SSブログ

memo 戦略爆撃 原爆へ至る道 戦略爆撃理論の虚妄(11) [原子力損害賠償制度]

8月9日、最高戦争指導会議が午前10時から断続的に開かれた。ソ連参戦、長崎の原爆空襲も伝わるが、無条件降伏か本土決戦か結論が出ない。午後11時から御前会議が開かれ、日付が変わり10日午前1時半頃に天皇の「御聖断」を仰ぐ形で無条件降伏が政府方針となる。
天皇が述べた理由に戦略爆撃の効果が出ている。
 「今陸軍、海軍では先程も大臣、総長が申したように本土決戦の準備をして居り、勝つ自信があると申して居るが、自分はその点について心配している。先日参謀総長から九十九里浜の防備について話を聞いたが、実はその後侍従武官が実地に見て来ての話では、総長の話とは非常に違っていて、防備は殆んど出来ていないようである。又先日編成を終った或る師団の装備については、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は兵士に銃剣さえ行き渡って居らない有様である事が判った。このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。或は日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。」

戦略爆撃理論の破たん

米国の戦略爆撃 strategic bombardment の、strategy 戦略は、敵国の産業構造全体の中枢(hub)を最初に空中から敏速に決定的な破壊攻撃を連続し、叩けば、敵の物、心の両面の資源破壊により反撃を極端に激減させ、勝利できるという戦略。戦闘の目的は、兵士対兵士の殺戮による敵国軍隊の殲滅から変わって「敵国家の直接破壊」。

 ドゥーエ将軍の理論では兵士、民間人に区別はない総力戦であるから高性能爆弾、焼夷弾、毒ガス弾などによる人口密集地の住民への爆撃、無差別爆撃は、当然の攻撃として肯定されている。米国の戦略爆撃では、人口密集地の住民は産業構造全体の中枢(hub)ではないから、標的には含まれない。

 しかし、産業の中枢(hub)がマヒすれば、軍需だけでなく民需、市民、子供や老人など非戦闘員の暮らしの営みに応じる生産も崩壊する。爆撃精度から、必然的に中枢(hub)周辺に着弾する。数的には周辺部着弾の方が多い。都市破壊と人的被害は、着弾数が多いのだから甚大になる。理論的には、意図しない計画しない都市破壊と人的被害、市民、子供や老人など非戦闘員の暮らしの破壊がおこる。

 第二次大戦でのドイツへの戦略爆撃は、ドイツ軍の迎撃戦闘機、高射砲という防空戦力と米軍機の爆撃精度の2点から、1942年8月の参戦から米航空軍は実戦では爆弾と焼夷弾を”ばら撒い”ている。都市破壊と焼殺(ホロコースト)による人的加害を行っている。43年の11月以降は夜間爆撃、レーダー爆撃を行い、非公式に無差別・焼夷弾爆撃を行っている。

 44年11月24日以降に本格化する対日戦略爆撃は、そのドイツの事実上の無差別空襲を指揮したカーチス・ルメイ少将を45年1月21日に司令官に据えた。彼は、鉄道網、炭田という産業構造の中枢(hub)を、主目的にした空爆は殆ど行っていない。航空軍本部命令に従って、無差別の焼夷弾空襲、焼殺(ホロコースト)を45年3月中旬から行った。最高司令官の大統領の命令に従って、原爆も投下した。
 戦後、ルメイは「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女子どもを殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することは―ふざけるな」と語った。(荒井信一『空爆の歴史―終わらない大量虐殺』岩波新書139頁)ナチスドイツのアドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann)の「命令に従っただけ」との主張と同じである。

戦闘の目的が、兵士対兵士の殺戮による敵国軍隊の殲滅から「敵国家の直接破壊」を名目、隠れ蓑とした「敵の地域社会の壊滅」に変わっている。

 3月10日の大空襲の後も、東京は約100回の空襲を受けている。このように通常爆弾と焼夷弾による無差別空襲は繰り返さなければならない。理論的にも、産業の中枢(hub)が修復されたら再び空襲をしなければ、効果が失われる。この繰り返しを絶つために、チャーチル英首相は米国に「炭疽爆弾」50万個を注文した。

 原子力爆弾は、残留放射能が持続的に被曝加害する。米国は、その効果を知悉していた。原爆開発責任者のグローブス将軍は1945年8月12日公表のマンハッタン計画の公式報告書、通称スミス・レポートから「放射能は毒性が強い」との記述をグローブズ自身が削除している。米統合参謀本部のウィリアム・ダニエル・リーヒ(William Daniel Leahy)大統領付参謀長は「この新兵器を爆弾、と呼ぶことは誤りである。これは爆弾でもなければ爆発物でもない。これは”毒物”である。恐ろしい放射能による被害が、爆発による殺傷力をはるかに超えたものなのだ。」と述べている。

