SSブログ
核のガバナンス・裁判 ブログトップ
前の5件 | 次の5件

最高裁研究会での原発裁判の立証などのH24資料 [核のガバナンス・裁判]

平成25年2月12日の最高裁事務局主催の特別研究会(複雑困難訴訟)の議論の取り纏めの抜書き
court_004-001.jpg 講師 大学大学院教授 2名
     弁護士
     法務省大臣官房審議官 中山 孝雄
     新聞社論副委員長

 ここから入手
NPO法人(特定非営利活動法人)
情報公開クリアリングハウス
http://clearinghouse.main.jp/wp/

第1問 原発訴訟等関係
 2 高度な科学的、専門技術的知見が必要とされる事件において中立的な立場の専門家の確保が困難な場合に、的確に争点整理を行うための審理運営の工夫について【提出問題4~7】
  (1) 理運営上の工夫【提出問題4、5】
  (2)当事者の主張立証のあり方【提出問題6、7】
(講師) 科学的知見が対立するという場面は、原子力規制委員会でも当然想定されるが、そのような場合多数決で決するようであり、科学的知見をめぐって専門家間でも大きく意見が対立する場合には、おそらく、今まで多くの裁判官が悩んできたと思う。原爆症認定に関する訴訟の高裁判決で、被爆者の疾病が被爆に起因するかどうかの判断において示されたことが、原発関連訴訟でも参考になるかもしれない。すなわち、この高裁判決では、放射線起因性の判断において、前提となる科学的知見については、最も権威のある公的機関である放射線影響研究所の疫学調査を中心に検討するけれども、対立する科学的知見がある場合には、厳密な学問的意味における真偽の見極めではなく、一定の水準にある学問成果として是認されたものについてはあるがままの学的状態で判断の前提とするということ、また、放射線起因性は法律判断であって、確立した不動の科学的知見に反することはできないが、対立する科学的知見があれば、それを前提として経験則に照らして全証拠を総合して判断するということ、さらに、被爆者援護法の趣旨に則るということが示された。原発関連訴訟でも、対立する科学的専門的知見のどちらかに軍配を上げる必要はなく、そのような対立があるということを踏まえて判断すればよい。その際、公的機関の判断や多数意見は踏まえるにしても、法的判断としてはそれとは別にあってよいということなので、経験則に照らして判断することになるであろう。そして、災害が万が一にも起こらないようにするという法の趣旨に留意するというごとではないかと思う。対立する科学的知見がある中で判断するということの負担は重いと思うが、このようなスタンスで判断してもらえれば、結論がいずれであっても、納得性は高くなると思う。

 審理の在り方について、証人尋問方式ではなく、ラウンドテーブルで議論を尽くすというやり方は好ましいと思う。法廷から離れて非公式な場で行うと、当事者の目が届かないところで審理が進むことになり、当事者からはかなり強い抵抗もあるので、当事者の納得には配慮せざるを得ないが、ラウンドテーブル方式で、裁判所からも法廷では少し言いにくい質問等もどんどん出してもらって、議論を深めるというやり方もあるのではないか。
 原発関連訴訟ではそもそも鑑定的な手法は採り得ないと思うので、相対立する科学的知見、双方の主張をラウンドテーブル方式でフリーに裁判所に問いてもらって、理解を深めると同時に、判断も適正にやってもらうのがよいのではないかと思っている。

(講師) こと原発に関していえば、公正中立な専門家を得ることは難しいというのはそのとおりだと思う。ただ、注意しなければならないのは、裁判所が依拠すべき専門的知見は、確立された国際的な基準でなければならないということである。例えばA説とB説が対立した場合にどちらを採るかという話であれば、どちらの見解の方が権威のある国際機関の出した見解に近いのか、査読制度を持っている学術論文に掲載された見解に近いのかという観点で知見を評価せざるを得ないのではないか。

  また、被爆者援護法における放射線起因性(因果関係)の場合は、法の趣旨を前面に押し出しながら総合認定することが可能かもしれない。しかし、原子力行政に関係する事項は、原子力規制委員会がまず専門的知見に基づいて一定のスタンスで判断しているから、それに不合理な点がないか否かという姿勢で判断せざるを得ないのではないかと思う。

 審理の在り方としては、―つの方法としてラウンドテーブル方式で当事者から説明を受けることはあり得ると思う。ただ、その揚合は、裁判所がきちんと場をリードすべきである。過去には、相互に相手方の専門家の意見を批判するだけで終わってしまう説明会があったと関くが、そのようなものにならないように、何を日的に説明会を開くのか、そのスタンスを明確にした上で、裁判所がリードする必要がある。また、どういうルールで当事者が発言して、どういうことを確認するのかといった基本的な手続の持ち方を明確にすべきである。意見が対立するのであれば、どこまでが共通で、見解が分かれる原因はどこにあるのか、そういうことを確認する過程として使うことを明確にしなければならない。さらに、質問事項については、書面に具体的に記載して事前に出すようにしておくべきである。記載していないことを裁判所が補充的に聞くのは別として、当事者にその場の思いつきの質問を自由に許すと、専門家でも答えられない場合がある。そのために専門家の地位が低められるということがあってはならない。

  なお、当事者は、準備書面で必要な知見の説明をしているつもりであっても、裁判所から見て必要と考える説明が欠けていたり、よく分からないこともあると思われるので、その場合は、遠慮なく当事者に指示していただきたい。

(講師) 説明会方式も一定程度入れるということについては特に異論はない。しかし、前提としては書面でのやり取りがあるわけで、書面でのやり取りをしっかりやった上で、裁判所としてポイントをきちんと絞った上でやらないと、時間もかかるだろうし、ある種の非難合戦みたいなことになる可能性もある。

  証拠としてどう扱うかという話もなかなか難しいと思う。証人尋問として専門家を双方から同じくらいの人数ずつ、あるいは同じくらいの時間ずつ問くということが一つの方法かと思うが、証人尋問となると、専門家をつるし上げるといった問題が出てくる可能性がある。鑑定についてもそのような問題があったところを平成15年の民訴法改正で変えたのであって、そうすると、鑑定の方式で書面を出してもらう、あるいは鑑定人質問を行う方が本当はよいというところはある。ただ、医療過誤と追って鑑定人のリストがあるわけではないと思うので、当事者双方から同数ずつ推薦してもらい、それを裁判所が鑑定人として指定するという手法は、当事者の同意を得れば、当然許されてよいだろうと思う。

(講師) メディアにとっては、どういった人選が行われるかというのは非常に大きなチェックポイントになる。それは裁判所に限らず、原子力規制委員会のメンバーの人選や、現在活断層の調査をしている同委員会の中の専門家会合のメンバーにも同じことが言える。例えば、専門家会合のメンバーが決まった時点で、どういう人がメンバーに人っているか、その人はどういう考えの持ち主かをチェックする。それと同じように、裁判所の人選は非常に大きなチェックポイントになる。仮に偏った人選が行われると感じた場合には、厳しく批判し、審理の中立性に疑問を投げかける記事を書くことになる。したがって、中立的な専門家を集めるのが困難であれば、いかにバランスの取れた人選をするかというところが、一番注意すべきポイントになると思っている。

(研究・裁判官)医療過誤訴訟では、カンファレンス鑑定や複数鑑定という手法が採られていると聞いているが、そのような手法は、証人尋問よりはまだマイルドな、専門家に負担のない方法として考えられるか。

(講師) カンファレンス鑑定も複数鑑定も、少なくとも原発訴訟において使える手法とは思えない。複数の鑑定人にカンファレンスで議論をしてもらうと、もちろん違いは出るが、一致するところも出てくる。当事者としては、そこで意見が一致したら終わりなので、カンファレンス鑑定は非常に採りにくい。

