産業を含む産業構造全体にも拡張適用した。ここを叩くと、全体がマヒしてしまう心臓部(vital point)になる産業の中枢(hub)を見出す。そこを繰り返し相手が修復したら再び爆撃、ひたすら爆撃を繰り返す。戦闘の目的を、敵国軍隊の殲滅から、「敵国家の直接破壊」に変えた。
全体の中枢(hub)はエネルギー産業、製鉄、輸送網。

「ドイツの場合、その国内輸送量の72%が鉄道、25%が運河を利用した水運だったため鉄道の心臓部、つまり弱点となる操車場や貨物駅施設、鉄橋などを徹底的に叩かれ、さらに水運の心臓部、運河の港湾施設も破壊されてしまい、お手上げ、となるのです。
 これでは、どんなに工場で兵器をガンガン作っても、それを前線に送ることができないし、そもそも工場に材料が入って来ないので、たとえ工場を直接叩かなくても、事実上、その生産能力を奪ってしまう事になりました。」

ドイツ国内の27の石油関連施設、窒素(nitorogen、火薬や化学肥料の原料)生産工場などは選ばれている。
http://majo44.sakura.ne.jp/planes/F22/F22-6/01.html

このように米軍の戦略爆撃理論は、イタリアのドゥーエ将軍の理論を爆撃目標の選定方法をブラッシュアップ・洗練して、産業構造全体の中枢(hub)を爆撃、攻撃目標にした。それは、ドゥーエ将軍の理論では攻撃、爆撃標的としていた人口密集地を標的から除くことでもある。

 ドゥーエ将軍の理論では高性能爆弾、焼夷弾、毒ガス弾などによる人口密集地の住民への爆撃、無差別爆撃は、兵士、民間人に区別はない総力戦であるから当然の攻撃である。「基盤である民間人に決定的な攻撃が向けられ戦争は長続きしない。」空爆で民衆にパニックを起こせば自己保存の本能に突き動かされ戦争の終結を要求するようになる。「長期的に見れば流血が少なくするのでこのような未来戦ははるかに人道的だ」とドゥーエ将軍は正当化している。
 米軍は、そのような正当化が必要な無差別爆撃を理論的には除いた。

新装版 アメリカの日本空襲にモラルはあったか―戦略爆撃の道義的問題

新装版 アメリカの日本空襲にモラルはあったか―戦略爆撃の道義的問題

  • 作者: ロナルド シェイファー
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