SSブログ

「いないことにされる私たち」-- [防災ー中長期的避難、移住]

E1yhhzJUUAQR1kB.jpgいないことにされる私たち 
福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」
著者 青木 美希 /著  
出版年 2021.4
出版者 朝日新聞出版
ページ数 191p
大きさ 19cm
ISBN 978-4-02-251766-1
内容紹介
甚大な被害を及ぼした福島第一原発事故から10年。いまも7万人が避難しているのが現状だ。避難者たちは、国の政策に翻弄されながらこの10年をどう過ごしてきたのか、その実態に迫る。
著者紹介
青木美希[アオキ ミキ]
1997年、北海タイムス入社(休刊)。98年9月に北海道新聞入社。北海道警裏金問題(2003年11月から約1年の報道で警察が約9億6千万円を国と道に返還するに至った)を手がけ、取材班で菊池寛賞、新聞協会賞などを受賞。2010年9月、朝日新聞に入社。11年3月11日の東日本大震災翌日から現地に入って取材した。同紙の原発事故検証企画「プロメテウスの罠」に参加、また巨額の国家事業である除染がゼネコンなどに中抜きされ、手抜きが横行していた「手抜き除染」問題を張り込みでスクープ。両取材班とも新聞協会賞を受賞した。原発事故避難者の現状を描いた『地図から消される街』(講談社現代新書)は貧困ジャーナリズム大賞、日本医学ジャーナリスト協会賞特別賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


いつの間にか消えた9割の避難者
 私たちが、いつの間にか、避難者から消されている。
 福島県郡山市から大阪市に避難している森松明希子きん(47)は、区ごとの避難者数一覧表を手にして驚いた。
 東日本大震災での避難者は50万人を上回り(2011年3月20日付『朝日新聞』から)、11年4月、政府(総務省)は「全国避難者情報システム」の運用を始めた。避難した人が避難先の市町村に名前や避難前と避難先の住所を登録すると、避難前の自治体から通知などのお知らせが送られるようになる。政府や各自治体、支援団体が避難者たちにこの情報システムの登録を呼びかけ、森松さんも同年5月に避難してまもなく所定の「避難先等に関する情報提供書面」を、一緒に避瞳する長男長女と自分の3人分、3枚を記入して大阪市に届け出ていた。
 しかし大阪市が、森松さんの加わる「大阪府下避難者支援団体等連絡協議会」に、17年に回答した区別の避難者数一覧表には、森松さんたちが避難先として暮している区に自分たちを示す数字「1世帯3人、女2人男1人」が記されていなかった。避難者として数えられていないということだ。
81d9RNQo-03.jpg
 12年6月に超党派の議員立法により成立、施行された「原発事故子ども・被災者支援法」は、人々が居住、他地域への移動、帰還を自らの意思で行えるよう、いずれを選択しても政府が適切に支援する、と定めている。郡山市には避難指示は発令されなかったものの、政府は『放射線量が年間20ミリシーベルト未満だが『一定の基準』以上の地域」である同法の支援対象地域に指定している。
 支援対象地域からの避難者なのに、なぜ登録から漏れているのか。うっかり忘れられた、という可能性は低い。
 「賠償金をもらってていいね」「まだ避難しているのか」―避難者たちは否定的な言葉を投げつけられることも多い。しだいに疲弊し、匿名でないと取材に応じづらくなり、口をつぐんでしまう人もいる。
 森訟さんは取材に実名で応じ、顔を出して活動。明るい笑顔で国会、内閣府、大阪府、ときには子どもを連れてどこにでも行く。マイクを持つと、はきはきと早口で、身ぷり手ぷりをまじえて訴える。法学部と法科大学院で学んだ法的思考・知識と実体験を示しながら官僚や県職員に憲法、法律や各国からの勧告に基づいた施策を行うよう訴える。14年に関西で立ち上げた当事者の会、東日本大震災避難者の会「Thanks&Dream(サンドリ)代表でもあり、

nice!(0)  コメント(4) 

覚書、移りゆく社会に抗して-村上 陽一郎 /著に示される傲岸 [核のガバナンス・パブコメ]

移り4166612522.jpg移りゆく社会に抗して   三・一一の世紀に
 村上 陽一郎 /著  
出版年 2017.7
出版者 青土社
ページ数 253p
大きさ 19cm
ISBN 978-4-7917-7001-4
著者紹介
村上 陽一郎 1936年東京生まれ。科学史家・科学哲学者。東京大学、国際基督教大学名誉教授。2015年瑞宝中綬章受章。著書に「人間にとって科学とは何か」「エリートたちの読書会」「死ねない時代の哲学 」(自分の死に方を自分で決めなければならない。)など。