  なお、鑑定人の負担を軽くするというのが民訴法改正の趣旨だったという指摘については、専門家の関与をしやすくして、裁判に専門的知見が入りやすくするという意味ではそうなのだが、必ずしも負担の軽減が改正の趣旨だったわけではないと思う。鑑定人の負担を軽くするということを考えすぎるべきではないのでばないか。

(研究・裁判官) 専門的知見は、なるべく積極的にいろいろなところで収集し、どちらかに偏らないバランスが取れたものを得たいと考えている。電力事業者や国側は、専門家を確保しやすいと思うが、原告側はどのように対応していけるのか。

(講師) 専門家を用意できなければ勝負にならないだろうというのは強く意識していると思う。特に、現実の事故が起きた後は、起きる前と比べて学会、学者の状況が大きく違っており、専門家の協力を得られる可能性が高くなったと思われるので、今後は原告側もきちんと準備していくということになろう。ただ、原告側はどうしても同じ人があちこちの裁判所に行くということになるであろう。

(研究・裁判官) 専門技術的知見を取り入れる方法として、ラウンドテーブル等で行われる説明会方式があるということだが、訴訟の比較的早い段階で説明会方式をやることによって、その事件を審理するに当たって必要な専門的知見を取り入れることができると思う。しかし、この種の訴訟はどうしても時間が長くかかって、説明会を受けたときの裁判官が異動でいなくなってしまうということも考えられるので、例えば説明会の様子を録画して後で事実上資料として見ることができるようにするとか、何か実務上の工夫が可能なのか、実際工夫をしているところがあるのか、そのあたりを聞きたい。

(講師) 原告側の立場では、2回目などあまり早い時期に説明会を実施するのは、当事者との間係で了解を得られるかという問題があって、抵抗があるのではないか。法廷の場から離れて自分たちの見えない場所で審理が進むということには、当事者からはそう簡単には了解が得られず、十分に説明しなければならない。したがって、当事者に、こういうところが争点になって、こういうところを説明するために場所を移ると説明するためにも、ある程度公開法廷で原告、傍聴席等に見える手続を行った上で実施してもらうのがよいのではないか。また、原則は、説明会を聞いてもらった裁判所に判断してもらうつもりでやっていると思うが、現実には異動ということも当然あるので、ビデオまでやるかはともかく、裁判所なりの説明会の内容のまとめをしたらどうか。例えば、専門委員の意見については調書化するなり記録に残すことがあると思うが、説明会についても同じようにして、そういうものを引き継げばよいのではないか。裁判所によっては、後任の裁判官は前任の裁判官のものを引き継がないという考え方もあるかもしれないが、当事者からすると、判断してもらうために説明を行ったのに、裁判官が替わってそんなの知らないよといわれるのは甚だつらい話である。

(講師) 専門的な用語や原子炉の構造の説明といったレベルの話であれば、若干の準備期間を置いた上で説明することは可能であり、裁判官が替わったらまたやってもいいと思う。しかし、もっとシビアなレベル、例えば、見解に争いがあって、こちらの方が専門的知見としでの確立度が商いのだという話などは、基本的には判断する裁判体に聞いてもらいたいという思いがある。説明会に何を求めるかによって、いつの段階で当事者が対応するのかも変わってくるのではないか。なお、録画しておくという方法も、当事者がよいといえばありだとは思う。

(研究・裁判官) システム開発の事件で、用語が非常に難しかったため、ラウンドテーブル方式での説明会を行ったことがある。期日としては進行協議期日で、用語の説明やシステムを持ち込んで実演をしてもらって、当事者に撮影してもらい、後で裁判官が替わったときには書証の形で出してもらうようにしたが、非常に分かりやすかった。時期については、あまり早い時期にやると裁判官も何を質問していいか、何を実演してもらっていいかが分からないので、充実したきちんとした説明会をするためにはレあまり初期の段階に行うべきではなく、ある程度主張が整理されて議論がかみ合ってきてから本当に聞きたい点に絞って行うということになるのではないか。また、原発の問題については、一人の中立的な立場の人から意見を述べてもらったり鑑定してもらったりするのは現時点では不可能だと思うし、カンファレンス鑑定もやはりなじまないと思う。したがって、双方から同じような数の証人を出してぶつけることになるよりほかないと思うが、そのときも争点が拡散したり議論が散漫になったりしないように、どの点が共通していてどの点に対立があるのかということを裁判所が絞り込み、聞きたいところを当事者に提示して認識を共通化した上でやるべきではないかと考えている。


最高裁研究会での規制委の新基準などのH24資料 [核のガバナンス・裁判]

平成25年2月12日の最高裁事務局主催の特別研究会(複雑困難訴訟)の議論の取り纏めの抜書き
court_004-001.jpg 講師 大学大学院教授 2名
     弁護士
     法務省大臣官房審議官 中山 孝雄
     新聞社論副委員長

 ここから入手
NPO法人(特定非営利活動法人)
情報公開クリアリングハウス
http://clearinghouse.main.jp/wp/

◎ 審理運営の在り方
(3)現在進行形で進められている調査、研究や安全基準の策定等を視野に入れて、審理運営をどのように考えるべきか。【提出問題2、3】
(講師) 繰り返しになるが、原告側にとっての当面の焦点は、新しい安全基準、指針に対してどう働きかけて意見を反映できるかということであり、その指針に基づいてされるであろう見直し作業において、審査の過程に多様な意見がきちんと反映されるかどうかということも含め、適切な経過をたどるかどうかに注目していくということではないか。その折々に力点を置かなければならないことがあり、何でもかんでも裁判所に判断を求めるというやり方は採るべきではない。原発訴訟に関しては、今は司法が動く、あるいは、原告側が司法を動かすという時期とは思わない。そういう意味で、新しい安全基準がきちんと策定されてその判断が出るまで、原発訴訟はしばらくお休みしましょうというのも一つの見識であると思う。原子力規制委員会の判断においてふるい分けられた結果として残ったものについては裁判所に持ち込まれることになると思うが、今はそのふるい分け過程であり、適切なふるい分けがされるかどうかということに力を注ぐべきである。

(講師) 原子力規制委員会が策定中の安全審査基準は、福島第一原発事故の知見も取り入れ、おそらく確立された国際的な基準を踏まえたものになるのではないか。そうすると、現在の科学技術水準を把握する上でも、同委員会が策定する審査基準は影響を与えると思うので、審査基準ができる7月を持つ必要があろう。
  また、遅くとも7月19日までに施行される改正原子炉等規制法では、めぼしいものとして二つの制度が導入されるようである。あくまで条文のレベルでの話だが、一つは、いわゆるシビアアクシデント対策が設置許可基準の中に人ってくることである(同法43条の3の5第2項10号、43条の3の6第1項3号)。旧法に基づいてされた原子炉設置許可は,改正原子炉等規制法に基づいてされた処分とみなすという規定が置かれているが(原子力規制委員会設置法附則22条1項)、改めて事業者にシビアアクシデント対策について届出をさせて、原子力規制委員会の審査を経て、基準(改正原子炉規制法43条の3の6第1項2号から4号まで)に適合しないときは、届出に係る事項について変更を命ずることができるという制度が設けられている(原子力規制委員会設置法附則23条1項)。その届出を怠り、又は変更命令に違反したときは、設置許可の取消し等もできる(同条5項)仕組みが作られている。もう一つは、シビアアクシデント対策をクリアした場合も、原子炉施設が改正原子炉規制法43条の3の6第1項4号の基準に適合しないと原子力規制委員会が認めたときは、これに適合させるため、いわゆるバックフィット命令という形で、原子炉の運転停止、改造又は移転等を命ずることができ(同法43条の3の23第1項)、その命令に違反したときも原子炉設置許可の取消し等ができるようになっている(同法43条の3の20第2項4号)。

  いわゆる3条委員会として独立性,中立性を保って権限を行使する原子力規制委員会が、これらの制度について、どのような判断、運用をしていくのかを見守る必要があるのではないか。

