SSブログ

火の玉(Fireball)、原子雲、衝撃塵、火炎煙 めも原爆被曝者手帳④ [原爆被爆者援護法]

広島および長崎における放射性降下物等のシミュレーションは、1991年に1986年4月のチェルノブイリ事故による北半球大気圏の放射能汚染の評価で用いられた計算法を応用して、丸山隆司氏(当時、放射線医学総合研究所)と吉川友章氏(当時、気象研究所)の両氏が行っている。「広島原爆の黒い雨による残留放射能と被ばく線量」 http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/10/dl/s1029-10m.pdf  それの抜粋を《》で示し、原爆爆発時の経過の概要を整理してみる。

火の玉(Fireball)
原爆リトルボーイ内部のウラン235の2つの塊が爆薬の力で衝突し、核分裂の連鎖反応が始まる。ここを0秒時点とする。まず爆弾の内部でウラン235の核分裂が進行し、100万分の1秒後(推定)には原爆の炸裂に至る。
《広島および長崎の原爆は、地上 600m近辺の上空で炸裂した。炸裂の瞬間は想像を絶するすさまじさであったであろう。
炸裂の瞬間、大量のエネルギーが狭い弾筒の中で放出されるため、核分裂生成物、爆弾の弾筒などの構造物は、太陽の中心に匹敵する物凄い高温となり、すべての物質はガス状になってしまうと考えられる。このようなガス状物質は、炸裂の瞬間、狭い爆弾構造の中に閉じ込められ、凄まじい圧力(大気圧の 100万倍以上)に達する。 100分の 1秒以下の炸裂時に、この極めて高温の残留物の大部分は、大気中で吸収されてしまう低エネルギー X線としてそのエネルギーを放出する。それにより火の玉(Fireball)と呼ばれる、高温で強い光を発する空気とガス状残留物の球形の塊を形成する。》
爆弾内部の温度は250万℃、大気圧の 100万倍以上に達し、全長3.12m、最大直径0.75mの爆弾容器を中心にしたプラズマ状態(分子が電離し陽イオンと電子に別れて運動している状態)の火の玉(Fireball)ができる。周りの空気を吸収しながら、大きくなりはじめる。熱輻射と膨張に伴い温度が低下し、同時に、火の玉は熱気球のように上昇する。
100万分の15秒後、火の玉は直径20mに膨張し、温度は40万度に下がる。
0.01秒後、火の玉表面にその膨張で出来たショックフロント(数十万気圧の圧縮大気の壁)が火の玉の膨張速度低下により火の玉表面から剥がれて、衝撃波となって伝搬が始まる。
0.2秒後には火球の直径は310mとなり、表面温度は6,000℃(太陽の表面温度は5,700℃、鉄がとける温度は1,500℃)で、熱輻射(熱放出)で爆心地地表の温度が3,000~4,000℃になる。
原子雲
0.51秒後、火の玉は縮み始める。火の玉の急上昇、急膨張、熱輻射に伴って、放射性物質は急冷却し、電離し陽イオンと電子に別れて運動しているプラズマ状態から固体の放射性微粒子になって大気中の水分を吸着して水滴の核になり、原子雲の形成される。 1秒後に火の玉の最大直径280m。 《火の玉は形成直後に周りの空気を吸収しながら、大きくなりはじめる。それに伴い温度が低下し、同時に、火の玉は熱気球のように上昇する。20ktの原爆の火の玉は直径が 500mに達するといわれている。ここでは、火の玉が上昇、冷却しながら形成される雲を「原爆雲」と呼ぶことにする。》
《原爆雲は、火の玉がまわりの空気を吸収したものである。核分裂生成物、未使用核分裂物質、原爆からの中性子によって放射化された弾頭構造物などは、炸裂時の創造を絶する核エネルギーによってガス状になっていた。》
衝撃塵
約1~1.3秒後に数十万気圧の圧縮大気の壁からなる衝撃波が爆心地地表に到達。《火の玉に続いて、地上では強烈な爆風の被害を受けた。これは衝撃波とも呼ばれ、20ktの原爆では、衝撃波の先端が炸裂後1.25秒で爆央から約560mに達するという。この衝撃波によって、地上の物質は上空に巻き上げられて雲を形成する。ここでは、この雲を衝撃塵の雲、以下、「衝撃塵」という。》
《600mでの爆発した空気の圧力振動や衝撃波が地上に達し、反射して再び上空に跳ね返され、四方に拡がっていくことで,多くの家屋や樹木をなぎ倒し、煤塵や土砂を巻き上げる。これが衝撃塵であるが、それらの一部は中性子による誘導放射能をもっていると考えられる。衝撃波で生じた衝撃塵は舞い上がり、原爆雲の下側の雲を形成したと考えられる。衝撃塵は、土砂や日本家屋の壁土が主体(主に珪素)と考えられ、大気中では均質分布と考えられる。》衝撃波は、推定では3秒後には1.5km、7.2秒後には3km、10.1秒後には4km先に到達。衝撃波などでガラスが砕かれ、ガラス片が人々に襲いかかる。
火炎煙
火の玉からの熱線は、90%が2秒後までに放出され、3秒程度で消える。地上を襲った熱線による瞬間的なやけど「閃光やけど」の被害は、広島市では爆心地から2.3kmの距離まで、被爆死亡者の20 - 30%の直接的死因となったと推定されている。 《火の玉からの輻射熱は、地上に大きな火災をもたらした。この火災による煙が上空に立ち昇り低空に黒い雲「火災煙」を形成した。》《全焼区域は、広島の場合、爆心を中心に半径がほぼ 2kmの円形の地域である。》
原爆からの強烈な熱放射によって地上では、家屋や生活用品など可燃物が瞬時に着火し、煙や残留灰が上方に立ち昇った。この火災煙にも中性子による誘導放射能が含まれていたと考えられる。
煙の粒径や濃度については、火災実験などによって与えられている。煙粒が 1μm、煙中の煤の密度が平均2g/m3で均質の拡散する。従って、これらの放出量は、気流の上昇成分と放出濃度を用いて推定した。気流の計算には、海陸の熱分布に加えて、火災の放熱も考慮された。》20分後には広島市内で火災による「火事嵐」が発生。30分後には放射性微粒子が核になった「黒い雨」が降り出した。

原爆雲_.jpg131b.jpg

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0