内容紹介
福島の原発事故の前年まで、原子力安全・保安院に8年間参画した経験をいかに振り返るのか。
そして事故後も「再稼働反対」に与しない真意とは――。
三・一一以後だから、知識人は「想定」しなければならない。
終わらない震災、急速に更新される科学、文系廃止に対峙する大学、揺らぐ生と死の倫理などについて、広い歴史的視野と深い知性で、流れに抗して書き記す。
感想
自分の死に方を、自分で決めれると言う人の安全論。
無意識を含めた、御腹がすくと云った身体を含め、感じて行動する己・おのれの死を、
物心ついた2・3歳ころに己から生まれ己の中に在る、言葉で構成され思考する自分で決めれるという傲岸。
それが、導き出した3.11東京電力福島第一原発核災害。そして「再稼働反対」に与しないとの意思。

>赤頭巾ちゃん007 さんのレビュー 「 原発に関する内容は全く理解しがたい一冊」
第Ⅱ節ですが、わたしはここの内容を大批判したいです。著者は原子力安全・保安院の保安部会の部会長を8年務められたそうです(要は原子力ムラの一員ということです)。そこでは地震の「揺れ」についてはかなりの協議がなされ、改善実施がなされたそうですが、「津波」については誰も一考さえしなかったそうです。そこで起きたあの大震災。過去に何度も大津波による被害が記録されているのにもかかわらずです(著者はその点も認めています)。これは科学以前の問題かと思います。原子力発電所をそのような場所に建てること自体が非科学的です。
著者は原子力の代替としての火力も危険だと示唆しています(P96、97)。タンカーがテロリストの標的になるとか火災事故が起きるとかです。しかしそれは仮の危険性であり、原発の現在起きている問題と比べたら、軽い問題だと思います。たとえば現在でも垂れ流しになっている汚染水は地下水だけでなく太平洋の海水さえ汚染しています。放射性廃棄物の処理さえろくにできない現状はどうでしょうか。食品汚染から内部被爆へ。原子力発電所事故はどれだけ被害が甚大なことか科学の専門家の著者ならおわかりのはず。
P112に原発の再稼動について書かれています。あまりの著者の考えの甘さに正直残念な思いがしました。本文引用して批判します。
「原子力発電所の再稼動は、安全対策の面から考える限り、問題はないはずである。これまで稼動してきた現場を、一時的に停止して、十分な点検を行い、問題点があれば改修した結果、稼働中よりも『より安全』になったのだから、また、『フクシマ』の事故原因(細かい問題は別にして、最大の要素は冷却水のすべての電源が喪失したこと)への対応も施した結果でもあるのだから、再稼動に踏み切るのは『安全とリスク』の面からすれば、十分に合理的である」(P112)
→点検、改修を行ったのはすべて原子力関係者。身内のミスを身内で点検、改修して本当に安心、安全といえるのか?再稼動に当たっての評価基準さえ素人の国民にわかりゃしない。説明さえまともにしない。それは科学者のしごとではないのか?著者の言うように科学者は自分の関心興味ごとに自分の身内だけでシコシコやっていればいいのか?冷却水の問題もそうだが、水素爆発やメルトを起こしてしまったのはどうなのか?全然合理的ではない。
「福島第一原子力発電所も含めて、あれだけの強い揺れにもかかわらず、ほとんどすべての炉が、緊急停止し、新幹線の列車が、今回は脱線さえ起こさずに安全に止まった、というような事実とともに技術の信頼性を高めることとして、強調されてもよかったのではないか」(P121)
→炉は緊急停止しても水素爆発、汚染水の漏れ、メルトダウン、現在に至っても解決できないフクシマ原発の処理。。。を考えると技術の信頼性なんか高められないだろうし、落ちていく一方であろう。それに新幹線?こんな例は関係ないでしょう。原発についての議論を他に逸らすことはいけません。
P121~123 「メディアへの期待と思い」
長いので引用はしませんが、ここの文章を読むと著者への失望感が増大します。あまりにも甘すぎるからです。原子力ムラの癒着体質、国民無視の利益優先体質、生命軽視体質などへの視線、観点があまりにも欠如しすぎです。フクシマ問題は科学技術の観点だけ見れば良いわけありません。「安全をおろそかにして企業経営が成り立たない」。だから「東電は利益優先のせいで事故を起こしたわけではない」というのが著者のロジック。安全をおろそかにした企業なんてゴマンとあります。最近の神戸製鋼やタカタ、東芝などがそうであろう。東電は安全をおろそかにしておきながら、企業経営がまだなりたっているのだから不思議です。
そして企業として東電が反省しなければならないのは「原子力関係者の閉鎖的な空気」だそうです。ちがいます。本当に反省しなければならないのは「金の亡者になり、魂を悪魔に売り飛ばした利己主義的無責任企業体質」です。
著者はあくまですぐに完全廃炉にすることは反対だそうです。しかしながら原子力発電所を使っている傍ら、放射性廃棄物が排出される。それの処理さえままならない現状。やはり完全廃炉にするべきです。