  行政訴訟の要件論で却下できるような訴訟や,民事訴訟として不適法な訴訟については、粛々と判断すればよいであろうが、原子炉設置許可取消(無効確認)訴訟については、相当慎重な姿勢で審理し、原子力規制委員会の規制の実情をフォローしていきながら、訴訟を進めていくべきである。

(講師) 伊方原発最判のいう「現在の科学技術水準に照らし」て妥当な線は何かということをまさに今議論している最中なので、裁判所は、基準が策定され、再稼働に関する判断がされるまで基本的には待つべきである。伊方原発最判の枠組みによると、基準の合理性と当てはめの合理性を現在の科学技術水準に照らしてまず被告が証明しなくてはならないということだが、現在はそれができず、被告にとって極めてシビアな状況にある。他方で、伊方原発最判においては、現在の科学技術水準に照らして合理性がないときにどうするかまではっきりとは言っていない。新しい原子炉等規制法が設けたバックフィット命令等の制度の趣旨にかんがみると、現在の科学技術水準に照らして基準等に合理性が認められないという判断をしたからといって、裁判所が今いきなり設置許可の取消しという判決まで本当にできるのかという問題がある。仮に、現時点で裁判所が判断を下しても、当事者、裁判所のいずれにとっても納得のいく解決が得られない状況にあるので、裁判所はもう少し待つべきではないかと思う。

(講師) 同様に、裁判所は判断を待つのが妥当であると考えている。再稼働の差止めだと、おそらく新しい基準が出てからそれに照らしてということになるのだろうし、そうするとそごまで急ぐ必要はないところもあるだろう。また、動いている原発の差止めの場合でも、本当に急がなければならない危険性があるというのでなければ、そこまで審理を急がなくてもいいのではないかと思う。 7月に安全基準が出た後に当事者からそれに対する主張が出るだろうし、外部のいろいろな議論もあるだろうから、また時間がかかるかもしれないが、あまり急がずに慎重にやるということになるのだろうと考えている。

(講師) 同様に、今は司法が動くときではないと思っている。今ストップしている原発の再稼働の是非を判断するときに、まず原子力規制委員会が結論を出すわけだが、それが最終結論になるのか、あるいはその先にまた政治判断が絡むのか、というところが今の時点でははっきりしていない。さらに、原発付近に活断層があるかどうかという新たな要素が加わってきて、これも最終的な再稼働の是非の判断を左右してくるのだろうと思う。要するに、現在,原発を動かすかどうかというルールが確立されていない状況にあり、そうした中で、個々の裁判官、裁判所が独自の判断を示していいのかという素朴な疑問が当然出てくるわけである。この時点で、個々の判断を示して判決を出すというのは、結果的に国の今後の原発政策の中で混乱をもたらすということになるのではないか。

(研究・裁判官) 原告がどういう形で行政訴訟を起こすのかについてはいろいろあり得るが、一つの形態としては、現に動いている原発について。電気事業法40条に基づく運転の停止命令の義務付け訴訟があり得る。これは、新基準が策定されると判断の枠組みが変わり得ることから、新基準を待って判断すべきであると思われる。例えば、現行の基準だと基本設計に関する基準に入れるのかどうかも争われる事項が、新基準ではそれも基本設計の範囲に取り込まれて、新基準の中で基本設計に関する基準の違反の問題として主張されることも生じ得る。そういう観点からも、新基準を待ってからの判断になるべきであると思っている。

(研究・裁判官) 今動いている原発の運転差止めを求める仮処分事件が係属したときのことを想定すると、新基準を踏まえた審理をするかどうかということが一つ重要な判断になってくると思う。仮にこれを待つとすると、例えば7月に新基準が出たとして、そこから審理しても例えば半年や1年はすぐに経ってしまうのではないか。そういったことが見込まれ、債権者(周辺住民)が直ちに止めて欲しいとして民事保全の申立てをしている中で、保全の迅速性との折り合いをどう付ければよいのかというのは、かなり悩ましいところであると思われる。

(研究・裁判官) 保全となると迅速性が求められるが、とはいえ、今、判断の対象となる基準が策定されているわけであって、その中でどのように判断するのか。原子炉は13か月ごとに定期検査に入るので、今動いている原発もおそらくしばらくすると定期検査に入っていくという状況もある。

(講師) 判断を待っていいというのはあくまでも原発が止まっているということが前提であり、自分が原告や債権者の立場であれば、現在稼働しているものについては、これらが福島第一原発事故を踏まえた現在の知見に照らし安全性の面できちんとクリアできているのかどうかということにつき、再稼働させた側の合理的説明がされているのかという観点で、裁判所に判断をするよう求めると思う。

(講師) 民事保全の場合は保全の必要性のみならず被保全権利の問題があり、保全の必要性が強いから被保全権利は疎明が弱くてよいという話にはならない。保全の必要性との関係では、債権者側が主張する差し迫った危険は確かに極めて重大なものであると思うが、それだけでなく、原発を動かさなければならない側の事情も考えなければならず、結局は被保全権利の問題をきちんとやらなければならないと思う。債権者側からあくまで現在の知見でやってくれといわれても、裁判所としては、判断を示すことはなかなか大変ではないかと思う。ただ、私は実際の双方当事者の主張や疎明資料の内容を承知しているわけではないし、現時点で判断を示すべきなのか示すべきでないのかについて確たる意見を申し上げることができない。仮処分命令の申立てを受けている裁判所が、本案訴訟での審理とは異なる手続運営を当事者から求められることは、今のご発言をいただいて理解できたので、民事保全では、裁判官の方々が、訴訟にもまして大変な判断を迫られていると想像している。


最高裁研究会での再稼動差止訴訟などのH24資料 [核のガバナンス・裁判]

平成25年2月12日の最高裁事務局主催の特別研究会(複雑困難訴訟)の議論の取り纏めの抜書き
court_004-001.jpg 講師 大学大学院教授 2名
     弁護士
     法務省大臣官房審議官 中山 孝雄
     新聞社論副委員長

 ここから入手
NPO法人(特定非営利活動法人)
情報公開クリアリングハウス
http://clearinghouse.main.jp/wp/

○ 民事上の差止訴訟における判断枠組み等
(2)民事上の差し止め請求における違法性の判断の在り方についてどのように考えるか、行政訴訟との間で違いはあるか。【提出問題1】

(講師) 大半の原発が稼働を停止しているという現状では、民事差止訴訟においては再稼働をめぐる議論が主要なものになると理解している。そこでは、福島第一原発事故で現実化した原発の危険性について、これに関わる問題が解決しているかどうかということが焦点になる。先ほど、福島の経験は必ずしも全ての原発に当てはまるものではないという意見があったが、むしろ、福島で提起された問題がきちんと解決されているかどうか、福島とは違う例外といえるのかどうか、という観点で考えるべきではないか、今後、新しい安全基準が策定され、それに基づいて原発のふるい分けがされると思われる。その際には新しい安全基準の合理性と当てはめの合理性が争点になるが、新しい安全基準ができていない段階での原発の再稼働はそれ自体が問題ではないか。なお、具体的な訴訟類型としては、伝統的な人格権に基づく民事差止訴訟のほか、原子炉等規制法に新たに盛り込まれたバックフイット制度に基づいて原子力規制委員会に対して使用停止を命じることの義務付けを求める行政訴訟等も想定される。

  立証責任については、行政訴訟と枠組みを変える必要性は必ずしもないと思う。伊方原発最判の判断の根拠となっている証拠の偏在という状況は変わらないし、福島第一原発事故により原発の安全神話が崩れ、原発事故は取り返しのつかない事態を発生させる一方、原発を止めても取り返しのつかないことにはならないといった経験則が得られたことに照らせば、伊方原発最判を民事差止訴訟の枠組みでも適用すべきだと思う。