 マッカーサーのベーカー・シリーズという作戦計画では、米ソ戦争が始まったら、朝鮮半島は直ちに放棄して、南朝鮮に駐留している米軍は日本に帰ってくる。そして、ウラジオストク、釜山、旅順、大連という4カ所に核兵器を落とす。この4つの町は当然核汚染され、それで極東ソ連軍は90日の間、そのウラジオ、釜山、旅順、大連を越えて先に進めない。ソ連軍を原子爆弾でアジア大陸に90日間足どめする。ソ連軍が動員をかけるのに30日かかり、合計で120日間ソ連軍は動きがとれない。その間にアメリカの本土からアメリカ精鋭の二個師団が日本防衛のために来援するというのが、マッカーサーの基本的な戦略計画であった。

 原爆の強烈な爆圧、爆風、熱線は、広範な範囲に通常爆弾、焼夷弾を投下した場合の効果を生じる。放射線は、人に被曝加害、物に放射能化(誘導放射能)を起こす。そのうえ、ある程度大雑把に、それこそ1000mや2000m目標から外れても、全く問題は無し。
 原爆は、戦略爆撃の道を究めた、敵の地域社会の壊滅を効率的に行える極道兵器だ。

 ドゥーエ将軍の理論では高性能爆弾、焼夷弾、毒ガス弾などによる人口密集地の住民への爆撃、無差別爆撃は、空爆で民衆にパニックを起こせば自己保存の本能に突き動かされ戦争の終結を要求するようになるとしている。
 そして「基盤である民間人に決定的な攻撃が向けられ戦争は長続きしない。」「長期的に見れば流血が少なくするのでこのような未来戦ははるかに人道的だ」とドゥーエ将軍は無差別空襲を正当化している。

 ドゥーエ将軍の理論が「制空」で出版された1921年、イラクのイギリス委任統治に対し、ベドウィンやクルド人ら自治独立を求める人々の反乱が始まった。英空軍RAFの4個飛行中隊が派遣された。
 「反乱グループが拠点を置く村落全体や家畜が無差別に空襲目標にされ、ベドウィンの場合はテントに居住する女性や子供達も爆撃の犠牲者になった。ここでは、爆弾や機銃だけでなく、焼夷弾も頻繁に使われ、焼夷弾で引き起こされた村落の火災を拡大するためにさらに石油を散布する手段を使った場合もあった。英軍側は、空爆は反乱者たちを短時間に服従させる効果があるため、長期的に見れば『人道的な』反乱鎮圧方法であると主張し、自己正当化した。」

戦争の政治的終結には、戦略爆撃はむしろ有害

クルド人ら自治独立を求める人々の反乱は1世紀後も続いている。米英が戦略爆撃で無差別空襲を加えたドイツ、日本で「民衆にパニックを起こせば自己保存の本能に突き動かされ戦争の終結を要求するようになる」ことは起きなかった。
 
 ドイツではシュタウフェンベルク大佐の「ワルキューレ作戦」などヒットラー暗殺未遂事件が度々あった。「ベルリン市民はナチ体制にどんな懸念を抱いていたにせよ、自分たちが何の意見も言えない、旧いエリートによる宮廷クーデターに夢中になれなかった」。
戦時下のベルリン: 空襲と窮乏の生活1939-45  ロジャー・ムーアハウス

m_flak_berlin.jpg 

1941 ベルリン

軍事力は敵国だけでなく自国の国民にも矛先を向ける。その戦争の終結要求に対して、その矛先が向けられるのは当然である。民衆、市民は前門の狼(戦略爆撃の焼殺)と後門の虎(自国の軍、警察、日本なら玉砕戦術)の狭間でただ佇むしかないのだ。
 ドゥーエ将軍はイタリアの軍人である。英米のシシリー島上陸では、マフィアが手引き、支援をしたという。そういった土地柄、お国ぶりなら将軍の言う民衆の反乱がおきて、戦争を終結させると想定できたのではないか。将軍の言う、戦略爆撃理論の言う無差別爆撃が民衆の反乱を導き、戦争を早期に終結させるという想定は男の子の白昼夢である。「長期的に見れば流血が少なくするのでこのような未来戦ははるかに人道的だ」は詭弁である。

 戦略爆撃は、敵国の地域社会、空襲を受ける地の社会を破壊し人々を焼殺(ホロコースト)する。それで地上戦を行わないで戦争の勝利を得ようとする戦略である。この戦略は戦争の軍事的終結後の占領統治と自国に都合の良い、そして正当性を有した新政府の樹立という戦争の政治的終結には、むしろ有害である。そうした政治的終結を求めないなら、敵国家の破壊を名分にした敵社会の消滅、ジェノサイドに至るのではないか。

湾岸ph_1991.jpg

1991湾岸戦争 バクダット

IS WHY PHOSPH BOMBS GAZA 4-PIC.jpg

2014 gaza ガザ
 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0