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第88回学習交流会ー③ 原発は原爆・核兵器の弟分 アメリカ・カナダ編㊤ [新潟女性の会]

「いのち・原発を考える新潟女性の会」の第88回学習交流会が、6月27日(日)にあった。

テーマは「東電・核セキュリティ不備」であった。私の感想は、原発は原爆・核兵器の弟分だ。原爆・核兵器は軍事で、軍事は一般市民の安全を軽視している。だから、弟分の原発も、一般市民の安全は軽視されているのでは?


原発の開発史を省みよう。 2番手は、世界初の原爆を作り使用したアメリカ合衆国と隣国カナダ
 1945年7月16日、アメリカ合衆国が原爆実験トリニティ実験に成功。これにより、ソ連は原爆開発に傾注したが、米国は8月に2度、大日本帝国の廣島と長崎に投下、実戦使用した。陸軍は、原爆製造に傾注したが、海軍が第2次大戦の終わる前から、原子力を動力とする船舶、軍艦とくに潜水艦の可能性に関心を持っていた。戦後、1946年の春から研究計画を拡大して、ハイマン・G・リコバー大佐を責任者に海軍の軍艦用原子炉の開発プロジェクトを始めた。
 リコバー大佐が率いる海軍とウェスティングハウス・エレクトリック社(WH)の技術者グループは、1946年6月から1947年春までにクリントン研究所(現オークリッジ国立研究所)で必要な技術をすべて学び、それから他の研究所や施設を約7週間かけて調査した。その結果、原子力潜水艦は短期間で開発が可能であるという結論に達した。そしてアメリカ海軍は1948年1月に米海軍艦船局に核動力部を設け、責任者にリコバー大佐を据えた。大佐は人材を集め、計画が承認されたら直ちに全面的に展開する準備を整えた。
 法的には1949年にはアメリカ原子力委員会AEC内に海軍反応炉部を新設。責任者はリコバー大佐で、大佐は監督される海軍艦船局動力部長と監督する原子力委員会海軍反応炉部長を兼務した。二つの立場を巧妙に使い分けて、彼は開発を加速していった。
 炉内で沸騰を許すいわゆる沸騰水型炉は、沸騰の蒸気の泡(気泡・ボイド)が艦船の揺れで複雑に乱れ、それで、中性子の振舞いが、水による中性子減速の様が複雑に乱れ、とても制御が不可能と見られていたから、最初から除かれた。
 原子力委員会のアルゴンヌ国立研究所は1950年3月に、概念設計を完了し報告書を纏めた。それで、陸上の試験場に建設され各種の試験を行う原型炉と、その経験を生かし実際に潜水艦に積み込まれる実用第1号炉が挙がっていた。炉は2種、一つは加圧水型軽水炉で製造企業はウエスティングハウス社(WH)、コード名は「STR」(Submarine Thermal Reactor )
 もう一つは中速中性子金属炉で、ジェネラル・エレクトリック社(GE)が開発を担当。GEは冷却・熱運搬用の金属にナトリウムを選んだので、中速中性子ナトリウム炉でコード名は「SIR」(Submarine Intermediate Reactor)。
 これらSTR原型炉SIM原型炉を、建設中の1952年12月12日に、隣国カナダのNRXが原子炉暴走して、燃料棒が溶融する原子炉事故が起き、これにジミー・カータら150人海軍要員を統率し救援対処している。
NRX(National Research eXperimental)は、天然ウラン燃料のる重水減速、軽水冷却の研究用原子炉で下から制御棒を空気圧で炉心コアに押し上げコントロールする設計で、1947年に設計電力定格10 MWで運転を開始。12日に、制御棒を押し上げていた空気圧バルブを誤ってオペレーターが開けた。全制御棒が下がった。監督は直ぐに閉めさせたが、一部の制御棒は炉心コアに再入せず、ほとんど引き抜かれた位置で動かなくなった。それで再び炉心コアに再入を試みたが、ノロノロと動いた。10秒後に定格10 MWから17MWに達し、冷却水が沸騰し、冷却システムチューブの一部が破裂した。
 約14秒後、核分裂を起こり易くする中性子減速材の重水をバルブを開いて排出始め、核分裂を減らそうとするが。約20秒後には設計電力定格の8倍に80MWになり、それから低下しバルブが誤って開いてから25秒後にゼロになった。
 その25秒間に核燃料は融け・メルトダウンし、400テラベクレル(1万キュリー)の放射能、放射性物質が外部に漏れた。水との高温反応で水素などが発生し、3〜4分後にガス爆発が起きている。
 このNRXサイトの除染クリーンアップには、数ヵ月、ジミー・カータ(後の39代米大統領 https://www.chunichi.co.jp/article/192256 )ら150人海軍要員を統率し、ハイマン・G・リコバー大佐が当たった。
この経験は、安全システムの多様性と独立性やマン=マシンのインターフェースの効率化など、原子炉の安全性の分野を大幅に進歩させた云われている。
NRX_Pile_Building_and_ZEEP_Building-_Cooling_Tanks_1945-1945年のチョークリバーのNRXパイルビルとZEEPビル。.jpg
続く

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