(講師) 人格権に基づく民事差止訴訟の場合、原告らが許容限度を超える放射線に被曝する具体的危険性を基礎付ける具体的事実があるかどうかが審理の対象となる。その審理の対象を支える事実としては、基本設計に係るものであろうと詳細設計に係るものであろうと、ロ頭弁論終結時までに存在するあらゆる事実を主張できるという建て付けになると思う。他方で、原子炉設置許可取消し等の行政訴訟については、口頭弁論終結時の科学技術水準に基づいて判断するところは民事差止訴訟と同じだが、審査対象事項が、基本設計の安全性であり、旧原子炉等規制法24条1項4号であれば災害の防止上支障がないかどうかについて伊方原発最判の枠組みで判断することになってくる。そこで、処分当時に用いられた具体的審査基準や同基準への適合性判断の合理性を現在の科学技術水準に照らして審査することになるが、主張し、考慮できる事実は基本設計に関する事項に限られており、そのような審理構造の違いはあると思われる。ただ、現在の科学技術水準の内容は、原子力規制委員会が策定する安全審査基準の内容によって影響を受けるものもあるという点では、どちらの訴訟も同じであろう。

また、主張立証責任は、おそらく伊方原発最判と同様に考えることになるのではないか。

(講師) 民訴法の研究者は、伊方原発訴訟が行政訴訟であったからあのような基準になったとは考えておらず、この種の訴訟では民事訴訟であっても妥当する考え方だろうと受け止めている。民訴法学界でも、伊方原発最判が示した、主張立証責任と実際の主張立証を尽くす一種の行為義務(結果に跳ね返ってくるという意味での責任)の枠組みは妥当なものであると受け止められている。 したがって、民事差止訴訟についても、下級審で実際に行われているように、行政訴訟と同様の手法によって判断がされるという点はよいと思っている。

 判断すべき事項は、人格権侵害のおそれがあるかどうかということなので、原子炉設置許可の基準になっているもの以外の、詳細設計にわたるような事項などについても、人格権侵害につながる事故の原因となり得るのであれば、当然民事差止訴訟の対象として判断がされることになると考えられる。また、今回の事故を受けて、訴訟においてかなり充実した科学的知見が出てくると思われ、耐震の関係でも、活断層をどこまで捉えるかといった点などについて議論の進展があると思うので、最新の科学的知見を踏まえて、専門家の意見について本当に合理性があるのかどうかを丁寧に見ていくことになると考えている。

(講師) 伊方原発最判は、証明責任について行政裁量論をあまり前面に出して論じていないので、その意味では民事差止訴訟にも応用が利くものであろうと思う。つまり、本来は原告が証明責任を負うが、証拠の偏在等があるので、被告がまず安全性に関する主張立証を行う必要があるということである。そして、安全性の証拠という場合に一番重要になると思われるのは安全基準やその当てはめの判断の部分だと思われるので、その意味でも重なってくるのは自然なことなのではないか。細かいことを言うと、被告側がまず主張立証しなくてはならないのは基準への当てはめの合理性の部分であり、基準の不合理性については原告側が立証責任を負うという考え方もあるので、そこのところは意見が分かれる可能性がある。私は、証拠の偏在等は、基準の合理性であろうと基準への当てはめの合理性であろうと変わらないので、あまり区別する必要はないのではないかと思う。それでは行政訴訟と民事訴訟とで何が違うのかというと、一つは、行政訴訟(原子炉設置許可取消訴訟)の場合は対象が基本設計に限られるが、民事訴訟の場合はそのような限定はないということである。もう一つは、民事訴訟の場合には人格権侵害のおそれがあるということまで証明がされなければならないが、行政訴訟の場合は、原告適格が認められて、基準の合理性、基準への当てはめの合理性がないということを言えばよく、具体的に個々の人格権侵害のおそれがあるというところまで言う必要はない。


(講師) 裁判所が違法性を判断するに当たってポイントとなるのは、リスクをどこまで許容するかということだと思っている。ゼロリスクを求めて、起きる可能性が限りなくゼロに近いシナリオを描いて絶対的安全を求めるという姿勢であれば、原発等の科学技術は社会の中で成り立だなくなるのではないか。大切なのは、原発がもたらす利益を考慮して社会が許容できる範囲の中で安全性が確立できているかどうかという考え方である。その安全性の対的に高くなっているという状況ではないか。

(研究・裁判官) 政策的裁量と専門技術的裁量の区別についてはどう考えるべきなのか。つまり、ある地震なり津波なりの条件を設定した上で、それに耐えられるかどうか、そういう設計になっているかどうかは専門的な判断の問題だろうと思うが、どこまでの事態を想定するか、あるいは、人間の力ではゼ戸にすることのできない事故のリスクにつきどこまでの確率なら許容するのかというのは、専門技術的裁量の問題ではなく政策的決断の問題であって、裁判所の判断になじまないのではないかという気もする。

(講師) 専門技術的な判断といっても、一義的な答えが出てくるというわけではなく、専門家の集まった組織で一定の手続を踏んで決定されたことなので尊重するということになるのではないか。例えば、何年前の活断層を考慮するのかという点について、確かに裁判所がダイレクトにここまで考慮すべきだとはなかなか言えないだろうと思うが、行政庁が行った判断に対してそれが合理的なのかということはチェックしてしかるべきであり、その限りでは裁判所の役割というのは残るのではないか。

(講師) 福島第一原発事故のいくつかの教訓から、これまで想定されていなかった事態も想定されてしかるべきだということが出てくると思われる。どのくらいの地震や津波を想定するかについては、いろいろな意見があるが、行政庁が想定したものについて原告側でその想定は不合理だということが立証できているかどうかということで判断するしかないのではないか。ただ、少なくとも、今回の事故の経験で想定されたことがクリアできているかどうかはきちんと見るべきである。

(講師) 議論としては、相対的な安全性のレベルをどのあたりに設定するのかという話に収れんされ、この点も専門技術的裁量の一範疇に属するのではないかと考えている。したがって、その判断も第一次的には原子力規制委員会が専門的知見に基づいて行うことであって、その判断を裁判所がチェックしていくのだと考える。

(研究・裁判官) 伊方原発散判の判断枠組みのうち、「現在の科学技術水準」という部分及び基準適合性判断の過程の看過し難い欠落の部分について、福島第一原発事故を踏まえて検討する必要のある場面が出でくるということではないか。

(講師) 報道等からすると、原子力規制委員会が7月をめどに策定する安全審査基準に、東日本大震災や福島第一原発事故に関する研究を踏まえた基準が盛り込まれるようである。例えば、シビアアクシデント対策を新たに設けるとか、想定律波高を設けるとか、そういう形で基準に盛り込まれる部分があるのだろう。その意味で「現在の科学技術水準」は福島第一原発事故を踏まえたものになるといえる。ただ、伊方原発最判にいう「具体的審査基準」は、「具体的」というが、科学的知見が将来動くことを前提に、安全性に係る基本構想を審査する基準であるから、一定程度、概括的なものにならざるを得ないJまた、現在の科学技術水準に照らして、当時の具体的審査基準が不合理か否かや、基準への適合性の判断に過誤欠落があるか否かの判断は、個別具体的なものになることに留意しなければならない。例えば、もんじゅ訴訟の平成17年最高裁判決では、蒸気発生器伝熱管破損事故につき、現在の知見では高温ラプチヤ型破損を考慮しなければならないのに、当時はウェステージ型破損しか考慮していなかったとはいっても、他の機序によって災害が防げるのであれば、適合性の判断の過程に著しい過誤欠落はないという判断がされでいる。このように、個別の事象ごとに判断していくので、一般論でひとくくりにするのは相当ではないと感じている。

