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核災害時に長岡、柏崎、刈羽は陸の孤島?(上)田中・原子力規制委・委員長7/17④ [被曝管理]

7月20日の朝日新聞の「プロメテウスの罠」に3.11東電核災害での作業員の方々の扱い「まるで作業員狩り」を伝えていました。
引用=2011年3月11日、大熊町。大震災の直後だった。・・ 原発ができて40年、大きな事故は起きなかった。町民の多くは、地震でも原発は大丈夫だと思っていた。生活も原発で成り立っていた。

 コンビニ前で、避難する作業員の大群に遭遇した塾教師の木幡ますみもいやな予感がした。原発の中で働いている人があんなに慌ててるんだから、大変なことになるかもしれない」その後、原発は相次いで爆発を起こす。

 3月14日、ますみは家族と共に、30キロ離れた田村市の総合体育館に避難した。2千人くらいがひしめいていた。ほとんどが大熊町民だった。原発作業員も多かった。
 体育館での避難生活にいらだつ人が多かった。赤ちゃんの泣き声に、誰かが「黙らせろ!」と怒鳴る。近くにいた年配の女性が、戦争中とおんなじだ、とつぶやいた。「あん時も防空壕(ぼうくうごう)で怒鳴る人がいた。泣く赤子の口を塞いだんだあ」

 体育館に避難して間もなく、作業服を着た中年男の3人連れがやってきた。作業服の色は濃いベージュ。そのうちの1人が、体育館の1階にいたますみに尋ねた。「○○という男はいますか」知らない名前だった。「体育館の入り口に掲示板があります。そこに貼ったらどうですか」と答えた。
 男たちはますみを無視し、体育館の2階にずんずん上っていった。不審に思ったますみは、後をついていった。2階では原発から逃げてきた若い作業員たちが隠れるようにして毛布をかぶっていた。その毛布を男たちが一人ひとりめくっていく。ますみは思わず「荒いことすんなよう!」と声をあげた。しかし彼らはやめない。

 逃げ出した作業員を見つけると、男たちは現場に戻るよう説得した。男たちが去った後、作業員の妻が「行っちゃだめだ」と夫に泣きながら訴えていた。
 「まるで作業員狩りだな」。周りからそんな声がもれた。 (渡辺周) =引用

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放射性物質の害を、一般の人よりも詳しく知っていて、一度は避難したのに、「収束作業」に引き戻されてしまった人たち。作業員でもある地元住民には、被曝を避けるための避難さえも困難になるのです。こうして集められた約1万6千人の作業員のおかげで、事故はこの程度で済んでいる事も、悲しいけれど事実です。

「福島第一作業員、甲状腺被曝、公表の10倍、甲状腺被ばく 100mSvミリシーベルト超 2000人迫る」

東京電力によれば、東電核災害での福島第一原発での作業にあたり、放射性ヨウ素を体内に取り込んだと見られる人は協力企業社員1万6302人、東電社員3290人の計1万9592人。東電は甲状腺の実測値のある522人から、甲状腺被曝線量を2012年12月初めて公表しました。

放射性ヨウ素による甲状腺内部被爆では、従来は40歳以上はガンが増えにくいとされていましたが、チェルノブイリ原発事故の経験などから、40歳以上でもリスクが増える、甲状腺に100mSv以上の被曝をするとガンのリスクが高まると考えられています。その100mSv超えは178人、最高は1万1800mSvと公表し、世界保健機関(WHO)に報告しました。

今年に入り、このデータの提供を受けた国連科学委員会が作業員の甲状腺被曝線量の信頼性を疑問視していることが伝わりました。それで、見直し。実測値の再評価や体内に入った放射性ヨウ素の量がはっきりしない場合はセシウムの摂取量をもとに、作業日の大気中のヨウ素とセシウムの比率などから推計。この結果、100mSv超えは1973人、中には、線量見直しで甲状腺被曝が1千mSv=1Sv以上増えた人もいました。

東電広報部は「甲状腺被曝線量が100mSvを超えていた作業員全員に対し、東電の負担で生涯、年1回の甲状腺の超音波検査を行う。検査対象者にはすでに通知した」。今のところ、半数ほどしか受診していないそうです。法律的には、全身の被曝線量での被曝管理しか求めていないためです。

放射性ヨウ素による内部被曝を抑制するための安定ヨウ素剤は、発電所には常備されています。3.11核災害での緊急作業時には服用されなかったのでしょうか?服用した上でこの被爆量でしょうか?