nice!(0)  コメント(0) 

中国の再生可能エネルギーの発電力量 [日々の雑感]

中国電力連合会によると、中国の2020年1-3月の総発電電力量は1617TWh=1兆6170億kWh。コロナウイルス対策のロックダウン、生産活動の制限で前2019年同期から電力消費=発電量は6.1%減少。第2次産業(製造業、建設業、鉱業、電力・熱・水道業)は9970億kWh(2019年比8.8%減)に、第3次産業(運輸業、金融業、通信業など)は2630億kWh(同8.3%減)。
 中国は低炭素電源優先原則がある。自然エネルギーと原子力の電力を優先的に供給するルールになっている。2020年1-3月に原子力発電は9億kWh微増(前年比1.2%)、風力発電は108億kWh増加(同10.4%)、太陽光発電は88億kWh増加(同19.9%)し自然エネルギー(バイオマス火力発電を除く)の総発電電力量は3530億kWhになった。2020年1年間では2兆2000億kWhになり、中国全体の電力消費量の29.5%になった。


2021年1-3月の自然エネルギー(バイオマス火力発電を除く)の総発電電力量は、4754億7000万kW・142%増加。

statistics_20180215.png




nice!(0)  コメント(0) 

私が原発を止めた理由 (樋口英明 (著) – 2021/3/1 [核のガバナンス・裁判]

私が原発を止めた理由 -2CIUL.jpg私が原発を止めた理由 
樋口英明 (著)
出版社 : (株)旬報社 
ISBN-13 : 978-4845116805
発売日 : 2021/3/1