(講師) 現在の科学技術水準についても基準適合性判断の過程の看過し難い欠落についても、ハードルが上がってしかるべきだと思っている。当面の焦点は、新しい安全基準がどう策定ざれ、中身はどうなるのかということである。訴訟の話題からは離れるが、原告側の立場で今、最も焦点を当てて取り組むべきは、この新しい安全基準についで、きちんと安全性が確保されるような基準にするための活動であると思っている。個別評価だという意見はそのとおりだと思うが、原告側の立場では、今回の経験がきちんと新しい基準に反映されているかどうかをシビアに見るのに対し、行政の側は現実的な基準であると主張していくのではないか。

  また、万が一の事故という点に関して、伊方原発最判の判断枠組みは、万が一の事故も起きないようにということで策定されたものだと思っているので、原告側としては、万が一の事故も起きないようにというところにウェイトを置いて主張することになると思われる。


最高裁研究会での東電核災害などのH24資料 [核のガバナンス・裁判]

 平成25年2月12日の最高裁事務局主催の特別研究会(複雑困難訴訟)の議論の取り纏めの抜書き
court_004-001.jpg 講師 大学大学院教授 2名
     弁護士
     法務省大臣官房審議官 中山 孝雄
     新聞社論副委員長

 ここから入手
NPO法人(特定非営利活動法人)
情報公開クリアリングハウス
http://clearinghouse.main.jp/wp/

第1問 原発訴訟等関係
 1福島第一原発事故発生後の諸情勢の動きが、原発関連訴訟に係る裁判所の審理運営や判断の在り方に及ぼす影響について【提出問題1~3】
 ○ 行政訴訟における判断枠組み等
(1)原子炉設置許可取消訴訟等の行政訴訟における従前の判断枠組みについてどのように考えるか。裁判所の審理の内容ばどのようになるか。【提出問題1】
(講師)福島第一原発事故は起こるべくして起こった事故である、という現実からまず出発すべ きである。また、原発事故は一度起きたら取り返しがつかない事態になる一方で、原発を 止めても当面取り返しのつかない事態にはならない。安全性が確保されていない原発の原 子炉設置許可を取り消しても、新しい基準に基づいて審査をやり直せばよく、原発がなく なるわけではない。国や電力会社がやっていることだから、あるいは、専門家が言ってい ることだから間違いないだろうとか、3人の裁判官では国家施策に関わる判断をしかねる といった、行政裁量論や専門裁量論の根底比あると思われる潜在意識は、少なくとも原発 に関しては払拭されてしかるべきではないか。

 こういう観点から伊方原発訴訟の最高裁判決(以下「伊方原発最判」という。)を見直してみると、災害が万が一にも起こらないようにするという観点からまずは行政庁が不合理な点のないことを相当の根拠資料に基づき主張立証する、尽くさない場合には不合理な点があることが事実上推定される、という議論には、改めて価値が出てきたと思う。ただ、今回の一連の事態を踏まえてみるならば、当時の原子力委員会の専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の公益的判断に委ねるというような大幅な行政裁量や、審査対象を基本設計に限定するという判断は、見直しがされるべきであると思う。

(講師)福島第一原発事故が起きたこと等を契機として、処分庁に対する社会的な信頼が失われたから、処分庁の専門技術的裁量を狭くすべきであるとか、裁判所の審査密度を高めるべきだといった意見が出てきているが、伊方原発最判が示した、専門技術的裁量を前提とする裁量統制型の判断手法自体は維持されるべきである。なぜなら、処分庁に専門技術的裁量が与えられていることや、それを前提に裁判所がどういう司法審査の在り方を採るべきかは、原子炉等規制法という実定法の解釈から導かれる事柄だからである。法律の基本的な仕組みが変わらないにもかかわらず、その解釈が変わるというのは相当ではない。

では何が変わる可能性があるのかというと、東日本大震災と福島第一原発事故の発生により得られた様々な教訓や知見の中には、伊方原発最判がいうところの「現在の科学技術水準」の一部を形成するものがあるということである。そこで、今後は、それらを含む現在の科学的水準に照らして、基本設計の安全性について、審査に用いられた具体的審査基準に不合理な点がないか、あるいは、具体的審査基準適合性の判断過程に著しい過誤欠落があったかどうかが判断されることになる。ただ、留意すべきことは、裁判所が依拠すべき科学技術水準は、あくまでも国際的に確立された基準ないし誰からも支持されるような科学的知見又は経験則でなければならないということである。そして、このような基準や経験則等が確立されるためには、慎重な検討作業を要し、時間もかかる。また、福島第一原発事故があったからといって、そこで得られた知見等が、立地条件や地形等の異なる各地の原発全てに当てはまるわけではなく、全国一律に結論が出るというものでもない。そういう意味で、裁判所は、科学的知見については、何が確立されたものなのかを慎重に把握した上で、処分行政庁の判断に不合理な点がないか否かを検討する必要があると思う。

(講師)伊方原発最判で示された司法審査の在り方は、当時の原子力委員会といった専門機関の判断に基づいているということを理由にして、裁判所は行政庁の判断をある程度は尊重する、しかし、広い裁量というものまでは認めない、というものであるが、この考え方は学界でも比較的支持されており、私自身も基本的には支持してよいと考えている。したがって、司法審査の方法として、まず行政庁の側が判断の合理性に関する主張立証をし、その上で、裁判所が行政庁の示した判断過程に沿って、安全審査基準の合理性とその基準のあてはめの合理性をチェックするという方法の大枠は、維持してもよいのではないか。ただ、どこまでの異常事態を想定するかという具体的な判断のレベルにおいて、福島第一原発事故が発生したことを踏まえると、行政庁の側が「これを想定から外す」という場合にはより丁寧な説明が要求されるようになり、裁判所としても、どこまでの事態を想定するかということについては慎重に判断する必要が出てきたと思う。

 また、伊方原発最判は、原子炉設置許可取消訴訟の審査の対象はあくまでも基本設計に限られ、その後の工事方法の認可等の手続で審査されるいわゆる詳細設計については審査の対象から除かれるという判断をしている。解釈論の大枠としては支持できるが、法令上、基本設計について定めているわけではない。これについても一定程度行政庁の判断を尊重するのがもんじゅ訴訟の最高裁判決であるが、それを前提にしても、基本設計と詳細設計の合理性の判断はそれほど明確に分かれるものではないのではないかと思う。
 さらに、伊方原発最判のポイントは、「現在の科学技術水準に照らし」という部分である。この点は、まさに現時点で極めて重要な意味を持っているのではないか。

(講師) 以前から、原発関連訴訟はメディアにとっては大きな取材テーマであり、原発に関するスタンスはメディアごとに違いがあったが、福島第一原発事故の後、この報道姿勢の違いがより顕著になってきている。ただ、原発を今後も維持活用していこうという立場であっても、福島第一原発事故の後は、安全が確保されていない原発を動かすことは許されない、ということは間違いなく言えるのではないか。その意味で、福島第一原発事故が起きてしまった現在、原子力規制委員会で策定中の安全基準を従来のものよりも厳しいものにしなくてはならないのは当然だと思っている。しかし、そのことと、いざ訴訟が起きたときの裁判所の役割というのは分けて考える必要がある。この安全基準に照らして設置許可が妥当かどうかという判断には、極めて高度な科学的技術的知見が必要であることを踏まえると、伊方原発最判が示した抑制的なスタンスは、現実的で妥当なものなのではないかと思う。原発政策は国のエネルギー政策の根幹に関わるものであり、高度な政治問題でもある。原発の設置許可についても、専門的知見を持たない裁判所が独自の基準等を用いて様々な司法判断を示せば、国のエネルギー政策に大きな混乱をもたらすおそれがある。したがって、最高裁が示したスタンスは、福島第一原発事故があった後であっても変わるべきではないと思う。

 メディアによっては、なぜもっと裁判所が踏み込んで判断しないのか、と批判するところもあると思うが、それは、原発に対する基本的スタンスの違いも一つの要因だろう。国民の間にも、裁判所に対してどこまで求めるかについては、様々な意見があり、難しいテーマだと思う。

