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『わたしたちは子どもを産めますか』と福島の高校生に聞かれたら [被曝管理]

O大学のK教授先生が、「『女性が被曝すると、奇形の子どもが生まれる』『わたしたちは子どもを産めますか』と福島の高校生に聞かれたら、子どもを絶望から救うために『心配ない』と答えるのは大人としてのつとめでしょう。」といって議論になっていました。

K先生の処方箋は正しい知識を伝えること。「放射能汚染があろうがなかろうが、一定率であるのだという事実」⇒日本産婦人科医会先天異常モニタリングでは、画像診断等による内臓奇形も加わった1997年以降は数値が上がって、近年の先天異常率は約1.7~2%。

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「チェルノブイリの影響については、奇形率が上がるという研究もあるのだけど、それはかなりおかしなデータで、WHOの総合報告では『被曝の影響による奇形や死産の増加は見られない』となっています 。」⇒国際放射線防護委員会(ICRP)は妊婦さんの被爆1000mSvで割合として100%増加、約1.7~2%が約3.4~4%になるとしています。線形性(比例計算)を仮定すると10mSvで1%増加です
日本政府は外部被曝、遮蔽効果のある室内16時間、戸外8時間で年間20mSv以内の福島県地域には、帰還、定住を勧めていますから、2%増加で約1.734~2.04%。これ位の変動では統計的には見逃される、見出されないです。
K先生は福島の女子高校生が子供だから無知で、大人がこの正しい知識を伝授して「心配ない」と絶望から救うのが大人としてのつとめと呼びかけたのです。

一般市民は無知との「欠如モデル」

チェルノブイリ事故で、こうした不安を科学知識の不足から「正しく怖がる」ことができず起こしたあり得ない反応として放射線恐怖症(ラジオフォビアradiophobia)とソ連政府は名づけ専門家の講話などで沈静化をはかりました。K先生も無知による不安という点は、ソ連政府とかわりません。正しい知識が無いので不安になる。専門家が正しい知識を伝えれば良いというリスク・コミニュケーションの考え方を「欠如モデル」といいますが、ソ連は一般市民=非専門家=無知、K先生は高校生=子供=無知と決め付けて「欠如モデル」で「正しく怖がる」ことを伝授すれば、不安が解消するというのです。

しかし市民や高校生を話をする前から無知と断定できるのでしょうか。特に今はインターネットで知識は入手できます。K先生の伝えたい知識を持った上で、なおも不安な人であったら?
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1950年代に英国でアリス・スチュワート博士が全土の小児白血病とがんの大規模な疫学調査をおこないました。当時の英国では、出産間際の妊婦さんにレントゲン撮影で骨盤の大きさを測って出産の安全性を確認するというような診断が、普通に行われていたのです。 結果、小児白血病と小児がんの発症は、母親が妊娠中に受けた骨盤のレントゲン撮影との間に有意な関係、 1回のレントゲン撮影(平均10mSv位の被曝)で小児白血病の発症頻度は1.3~1.5倍位に増えるです。この研究が、現在の妊婦さんへのレントゲン撮影の指針の基礎になっています。

ICRPが1000mSv被曝で奇形率が100%増加という知見をもとにだしている勧告を、日本政府は取り入れて女性の放射線業務従事者(職業的被爆者)に規制をかけています。電離放射線障害防止規則では、「女性の放射線業務従事者(妊娠する可能性がないと診断されたもの及び妊娠中の者を除く)の受ける実効線量については、3月間につき5mSvを超えないようにしなければならない。」

「妊娠と診断された女性の放射線業務従事者の受ける線量が、妊娠と診断されたときから出産までの間につき次の各号に掲げる線量の区分に応じて、それぞれ当該各号に定める値(内部被曝実効線量1mSv 腹部表面等価線量2mSv)を超えないようにしなければならない」