大飯原発の差止め判決を出した元裁判長が、「裁判官は事件を論評せず」の伝統を破って初めて語った!
原発の耐震性は一般住宅より低いという衝撃の事実!
「原発敷地に限っては強い地震は来ない」という地震予知に依拠した原発推進あなたの理性と良識はこれを許せますか?
◆「はじめに」より
2011年3月11日福島第一原子力発電所で過酷事故が起きました。その時、福島第一原子力発電所で実際に何が起きていたのかをほとんどの人は知りません。時の経過とともに福島原発事故の深刻さが人々の意識の中から薄れていっているように思えます。福島原発事故から10年が経過しようとしていますが、あの事故から私たちは何を学ばなければならないのでしょうか。そのことを問い直したいのです。
原発の問題は福島原発事故の前も現在も我が国の最重要課題であり続けています。しかし、多くの人は、「あれだけの事故があったのだからきちんとした地震対策がとられているはずだ」、「多くの裁判所が再稼働を認めているのは裁判所も安全だと判断したからだ」とか、あるいは、「あんな嫌なことはもう起こらないはずだ」と漠然と思っています。
我が国の国策は安全な原発は積極的に動かすということであり、言い換えると危険な原発は動かさないということです。この国策に賛成の人にも反対の人にも、もしくは、現在の原発はそれなりに安全だと思っている人にも、原発の問題はイデオロギーの問題だと思っている人にも、保守の人にも革新の人にも、脱炭素社会の実現が重要課題だと思っている人にもそうでない人にも、等しく、原発の本当の危険性を知ってもらうのがこの本の目的です。
この本には原発の運転が許されない理由が書いてあります。
その理由は、以下のとおり、極めてシンプルなものです。
第1 原発事故のもたらす被害は極めて甚大。
第2 それゆえに原発には高度の安全性が求められる。
第3 地震大国日本において原発に高度の安全性があるということは、原発に高度の耐震性があるということに他ならない。
第4 我が国の原発の耐震性は極めて低い。
第5 よって、原発の運転は許されない。
IMG_2私.jpg
この理屈は誰にでも理解できるはずですし、福島原発事故の教訓を踏まえれば、誰もが納得せざるを得ないはずなのです。法律家を含む多くの人が、原発が危険かどうかを判断するためには、原発についての詳しい知識と地震学の知見が必要だと思い込んでいます。だから、原発推進派だけではなく、原発に対して中立的な人々あるいは中立的でありたいと思っている人々からも、「専門知識のない素人の裁判官に何が分かるものか」とか、「脱原発をとなえている人々もしょせん素人だ」という批判がなされるのです。
しかし、私が原発の運転差止め訴訟を通して分かったことは、原発の運転が許されない理由は極めてシンプルで当たり前のものだということです。高度の専門知識を用い、深遠な議論の末に原発の運転が許されないという結論が導かれるのではないのです。もし仮に、原発の問題がそのような議論の末に運転が許されないという結論が得られるような問題なら、あるいは専門家でなければ解けないような問題なら、素人の元裁判官である私がこの本を書こうとは思わなかったと思います。
裁判官が退官後とはいえ、自分が関わった事件について、論評することはほとんどと言ってよいほどありません。論評することが法に触れるわけではありませんが、論評しないことは裁判所の伝統であることは間違いないのです。なぜ、私がその伝統を破ってまで、原発の話をしなければならないと思ったのか。それは、専門家でもない私の目から見ても、原発の危険性があまりにも明らかだったからです。そして、原発の危険性が専門知識のない素人目にも明らかだということくらい恐ろしいことはないのです。
原発や地震学についての詳しい知識は要りません。思い込みを持たずにものごとを素直に捉える目を持った高校生以上の方が、この本を読んでいただければ原発の危険性がどれくらい大きなものかお分かりになると思います。そして、その原発を止めるために何をしたらよいのかについて考えていきたいと思います。
IMG_20210505_124.jpg
◆主な目次
はじめに
第1章 なぜ原発を止めなければならないのか
1 危険とは何か
2 福島原発事故とは
(1)福島原発事故の概要
(2)原発の仕組み
(3)安全三原則
3 被害の大きさにおける危険
(1)福島原発事故の被害
(2)2号機の奇跡
(3)4号機の奇跡
(4)免震重要棟の存在
(5)その他の奇跡
(6)原発事故の被害の大きさにおける真の危険性
4 事故発生確率における危険
(1)被害の大きさと事故発生確率は反比例する
(2)過去の地震のデータ
(3)原発の危険はパーフェクトの危険
第2章 原発推進派の弁明
1 住宅とは比較できない―1番目の弁明
2 原発の耐震設計は地表を基準としていない―2番目の弁明
3 強震動予測―3番目の弁明
(1)問題の所在
(2)強震動予測の信頼性
(3)3.11前の私と訴訟担当後の私
(4)なぜ多くの裁判長は差し止めを認めないのか
(5)まとめと新たな問題提起―地震動予測の問題点
4 電力不足とCO₂削減―4番目の弁明
(1)電力供給について
(2)脱炭素について
(3)化石燃料費について
5 原発を止める当たり前すぎる理由
6 放射能安全神話―原発推進派の最後の弁明
(1)新たな神話の登場
(2)1ミリシーベルトの意味
(3)黒い雨判決で明らかになったこと
第3章 責任について
1 3.11後の私たちの責任が重い理由
2 司法の責任
(1)問題はどこにあるのか
(2)これまでの訴訟と新たな訴訟のありかた
(3)裁判官の姿勢
3 私たちの責任
あとがき
福井地裁大飯原発運転差止め訴訟判決要旨
著者について
樋口 英明(ひぐち ひであき)
1952年生まれ。三重県出身。
司法修習第35期。福岡・静岡・名古屋等の地裁・家裁等の判事補・判事を経て2006年4月より大阪高裁判事、09年4月より名古屋地家裁半田支部長、11年4月より福井地裁判事部総括判事を歴任。
17年8月、名古屋家裁部総括判事で定年退官。14年5月21日、関西電力大飯原発3・4号機の運転差止を命じる判決を下した。
さらに15年4月14日、原発周辺地域の住民ら9人の申立てを認め、関西電力高浜原発3・4号機の再稼働差止の仮処分決定を出した。


nice!(0)  コメント(0)