(研究・裁判官) 基本的には伊方原発最判の判断枠組みに従って今後も判断していくことになると思う。ただ、事故を受けて、科学的知見にづいて現在見直しがされているところであり、それを踏まえて判断していくことになるだろうし、その審査について、裁判所は、これまでの判断枠組みは維持しつつ、今まで以上に丁寧な説明が求められるのではないか。

(研究・裁判官) 伊方原発最判の枠組みで判断することに賛成である。しかし、専門家の判断を尊重するということについて、かつて原子力安全・保安院(以下「保安院」という。)の審査、判断があったわけだが、保安院が抑制的で、きちんと規制がされたのかについては疑問視されたところがある。その後、原子力規制委員会が設置され、同委員会において新たな安全基準を策定した上で、その当てはめも行っていくことになるが、同委員会の判断に対しては、裁判所としてはどういう姿勢で臨めばいいのか。専門機関が行ったのだから、主管省庁が専門的判断をしたのだからというごとで一定の合理性があるという前提で臨むべきなのか、それとも、保安院の反省に立って、そこに対してはもう少し慎重になるべきなのか。


(講師) 原子力規制委員会は、原子力規制委員会設置法1条において、「確立された国際的な基準」を踏まえて安全の確保を図る等の事務を行う組織として位置づけられている。同委員会はいわゆる3条委員会で、行政機関の中でも特に中立性や公正さが求められる機関であり、従前の保安院とは質的に異なっている。現に、原子力規制委員会は相当シビアな目で原発を見ていると感じる。このような向委員会の性格を考えると、同委員会が策定する基準は、確立された国際的基準を踏まえたものになると思われるので、それが司法審査の場において当然に絶対的な基準になるものではないと考えるが、その専門的判断を尊重し、それに不合理な点がないか否かという視点で審査する姿勢が必要ではないか。

(講師) 私は、上記意見とは異なり、原子力規制委員会の策定する基準やその当てはめを尊重すべきだとは思わない。裁判所がどのような観点で審査するかということが大事なのであり、例えば、基準の審査に当たって必要な情報はきちんと提供がされていたのか、委員会が公正な人選によって構成されていたのか、あるいは、委員会で出された異なる意見のうちいずれかを採った場合に、それが少数意見や反対意見に照らして合理的な判断といえるのかどうか、といった観点からも、丁寧な説明あるいは慎重な審査がされるべきではないかと思っている。

(講師) 伊方原発最判が行政庁の判断をある程度尊重すべきとしたのは、専門的中立的機関が行った判断が基礎になったものであるからということだったと思う。つまり、専門技術的裁量を認めるためには手続、組織がきちんとしているということが求められる。今回原子力規制委員会が設けられて、ある意味では初めて伊方原発最判の枠組みが本当に妥当するようになったということではないか。

  また、「裁量」という言葉を私も使っているが、伊方原発最判自体は「裁量」という言葉は意図的に使っていない。政策的な裁量のように非常に幅があるような裁量を想定しているのではなくて、あくまでまず行政庁の説明を基礎にして審理しましょうということがあの判決の一番のポイントだったのではないか。その意味では、行政庁に丁寧な説明を求め、裁判所もそれに対して丁寧に判決をするということによって、伊方原発最判がまさに生かされるということではないかと思う。


原発事故は生きている町そのものを破壊してしまう。 函館市の大間原発訴訟 訴状抜き書き [核のガバナンス・裁判]

函館市の大間原発訴訟の情報公開ページ
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031100330/

 訴状の概要

請求の趣旨


経済産業大臣が、平成20年4月23日付けでなした、大間原子力発電所原子炉設置の許可処分は無効であることを確認する。

2(1)主位的請求
被告国は、被告電源開発株式会社に対し、大間原子力発電所について、その建設の停止を命ぜよ。

(2)予備的請求
被告国は、被告電源開発株式会社に対し、大間原子力発電所の設置について、原告が同意するまでの間、その建設の停止を命ぜよ。


被告電源開発株式会社は、青森県下北郡大間町において、平成20年4月23日付け原子炉設置許可に係る大間原子力発電所を建設し、運転してはならない。

4訴訟費用は、被告らの負担とする。

との判決を求める。

 請求の原因

第1章はじめに

本件訴訟は、平成23年3月11日の福島第一原発事故を受けて、人口約27万5千人を擁する北海道南部の中核自治体「函館市」がみずから原告となって提起したという点で、これまでの原発訴訟と大きな違いがある。

大間原発の建設工事を停止してほしいという声は、函館市だけでなく北海道南部の自治体と住民の総意となっているといえる。本件訴訟はこのような総意に基づいて提起されたものであり、裁判所は地方自治体と地域住民総体の意思を十分認識し、これを尊重しつつ慎重に審理に臨むべきである。

第2章本件訴訟の法的根拠

第1 設置許可無効確認(請求の趣旨1項)

1 自然人が原告である設置許可無効確認訴訟における「法律上の利益」

・付近住民らが、原子炉の設置許可処分の無効確認を求めたもんじゅ訴訟における最高裁判決は、「上告人らは本件原子炉から約29キロメートルないし約58キロメートルの範囲内の地域に居住している・・起こり得る事故等による災害により直接的かつ重大な被害を受けるものと想定される地域内に居住する者というべきであるから、本件設置許可処分の無効確認を求める本訴請求において、行政事件訴訟法36条所定の「法律上の利益を有する者」に該当するものと認めるのが相当である。」として、その原告適格を肯定した。

2 本件原告にも設置許可無効確認訴訟における「法律上の利益」が認められる

事故時には、原子炉施設の近くの者ほど直接的かつ重大な被害を受けるものと想定されるのであり、これは、自然人だけではなく法人や地方公共団体にも等しくあてはまる。

・原告函館市は、大間原発から23キロメートルないし50数キロメートルの範囲内の地域に位置している。

・防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲は、福島第一原発事故を受けて、30キロメートルに拡大された。

・本件原子炉は世界で初めて100%MOX燃料を装荷する商業炉であり、炉心内において半減期24、000年という極めて強い毒性を持つプルトニウムが用いられる。

・かかる事実に照らすと、原告は、本件原子炉の設置許可の際に行われる平成24年改正前の原子炉等規制法24条1項3号所定の技術的能力の有無及び4号所定の安全性に関する各審査に過誤、欠落がある場合に起こり得る事故等による災害により直接的かつ重大な被害を受けるものと想定される地域内の地方公共団体というべきである。

・したがって、原告は、本件設置許可処分の無効確認請求において、行政事件訴訟法36条所定の「法律上の利益を有する者」に該当することは明らかである。

3 伊方発電所原子炉設置許可処分取消訴訟判決

・伊方発電所原子炉設置許可処分取消訴訟では、「原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであって、
現在の科学技術水準に照らし、右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、
被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきである。」と判示した。

4 大間原発の設置許可は無効である

・大間原発の設置許可申請において用いられた安全設計審査指針類は、福島第一原発事故の発生を防ぐことができなかったものであり、その不合理性が明らかになった。

・現在の科学技術水準に照らし、大間原発の設置許可の調査審議に用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、大間原発の設置を許可した経産大臣の判断がこれに依拠されたことが明らかであるから、経産大臣の判断に不合理な点があるものとして、大間原発の原子炉設置許可処分は違法と解すべきである。

・安全設計審査指針類の不備、欠陥は深刻であるところ、これによって大量の放射性物質が環境に放散されるような事態の発生を招きかねないものであり、その違法は重大であるから、当該処分は無効である。

第2 義務付け訴訟(請求の趣旨2項)
1平成24年改正後の原子炉等規制法の規定

・本件原子炉は、国会事故調の報告書の指摘する事故原因を前提として改訂されなければならない安全設計審査指針、耐震設計審査指針、安全評価審査指針等により設置許可がなされたものであり、未だ、改訂原子炉等規制法及びこれに基づく新規制基準による評価はなされていない。

