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第88回学習交流会ー⓶ 原発は原爆・核兵器の弟分だ ソ連編 [新潟女性の会]

「いのち・原発を考える新潟女性の会」の第88回学習交流会が、6月27日(日)にあった。

テーマは「東電・核セキュリティ不備」であった。私の感想は、原発は原爆・核兵器の弟分だ。原爆・核兵器は軍事で、軍事は一般市民の安全を軽視している。だから、弟分の原発も、一般市民の安全は軽視されているのでは?


英語では原子力発電所 nuclear power plant、核兵器 nuclear weaponで、どちらもnuclear[ニュークリア]を使う。(nuclearは、ここでは特にatom原子の中心にある「atomic nucleus(原子核)の」。)「nucleus(核)の」で、ここ中国語では原子力発電所は核电站、核兵器は核武器で、こちらも核を用いている。

原発の開発史を省みよう。 先ず、世界初の原発を建てたソ連、ソビエト・ロシア
 1945年7月16日、米国が原爆実験トリニティ実験に成功した。これにより、ソ連は原爆開発に傾注した。
8月、原爆開発のための第一総局(PGU)が国防委員会により設置された。1946年にウランの連鎖核分裂反応;臨界を実現した。そして、軍事用・原爆用のプルトニウム生産のための炉を開発し、1948年には100MWのプルトニウム生産炉の運転を開始した。このプルトニウム生産炉は、黒鉛を減速材、軽水を冷却材、燃料を取り囲む圧力管の中を軽水が流れる構造で、複数の圧力管があり、運転中に圧力管毎に核分裂を停止させ燃料を交換でき、核分裂経過時間が短く原爆に適した組成のプルトニウムを使用済み核燃料から再処理で取り出せた。1949年8月9日に、ソ連は原爆実験に成功した。
 こうした軍事用研究の成果を活用して、核分裂エネルギーを利用する黒鉛減速チャンネル炉(ロシア語РБМК・英語RBMK・日本語直訳は軽水冷却黒鉛減速炉)を開発した。高さ7メートルの黒鉛ブロックの中を垂直に圧力管を通し、圧力管の中に長さ3.5メートルの低濃縮5%のウラン製の燃料集合体を入れていた。圧力管に軽水を流し核分裂エネルギーによる熱を取り出す。
 世界初の原子力発電所AMー1 ("Атом Мирный"、平和的原子力利用の意、ラテン語転写でAM)が、モスクワから南西100kmのオブニンスクに1951年から建設をはじめ、1954年5月に臨界し、6月27日に運転開始している。そしてソ連の新聞「プラウダ(真実)」で、1954年7月1日(木曜日)付けで「「4日前に世界最初の原子力発電所が運転を開始し、隣接の産業、農業に電力の供給を開始した。これは産業用タービンが石炭や他の燃料でなく原子エネルギーにより電力を発生した最初のものである。この原子力発電所の電気出力は5,000kWである。」と世界に報じ、公表した。
黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉 (RBMK) -17001_b.jpg
続く

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