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高速炉の廃炉 EBR-2 「もんじゅ」の辿る道 [廃炉]

1961年稼働開始、94年に終了した米国の高速増殖炉実験炉EBR-II、コンクリートを流し込んで原子炉を石棺化する作業が完了。原子炉を取り出すのは放射能が強すぎ作業員に危険なためそのまま石棺化。今後は全体をコンクリートで覆う作業。
http://www.world-nuclear-news.org/WR-USAs-Experimental-Breeder-Reactor-II-now-permanently-entombed-01071501.html

2015年7月2日 Tomohiro Matsuoka さんのツイート

183.jpgEBR-IIは、高速中性子を使う高速炉でプルトニウムを増やす増殖炉。実用される高速増殖炉を作るための様々なデータの取得等を目的に最初に建設された実験炉だ。1964(61?)年に稼働している。
画像右手前が放熱部、ドームに入っている炉から奥側、排気塔が見えている地域に再処理と核燃料を再製造するプラントがあり一体化している。それが特徴、売りの設計である。

 日本でいえば茨城県の大洗町にある「常陽」に相当する。常陽は1977年に運転を開始している。熱出力は常陽が140MWでEBR-2は62.5MWだから約半分になる。常陽で得たデータは、次の段階の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(1983年着工)に生かされたとされる。
 実験炉EBR-IIの次の段階の炉は、高速増殖炉原型炉CRBR(クリンチリバー増殖炉)といい1972年に建設計画がスタートした。しかし、1977年に政策変更(核不拡散)でCRBR(クリンチリバー増殖炉)計画は中断した。基礎的研究は継続となり、EBR-2は存続。
 そのTMI事故(1979年3月)チェルノブイリ事故(1986年4月)を体験した世論の動向や軍縮で核弾頭のプルトニウムが余剰になり増殖の必要性、大義名分が失われた。核のゴミの中のTRUとプルトニウムを消滅することに政策目標が変った。大容量高速増殖炉の建設は見合わせ、より小型で安全なTRU消滅炉から始めようという方策に切り変わり、1994年にEBR-Ⅱの閉鎖が決定された。

常陽も「もんじゅ」も、遅かれ早かれ廃炉になる。先を行くBER-Ⅱは、どんな道を辿ったのだろうか。
アルゴンヌ国立研究所 http://www.dd.anl.gov/projects/ebrII.html の情報、
大洗の工学センターの http://jolissrch-inter.tokai-sc.jaea.go.jp/pdfdata/JNC-TN9420-2005-001.pdの情報、
Wnnの記事、
http://www.world-nuclear-news.org/WR-USAs-Experimental-Breeder-Reactor-II-now-permanently-entombed-01071501.html
ATOMICAの情報
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=05-02-01-10
からは、

フェーズⅠ  1994年10月から1996年12月
炉心から使用済燃料の除去と使用済燃料の中間貯蔵施設への移送

機器からナトリウム冷却材を除き洗浄し、乾燥。
乾燥した機器の解体と拡散を予防する包装を施すホットセル施設への転送。

フェーズⅡ 2001年3月まで
ナトリウム冷却材・653トンをより反応性が少ない水酸化ナトリウム・1450トンに変換。(その施設はSPF Sodium Process Facility、画像の左手)
ドラム缶に固化して放射性廃棄物管理施設RWMCに埋設。

フェーズⅢ
プラントの配管などに残留していた放射性ナトリウムを放射性の炭酸ナトリウムに変換。ナトリウム、腐食生成物、核分裂生成物、不純物からなる放射性のものが含まれている。この炭酸ナトリウム転換に2010年頃まで

その後は、原子炉を取り出すのは放射能が強すぎ作業員に危険なために止めて、原子炉容器にコンクリート詰め込む作業が2013年頃まで。そして原子炉建屋にコンクリートを注入する作業に取り掛かる。それが2015年の7月までかかって完了。今後は、残った空隙への注入作業。
最終的には、建屋のドームは除かれて、原子炉を厚さ数フィートのコンクリートで固めたキャップ、石棺ができる。

安全貯蔵 SAFSTOR
 その中に放射性のナトリウム、腐食生成物、核分裂生成物、不純物が残っている。その放射能が崩壊で減衰する間、50年位そのままにしておく、「安全貯蔵 SAFSTOR」。2170年頃になったら、コンクリート石棺はボロボロだろう。それを壊して原子炉を取り出して処分するのか、チェルノブイリのようにそれごと覆う石棺を作るのかは不明。2170年頃になったら、コンクリート石棺はボロボロだろう。それを壊して原子炉を取り出して処分し更地にするか、除染を行うかして、「無拘束解放」。どちらかを行い「無拘束解放」するように規制されている。

チェルノブイリのように、コンクリートキャップごと覆う石棺を新たに作る破目になるのでは?

スーパーフェニックス・ドリル09.gif 「もんじゅ」のお師匠にあたるフランスのスーパーフェニックスは、1998年に廃炉になった。しかし今だに炉心燃料の取出しと冷却材ナトリウムの抜き取りのフェーズⅠ。一次系から3,300トン、二次系とその他のループから2,200トンを2002年までに取り出したけれど、一次容器内に残留している37トンのナトリウムの2003年から除去・回収作業中で、遠隔操作可能な穴あけ用ドリル・マシンを炉心上部に設置し、作業が行われるそうな。
回収が終わればフェーズⅡの水酸化ナトリウムを始める計画。
それから原子炉本体は、40~50年間安全貯蔵SAFSTORし、その後に解体する方針だった。当初は、その方針だった。シラク大統領の2001年に方針転換。2012年までにフェーズⅡのナトリウム転換を終え、2015年から遠隔操作で原子炉解体に着手し2021年完了とした。ただ寡聞にして着手したとは2015年7月現在、聞いていない。
参照・・http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=05-02-03-04

「仏放射性廃棄物管理機関ANDRAの試算。現在の仏国内の全原発が寿命で廃炉となると、放射性廃棄物の量が2013年末の146万㎥から3倍の430万㎥に、高レベルは3200㎥から1万㎥に。Bure地方の地層処分施設計画はまだ正式申請すら先。
http://www.reuters.com/article/2015/07/01/us-france-nuclear-waste-idUSKCN0PB4TM20150701」(Tomohiro Matsuoka さんのツイート)

「もんじゅ」の廃炉先延ばし、延命
日本は「常陽」と「もんじゅ」をどうするつもりかも決めていない。安全なTRU消滅炉開発に目的を変えて、延命を図っている。その延命に成功して遅くなっても、廃炉は行わざるを得ない。


タグ:高速炉 廃炉
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