・本件原子炉は、新基準による規制項目である「位置、構造及び設備が災害の防止上支障がないもの」、「技術上の基準に適合する」、「保安のために必要な措置を講じる」という要件をクリアしていない原子炉であり、新基準による安全性判断がなされていない原子炉である。

・発電用原子炉は最低限新基準をクリアすることにより設置、運転が許容されるものであるから、本件原発の建設を継続することは許されないものである。
・したがって、原子力規制委員会は、改訂原子炉等規制法43条の3の23第項の規定に従い、本件原子炉の建設・運転の停止を命ずべきである。

2 義務付け訴訟の要件

・改訂原子炉等規制法の定める規制項目とこれに係る規制基準を満たさない原子炉は重大な事故を起こす可能性が高く、事故を起こした場合には、原告らを含む極めて多数の人々に多大で回復不可能な損害をもたらすことが明らかであり、行政事件訴訟法37条の2第1項①一定の処分がなされないことにより重大な損害が生ずるおそれがあること(重大な損害)の要件を満たしていることは論を待たない。
 
・そのような損害を避けるためには、無効確認訴訟以外には適当な方法はなく、行政事件訴訟法37条の2第1項②その損害を避けるため他に適当な方法がないこと(補充性)の要件も満たしていることは明らかである。
・よって、原告は、被告国に対し、主位的に、被告電源開発に対して大間原発の建設の停止を命じることの義務付けを求めるものである(請求の趣旨2項(1))。


3 原告が設置に同意するまでの間、被告国は上記命令を義務付けられる

オオマimages.jpg
原発の建設にあたっては、平成16年の閣議了解に基づき、立地市町村及び立地都道府県の同意が得られていることが要件となっている。その趣旨は、原発建設によって、事故時に災害を被る危険性や防災対策に協力しなければならないことなど種々の不利益が立地自治体に課されるためであると考えられる。

・一方、福島第一原発事故により、ひとたび原発事故が起これば少なくとも30キロ圏までは壊滅的被害が及ぶことが明らかとなったことから、30キロ圏内の自治体に原子力防災計画策定が義務づけられた。この原子力防災計画策定とその実行、準備(訓練など)は、多大な財政的、人的負担を自治体に強いている。現に原告はその対策に苦慮している。

・このように、原発建設による不利益と負担は少なくとも30キロ圏に及ぶことが明らかとなっている現在において、原発建設の際の同意手続きの対象を立地自治体に限定することは、上記閣議了解の趣旨に合致せず、また、立地自治体と30キロ圏内にある周辺自治体とを不公平に取扱うことにもなる。

・以上からすれば、原発建設の際の同意手続きの対象となる自治体は立地自治体に限られず、少なくとも30キロ圏の自治体をも含むと解すべきである。

・よって、原告は、被告国に対し、予備的に、原告が大間原発の設置に同意するまでの間は、被告電源開発に対して大間原発の建設の停止を命じることの義務付けを求めるものである(請求の趣旨2項(2))。

第3建設差止(請求の趣旨3項)
1差止請求の根拠となる権利について

(1)地方自治体の存立を維持する権利(地方自治権)に基づく差止請求
・自然人が生命、身体、名誉等の重大な保護法益を現に侵害され、又は将来侵害されようとしている場合には、これらの人格権に基づいてその侵害の排除又は予防のために当該侵害行為の差止めを求めることができるのと同様、地方公共団体も、その存立自体が危険にさらされ、地方自治が根本的に破壊される事態に対しては、憲法上保障された地方自治の本旨に基づく地方自治権すなわち地方自治体の存立を求める権利に基づき、その侵害の排除又は予防のために、当該侵害行為の差止めを求めることができるというべきである。

(2)所有権に基づく妨害予防請求としての差止請求

2大間原発建設により原告の権利が侵害される具体的危険性

(1)原告の地方自治権の侵害 
 略 
(2)原告の所有権の侵害

第3章原発の仕組みと放射能の危険
第4章福島第一原発事故の原因と被害
 
・フルMOXを採用する大間原発に事故が起きた場合には、炉心に大量のプルトニウムを内蔵することから、福島第一原発事故と比較にならないほど深刻に、函館市民の生命、身体、安全な生活、財産が脅かされ、さらには家族、地域社会(近隣住民同士のコミュニティのほかに、生産者と消費者との間の食の安全に裏付けられたコミュニティ)が破壊される。そして、自治体としての機能を喪失させられるなど、途方もなく甚大な被害を生ずることは明らかである。
 
第5章福島第一原発事故による自治体の被害
・放射性物質が多く降り注いだ地区は浪江町のように、帰還困難な地区となり、長期にわたって住民は元の居住地に戻ることができず、その地域に住んでいた住民は仕事と住居を奪われるだろう。自治体は主要な機能を停止し、支援のための情報の発信と帰還の準備を続けるしかないこととなるだろう。

・仮に放射性物質がそれほど降り注がなくとも、南相馬市の小高区のように、一定期間の避難を余儀なくされた地域は生活インフラが破壊され、人々が帰還して通常の市民生活に戻ることには深刻な困難が生ずるだろう。自治体は除染や町の機能の回復のため、長い闘いを強いられることとなるだろう。

原発事故は生きている町そのものを破壊してしまう。函館市が自治体の生存を賭けて、大間原発の建設差し止めを求めることは住民の生命と生活を守ることを任務とする地方自治体として当然のことであり、また正当な要求である。
 
第6章 旧安全設計審査指針類にも新規制基準にも、重大な不備・欠陥があり安全性は確保されない。
・万が一にも起きてはならない福島第一原発事故が現実に起きており、この悲惨な事故が起きたということは、従前の安全設計審査指針類に不合理な点があったか、或いは、安全設計審査指針類に適合するか否かの判断の過程に看過し難い過誤・欠落があったからである。

福島第一原発事故を踏まえて、従前の安全設計審査指針類を検証すると、特に立地審査指針、安全設計審査指針、安全評価審査指針、耐震設計審査指針、重要度分類指針に関して、重大な不備、欠陥があり、現行の安全設計審査指針類では原発の安全性が確保されないことが明らかである。

・大間原発も含めた全ての原発は、これらの安全性を確保できない指針類に基づく審査を経て設置許可がなされているものであるから、設置許可は無効とし、また、建設・運転を差し止めて、深刻な災害の発生を未然に防止しなければならない。

原子力規制委員会は新規制基準を策定した。しかし、これらの新規制基準によっても、従来の安全指針の重大な不備・欠陥を放置したままであり、このような基準にバックフィットしても、大間原発の危険性は除去することができない。

第7章 大間原発の具体的危険性(その1)想定地震の問題点
 
 おおまimages (1).jpg
・さらに、本件敷地内には、被告電源開発がシーム S-10と称する断層が存在し、明らかに逆断層と認められる様相を呈している。
・これらについて、被告電源開発は、耐震設計上、全く考慮しておらず、大きな地震動に、本件大間原発が安全性を保てないおそれは極めて高い。
 
第8章 大間原発の具体的危険性(その2)テロ対策は不可能である

・福島第一原発事故が示したことは、交流電源が失われれば、炉心溶融に至るということである。そして、交流電源の喪失は、機器の故障ではなく、人為的な破壊活動によっても、引き起こされうる。

・人為的な破壊活動としては、たとえば、原発外における送電線鉄塔などの破壊、原発敷地内のディーゼル発電機の燃料タンクの破壊、受電設備の破壊、特に配電盤の破壊、海水冷却系(最終ヒートシンク)の破壊など、様々な事態が容易に想定できる。

・また、我が国の原発は、すべてが海岸線に沿って立地しており、海からの侵入を完全に防ぐことが容易ではない。

・津軽海峡は国際海峡であり、中心の公海から大間原発までの距離は、約8ないし9キロメートルしかない。時速数十キロの能力を有する高速艇であれば、公海から数分で到達できる。