せっかく避難したのに、避難所の体育館で無理やりに捜索されて「発見」され、妻の懇願もむなしく、作業に入っていく。「徴用」され現場に引き戻された作業員は、このように扱われるのです。
柏崎刈羽原発なら、刈羽村、柏崎市などで同じことが起きるのでしょうか。

曖昧なまま

今でも、「過酷事故・核災害時に誰が発電所内で被曝しながら収束作業をするのか、作業に当る人をどのように守るのか」「誰がサイト・発電所外で被爆しながら防災、救援活動に当るのか。そのように守るのか」という点は明文化されていません。

被曝する労働に従事する人は、法的には放射線業務従事者(ほうしゃせんぎょうむじゅうじしゃ、radiation worker)です。定められた放射線、放射能の知識講習と安全取扱いや防護の実技訓練を受け、放射線管理手帳が発行される。この手帳で、被爆量を管理します。原子炉の冷却や放射性物質放出抑制設備の機能維持のための作業の緊急災害復旧作業は、累計で100mSvです。定期的な健康診断をうけます。

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 この作業に当る人の被曝線量の管理や放射線量の測定や防護の指導を行い、作業および作業員の安全管理を職務とする者を放射線管理員といいます。略して放管、放管員ともいいます。これは、電力会社やメーカーなど各事業者がそれぞれ養成している職種です。法的には、こうした放射線安全管理の統括を行い、法令上の責務を担う者に放射線取扱主任者(ほうしゃせんとりあつかいしゅにんしゃ)の国家資格を所持者を要求しています。核災害では放射能が密閉されていないので第1種の資格が必要です。そして、3~5年ごとに定期講習を受けなければなりません。

メルトダウンなど核災害時には、サイト・発電所内では放射線業務従事者以外の人でも緊急作業に従事できる法的仕組みになっています。
サイト外で被爆しながら防災、救援活動に当る人、医師や看護師、要介護者の介護に当る人、水や食料などの救援物資を運ぶ人、避難所の運営にあたる公務員、道路復旧に従事する人、警察官、消防士、救急車の隊員、自衛隊員などは、法的には不明確です。
こうした人たちにも業務従事者並みの放射線、放射能、防護の知識習得と防護訓練が望ましい。
こうした人々に防護の指導を行い、被爆量を累計で100mSv以下にするなど安全管理を行う人、部署が必要です。
被曝で健康被害が生じたら補償、賠償の仕組みも必要です。それがないと上手く運びません。

東電核災害では消防車が活躍しました。発電所内の消防車は下請会社が運転に当る体制でした。下請の方は業務従事者ではありません。放射能や被曝防護の知識も訓練も受けていません。被災事故炉まで消防車の運転を東電から依頼されましたが、当然、最初は拒絶しました。誰だってそうです。

救援物資の輸送もそうでした。道路が原発近傍を通るので被曝をさけて運送会社の運転手が断った。怪我と病気は自分持ちなら、幾ら助けたい気持ちがあっても、家族のことを考えれば、誰もがそうします。

陸の孤島

南相馬市の市長が、訴えていました。2011年3月14日の3号機爆発後、災害支援の自衛隊は「100キロ圏まで避難します」と言って、市役所から去った。16日にNHKの早朝番組で、「南相馬は兵糧攻めにあっています。ガソリンも、食べ物も、医薬品も、援助物資も入ってきません。陸の孤島になりました。全国の皆さんのご支援をいただきたい」と訴えました。

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放送から10分後、「新潟も中越地震で被災したから、よくわかる。南相馬の被災者をいくらでも受け入れる。どんどん送ってもらっていい」と泉田・新潟県知事は電話しました。

こうした経験から泉田知事は、田中委員長・規制庁に次のように要望しています。「屋内退避等が必要な状況において、民間事業者(道路復旧業務従事者、看護師等)、防災関係機関(自衛隊員等)、自治体職員等は、どのように災害対応を行うべきか、労働法制等の見直しを含めて速やかに考え方を定めてください。
併せて、指揮、責任、賠償等に係る法制度を整備してください。」

この件が7/17の記者会見で取り上げられました。

答え 「それを私(田中)に全部押しつけられても困るのですけれども。」  続く


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