 こうした「正しい知識」から、自分は何も悪いことをしていないのに、福島県に住むだけで、女性の放射線業務従事者(職業的被爆者)の給与と引き換えなみの被爆するの?不公平?差別?大丈夫?こうした疑問、不安を持つ人は、どの「正しい知識」が不足しているのでしょう。

不公平、差別は社会的文脈での扱いの問題です。政府の政策をそのように感じる、評価することは、放射線被爆の影響の「正しい知識」の有無と関係するでしょうか。

K先生らの「欠如モデル」は、人間に「正しい知識」を入力すると「安心して年間20mSv以内の地域に住む」といったK先生らが「正しく怖がる」と評価する反応・出力を返すという人間観があります。K先生は物理学者で、ある力を入れれば同じ反応をおこす物理的な普遍法則を探す仕事ですから、人間も同じと思っているのかもしれませんが、人間の返す反応は種々雑多です。それが、人間の多様性です。「欠如モデル」は人間の多様性を制限・否定するものです。

先天異常・障害は絶対に嫌!という人には?

身体でも車椅子で移動する人、ベビーカーで連れられていく赤ちゃんなど様々な多様性があります。50人に一人の先天異常など障害も人間の多様性の一つです。以前は、車椅子の人を排除する町の作りが普通でした。日本社会は人間の身体の多様性を、制限・否定してきました。

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1948年から96年まで「優生保護法」で、日本は優生思想にもとづいて劣った生である「胎児の障害」を理由に人工妊娠中絶ができました。障害児を産む可能性のある人に、中絶や不妊手術を強制することができました。障害女性の子宮を摘出手術が妊娠をさせない目的で行われ、黙認されていました。優生保護法は廃止され「母体保護法」になりました。

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それが人間の多様性を認め容認する、障害があってもなくても、そういった身体的に多様な生まれた全ての子を歓迎することなら、車椅子でも不自由がないバリアフリーに財政的支出が必要なように、子が育つ上で格差がないようにする社会的支援、財政的支出が必要です。日本政府の子供に対する財政支出は、OECD諸国の中で最低です。

「胎児の障害」で中絶ができるように「母体保護法」を変えようという動きがあり、実態的には出生前の胎児診断で先天異常や障害の可能性が告げられて中絶する数が増えています。人工妊娠中絶の全体数は減っていますが、胎児診断での中絶は1.6倍に増えています。

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文化功労者の中西準子氏が樹立した環境リスク管理学では、質調整生存年(QALYs)という考えあります。化学物質や放射線などによる「弱い影響を評価する、しかも共通の尺度はないかということで注目した考え方がクオリティ・オブ・ライフ(QOL)・・・QOL を完全な健康なら1、死の場合0として、ある症状の性質の生活の質を1と0の間のどの値かで定義し、QOL の低下、すなわち(1-QOL)がその時における影響の大きさと定義」例えば車椅子生活はQOL が0.7と一般や医療関係者が決め、5年生存なら、
5×0.7=3.5年が質調整生存年(QALYs)で5-3.5=1.5年がリスクというものです。

環境リスク管理学は、ある症状・障害の生活の質 QOLを完全な健康からの欠落とし、大小を本人ではなく一般や医療関係者という他者が決めるとしています。化学物質や放射能の環境汚染の影響でQCLが変化したら、影響を受けていない「健康」な人から被害者は「質の低い人生とみなされる」という蔑視を構造的に含み強化します。

「正しい知識」で「正しく怖がる」という欠落モデルは、人間の多様性を認めず「正しくない怖がり」を排除します。東電核事故の放射能汚染で、QCLが変化した人が多く出てくるでしょう。その多様な人々を、欠落モデルや環境リスク管理学は、学問的に「ありえない症状」「質の低い人」と排除・差別・蔑視し、政府が支援を行わずにすむ下地を作るのではないでしょうか。蔑視や差別する心をなくすことは困難ですが、人間の多様性を制限・否定する文化やそれが強化する蔑視や差別を利用する制度は変えられます。


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