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覚書、移りゆく社会に抗して-村上 陽一郎 /著に示される傲岸 [核のガバナンス・パブコメ]

移り4166612522.jpg移りゆく社会に抗して   三・一一の世紀に
 村上 陽一郎 /著  
出版年 2017.7
出版者 青土社
ページ数 253p
大きさ 19cm
ISBN 978-4-7917-7001-4
著者紹介
村上 陽一郎 1936年東京生まれ。科学史家・科学哲学者。東京大学、国際基督教大学名誉教授。2015年瑞宝中綬章受章。著書に「人間にとって科学とは何か」「エリートたちの読書会」「死ねない時代の哲学 」(自分の死に方を自分で決めなければならない。)など。

内容紹介
福島の原発事故の前年まで、原子力安全・保安院に8年間参画した経験をいかに振り返るのか。
そして事故後も「再稼働反対」に与しない真意とは――。
三・一一以後だから、知識人は「想定」しなければならない。
終わらない震災、急速に更新される科学、文系廃止に対峙する大学、揺らぐ生と死の倫理などについて、広い歴史的視野と深い知性で、流れに抗して書き記す。
感想
自分の死に方を、自分で決めれると言う人の安全論。
無意識を含めた、御腹がすくと云った身体を含め、感じて行動する己・おのれの死を、
物心ついた2・3歳ころに己から生まれ己の中に在る、言葉で構成され思考する自分で決めれるという傲岸。
それが、導き出した3.11東京電力福島第一原発核災害。そして「再稼働反対」に与しないとの意思。

>赤頭巾ちゃん007 さんのレビュー 「 原発に関する内容は全く理解しがたい一冊」
第Ⅱ節ですが、わたしはここの内容を大批判したいです。著者は原子力安全・保安院の保安部会の部会長を8年務められたそうです(要は原子力ムラの一員ということです)。そこでは地震の「揺れ」についてはかなりの協議がなされ、改善実施がなされたそうですが、「津波」については誰も一考さえしなかったそうです。そこで起きたあの大震災。過去に何度も大津波による被害が記録されているのにもかかわらずです(著者はその点も認めています)。これは科学以前の問題かと思います。原子力発電所をそのような場所に建てること自体が非科学的です。
著者は原子力の代替としての火力も危険だと示唆しています(P96、97)。タンカーがテロリストの標的になるとか火災事故が起きるとかです。しかしそれは仮の危険性であり、原発の現在起きている問題と比べたら、軽い問題だと思います。たとえば現在でも垂れ流しになっている汚染水は地下水だけでなく太平洋の海水さえ汚染しています。放射性廃棄物の処理さえろくにできない現状はどうでしょうか。食品汚染から内部被爆へ。原子力発電所事故はどれだけ被害が甚大なことか科学の専門家の著者ならおわかりのはず。
P112に原発の再稼動について書かれています。あまりの著者の考えの甘さに正直残念な思いがしました。本文引用して批判します。
「原子力発電所の再稼動は、安全対策の面から考える限り、問題はないはずである。これまで稼動してきた現場を、一時的に停止して、十分な点検を行い、問題点があれば改修した結果、稼働中よりも『より安全』になったのだから、また、『フクシマ』の事故原因(細かい問題は別にして、最大の要素は冷却水のすべての電源が喪失したこと)への対応も施した結果でもあるのだから、再稼動に踏み切るのは『安全とリスク』の面からすれば、十分に合理的である」(P112)
→点検、改修を行ったのはすべて原子力関係者。身内のミスを身内で点検、改修して本当に安心、安全といえるのか?再稼動に当たっての評価基準さえ素人の国民にわかりゃしない。説明さえまともにしない。それは科学者のしごとではないのか?著者の言うように科学者は自分の関心興味ごとに自分の身内だけでシコシコやっていればいいのか?冷却水の問題もそうだが、水素爆発やメルトを起こしてしまったのはどうなのか?全然合理的ではない。
「福島第一原子力発電所も含めて、あれだけの強い揺れにもかかわらず、ほとんどすべての炉が、緊急停止し、新幹線の列車が、今回は脱線さえ起こさずに安全に止まった、というような事実とともに技術の信頼性を高めることとして、強調されてもよかったのではないか」(P121)
→炉は緊急停止しても水素爆発、汚染水の漏れ、メルトダウン、現在に至っても解決できないフクシマ原発の処理。。。を考えると技術の信頼性なんか高められないだろうし、落ちていく一方であろう。それに新幹線?こんな例は関係ないでしょう。原発についての議論を他に逸らすことはいけません。
P121~123 「メディアへの期待と思い」
長いので引用はしませんが、ここの文章を読むと著者への失望感が増大します。あまりにも甘すぎるからです。原子力ムラの癒着体質、国民無視の利益優先体質、生命軽視体質などへの視線、観点があまりにも欠如しすぎです。フクシマ問題は科学技術の観点だけ見れば良いわけありません。「安全をおろそかにして企業経営が成り立たない」。だから「東電は利益優先のせいで事故を起こしたわけではない」というのが著者のロジック。安全をおろそかにした企業なんてゴマンとあります。最近の神戸製鋼やタカタ、東芝などがそうであろう。東電は安全をおろそかにしておきながら、企業経営がまだなりたっているのだから不思議です。
そして企業として東電が反省しなければならないのは「原子力関係者の閉鎖的な空気」だそうです。ちがいます。本当に反省しなければならないのは「金の亡者になり、魂を悪魔に売り飛ばした利己主義的無責任企業体質」です。
著者はあくまですぐに完全廃炉にすることは反対だそうです。しかしながら原子力発電所を使っている傍ら、放射性廃棄物が排出される。それの処理さえままならない現状。やはり完全廃炉にするべきです。


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