・日本の原発は、平成13年9月11日の同時多発テロ後にアメリカで導入されたテロ対策措置と比較しても、全くといって良いほど対策がなされていない。航空機についても自然墜落の想定までであり、意図的に向かってくる航空機テロに対する対策は全く想定されていない。

・国は、テロによる原発の安全性への影響に関する基準を定めておらず、合理的な審査基準の定立を安全審査の前提とする伊方最高裁判決の判示に照らして、本件許可処分は違法であり、策定されようとしている対策でも全く不十分である。


第9章大間原発の具体的危険性(その3)シビアアクシデント対策には限界がある
・シビアアクシデント対策は、今回はじめて基準とされるものであり、大間原発も含めたどの原発もこの基準による審査を経ていない。

シビアアクシデント対策は必要ではあるが、シビアアクシデント対策は設計における安全確保策が功を奏さなかった場合の対策であって、本来の安全確保策に対して補助的な地位を占める対策であり、その効果も、本来の安全確保策に比べれば限定的である。

・新規制基準の施行に際し、特定重大事故等対処施設および常設直流電源設備(第3系統目)について5年間の猶予を認めたが、それだけで原発は明らかに5年間は法の要求する設備を備えない違法状態にあることになる。

第10章 大間原発で過酷事故が発生した場合の函館市の損害
第1 函館市と大間原発との位置関係

 おおまimg_0.jpg
・人口約27万5千人を抱える函館市は、大間原発からほぼ真北に位置し、遮蔽物のない津軽海峡を隔てて大間町と対面している。函館市の戸井地域は大間原発から北方僅か23キロメートルにあり、函館市街地までは直線距離で30キロ余である。
・日本の原発において、こうした遮蔽物のない位置関係で27万人余の人口を抱え、原発と向き合う都市は、函館市以外にない。

第2 大間原発で過酷事故が発生した場合の函館市の被害

原発においては炉心溶融などの過酷事故が万が一にもあってはならないものであるが、福島第一原発の事故をみても明らかなように、過酷事故が発生しないと言う保証は全くない。とりわけ、世界で初めてのフルMOX燃料による実験的とも言うべき大間原発の操業は、函館市の住民にとって、常に「死の恐怖」を抱えての日常生活を余儀なくされることになる。

1 大間原発が抱える「死の灰」とその毒性の強さ

・100万キロワットの原発は、年間1000キログラムのウランを燃やすとされ、計算上は年間広島型原爆の1250倍の死の灰を発生させることになる。
・これを大間原発についてみると、同原発は138.3万キロワットであるから、同様に計算上は1年間で同原爆の1700倍の死の灰を抱えることになる。
・一方、計算上プルトニウムの毒性はウラン235の4万倍にも当たることになり、ウランとプルトニウムとの混合燃料を基本とする大間原発が抱える「死の灰」の毒性が如何に強いものであるかを先ず知る必要がある。

2 チェルノブイリ原発事故及び福島第一原発事故との比較

・仮に、大間原発においてチェルノブイリ原発事故級又は福島第一原発事故級の重大事故が発生したと仮定した場合、地元大間町・下北地域はもちろんのこと、毎秒10メートルの風速で、約30分前後に死の灰が道南地域に到達する危険がある。
・その場合、27万余の函館市は短時間に壊滅的な被害に遭い、廃墟と化すであろうことは言うまでもない。

3 小出裕章氏による大間原発重大事故発生時のシミュレーション
略 
4 住民の避難が極めて困難であること

・仮に、大間原発で過酷事故が発生した場合、函館市中心部からの主な避難経路は、
①国道5号を利用して森町方面に向かう経路
②国道227号を利用して厚沢部町方面に向かう経路の二つとなる。
・①の経路については、平時においてすらも、行楽シーズンなどには大変、混雑し渋滞となる。大間原発で過酷事故が発生した場合、数十万規模での避難が予想されるが、交通事情からして、大規模な避難には耐えることができず、大規模の渋滞が予想される。

・②の経路は、渡島中山峠を経由する山地横断道路であり、その大部分が片側一車線の一般国道となっている。国土交通省北海道開発局の作成した「道路の走りやすさマップ北海道版平成18年度」でも、渡島中山峠の走りやすさは、夏季および冬季のいずれとも5段階評価の下位2段階目とされており、避難経路としては、不適合である。

・そして、①の経路も②の経路も、冬期間には、風雪の影響によって、全ての避難経路が大規模な避難に全く適さない状況が生じ得る危険がある。

5 原子力規制委員会は、避難計画も含めて立地審査すべきである

原発を稼働させれば過酷事故を起こす可能性がゼロではない以上、過酷事故が起きた場合の避難計画の策定可能性についても原子力規制委員会において責任をもって検討するべきであり、計画が立てられない原発立地はそもそも立地審査の段階で却下されるべきである。

6 函館市の存立の危機

・福島第一原発の事故が原因で、周辺自治体の市域は放射能によって汚染され、町民の散逸による家族の離散が生じ、公共機関も機能できなくなり、周辺自治体の崩壊が生じている。

・大間原発で過酷事故が発生した場合、函館市の市域が汚染され、住民の土地は奪われることとなる。そして、函館市民の離散が生じ、公共機関も機能を果たすことができなくなり、函館市の有形固定資産は、無価値となる。函館市の地方自治体としての機能は、著しく損なわれることとなり、函館市は壊滅状態となる。

第3 チェルノブイリ原発事故級又は福島第一原発事故級の過酷事故に至らなくても函館市の被害は甚大である
1 放射性物質による被害

・大間原発において事故が発生すれば、そこで放出されるヨウ素131などの放射性物質は函館市周辺に生息するコンブ等の海草類に蓄積される。万が一日本全国に出荷されることになれば、函館のみならず日本全国に被害をもたらす可能性がある。

・さらに、放射性物質は、海藻類を主食とするウニ、アワビ等のほかプランクトンに取り込まれ、食物連鎖を通じて拡散し、その被害は数十年、数百年に及ぶ。

こうした被害は農産物においても同様であり、被害は一定期間の「風評被害」に留まらず、長期間に亘って函館市の水産業、農業に壊滅的な被害を与え続けることになる。

2 風評被害

・函館の産業は観光に支えられており、他の原発立地地域とはその規模も異なるのであって、さらに、函館市周辺海域は、豊富な海の幸に恵まれ、道南の海産物は観光客を引きつける一つの要素となっている。

・仮に、大間原発でトラブルが発生し、一定期間多くの観光客を失うことになれば、函館市及びその周辺の地域経済全体に回復しがたいダメージを与えることになることは容易に予想できる。

・また、海産物、農産物は「放射能汚染」のおそれが疑われるだけで、需要は激減し、価格が暴落するという事態に常に追い込まれる。

・道南の水産業は地域経済の柱とも言える産業であり、その品質・ブランド力に支えられているにもかかわらず、原発の事故による風評被害により打撃をうければ、その売上高は激減し、漁業経営体に与える被害の深刻さは計り知れないものとなる。農業においても、同様である。

・以上のとおり、道南の産業構造は、観光や漁業・農業に支えられており、風評被害に極めて弱い産業体質を持っているという特性があることを銘記すべきである。

第11章 結論
このように、大間原発で過酷事故が発生した場合、函館市の地方自治体としての機能は、著しく損なわれることとなり、函館市は壊滅状態となる。大間原発の設置許可は無効であり、国は電源開発に対し、(函館市が同意するまでの間)大間原発の建設の停止を命じなければならない。また、原告函館市は被告電源開発に対して自らの所有権と自治体としての存立を守り、函館市民の生命と安全を守るため、大間原発の建設停止の判決を求めるものである。




前の5件 | 次の5件 核のガバナンス・裁判 ブログトップ