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ソ連核開発全史 (ちくま新書 1694) – ノート➁ [日々の雑感]

ソ連核開発全史 (ちくま新書 1694) ノート➁


第五章 原子力発電の夢 ―経済停滞とエネルギー危機のなかで  
1 黒鉛チャンネル炉  
 ベロヤルスク原発一号炉 /ジェジェルン博士の警告 / «РБМ Қ - 1000型 ・るぶむく-ティースィチャ/その普及
「チャンネル型大出力炉」イニシャルРБМ Қ エルベーエムカー
その出力の大きさ、コストの相対的安さだけでなく、
格納容器が不要で、燃料交換がしやすく、作業チャンネルが蒸気発生にも蒸気過熱にも使えて必要な熱量を得やすく容積に占める水の割合が小さいので核分裂反応に水が及ぼす影響が低く抑えられ、黒鉛の土台の大型化とチャンネルの増設によって容易にスケールアップが可能が利点。
黒鉛チャンネル炉は、核分裂反応が進んだ核燃料を内包する作業チャンネルを随時に、炉自身は継続使用し随時交換。
ソ連の原子力発電に占める黒鉛チャンネル炉は66%
ソ連の原子炉専門家の間では「黒鉛チャンネル炉は出来が悪いもの」
汽水混合体を冷却に利用するこのРБМ Қ炉では、何らかの理由で蒸気量が増えると水への中性子の吸収が減り、核分裂反応が促進されるという「正のボイド反応度係数」である。このため暴走の危険性が指摘された。
暴走・・チェルノブイリ原発
図5-3.jpg
ATOMICA より
黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉(RBMK 英語呼称はLWGR))
は、原子炉冷却材には軽水を、中性子減速材には黒鉛を、燃料には低濃縮ウランの二酸化ウランを採用している発電用原子炉である。燃料集合体を圧力管(燃料チャンネル)の中に置き、この圧力管中に軽水を流して燃料から熱を採るしくみである。圧力管中で沸騰した軽水は気水分離器(蒸気ドラム)に送られ、蒸気として分離されタービン発電機に送られ発電を行う。
03エルベーエムカー.jpg

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ソ連核開発全史 (ちくま新書 1694) – ノート➀ [日々の雑感]

ソ連核開発全史 (ちくま新書 1694) ノート➀


はじめに
チェルノブイリ原子力発電所、ー九八六年四月二六日午前一時二三分
 /ヴァレリー・レガーソフ「わたしの責務はそのことについて語ること」 
チェルノブイリ原発の黒鉛チャンネル炉は燃料、黒鉛、などを大量に消費など経済性が低く、緊急時に制御棒を操作できるのは作業員だけ
/ロシアのウクライナ侵攻と原子カ発電所 
/人類史の中の核開発
第一章 核兵器開発の発端 ―冷戦の勃発 
1 第二次世界大戦と原子爆弾
 放射性物質の研究史から
РДС - 1・るどぅい - アジン/エルディエス ・・・1949年8月29日 爆破実験
1939年2月10日、ウラン原子核の人工原子核分裂の発見の公表
/各国における計画の始動 米・英・独・フランス・日本・ソ連
2 ソ連〝ウラン問題プロジェクト〞の始動
 科学者たちの構想
ヴラジーミル・ヴェルナツキー(地球化学) 1939年6月17日付け書簡で、ウランの核分裂とそのエネルギー利用にふれる
/対外諜報活動から
レオニード・クヴァスニコフ  https://en.wikipedia.org/wiki/Leonid_Kvasnikov
コンパート メンタリゼーション 研究の細分、分業化
 [compartmentalization]自閉的な共同体の内部で学問の研究が推進されていく状況.列車の客室をいう compartment からの造語.  
スターリノフ・ノート
/科学アカデミー〃第二研究所〃
1943年2月15日 44年4月25日現在在籍 74人
3 ヒロシマ、ナガサキの衝撃 ―計画の格上げ
 計画の仕切り直し
1945年8月のヒロシマ、ナガサキの衝撃で、第二次大戦後に予想されたソ米対立に備え、計画を国家計画に格上げし、資金、資源、人材をつぎ込む
/最初の実験炉Ф― 1・ふ-アジン /エフ 炉
1945年5月の独逸ドイツから戦利品
100トンの粗精錬ソセイレンのウラン発見・・最初の実験炉Ф― 1・ふ-アジン /エフを組み上げる
天然のウランの99.284%がウラン238である。(中性子は146個、陽子は92個。)中性子が照射されると、約1%が中性子を吸収し、ウラン239となる。ウラン239は不安定で、半減期23.45分で中性子がβ線を出し陽子に代わるβ-崩壊しネプツニウム239(中性子145、陽子93)になり、さらにβ-崩壊(半減期2.355日)し、プルトニウム239(中性子144、陽子94)となる。プルトニウム239は核分裂特性が高い。
Ф― 1・ふ-アジン /エフは、1946年12月25日に臨界、プルトニウムがミリグラム単位で入手でき、プルトニウムの分裂特性など研究。
IMG_20221202_.jpg


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ソ連核開発全史 (ちくま新書 1694) – 2022/11/10 [日々の雑感]

51onwFUw1jL.jpgソ連核開発全史 (ちくま新書 1694) 新書 – 2022/11/10

市川 浩 (著)
240頁
「原発大国ウクライナ」の背景を知る。
現代ロシアの基礎をなすその計画の全貌に迫る、はじめての通史。
史上最大の水爆実験、史上初の原子力発電所稼働、東側同盟国への技術提供、最悪のチェルノブイリ原発事故、原子力ビジネス……。第二次世界大戦後、大規模な軍拡競争を伴う東西冷戦下のソ連において推進された原子力政策は、人類史をどう変えたのか。危険や困惑を深めながらも試行錯誤を重ね、科学者・技術者を総動員して推し進められた知られざる数々のプロジェクトを丁寧に追う。貴重な図版も多数収録。


市川 浩(イチカワ ヒロシ):1957年京都市生まれ。専門は科学技術史。現在、広島大学総合科学部教授。博士(商学)。大阪外国語大学ロシア語学科卒業、大阪市立大学大学院経営学研究科後期博士課程修了。著書『冷戦と科学技術――旧ソ連邦 1945~1955年』(ミネルヴァ書房)、『核時代の科学と社会――初期原爆開発をめぐるヒストリオグラフィー』(丸善出版)、Soviet Science and Engineering in the Shadow of the Cold War(Routledge, 2019)、編著『科学の参謀本部――ロシア/ソ連邦科学アカデミーに関する国際共同研究』(北海道大学出版会)など
【目次】
はじめに
チェルノブイリ原子力発電所、ー九八六年四月二六日午前一時二三分 /ヴァレリー・レガーソフ「わたしの責務はそのことについて語ること」 /ロシアのウクライナ侵攻と原子カ発電所 /人類史の中の核開発
第一章 核兵器開発の発端 ―冷戦の勃発 
1 第二次世界大戦と原子爆弾
 放射性物質の研究史から/各国における計画の始動 
2 ソ連〝ウラン問題プロジェクト〞の始動
 科学者たちの構想/対外諜報活動から /科学アカデミー〃第二研究所〃
3 ヒロシマ、ナガサキの衝撃 ―計画の格上げ
 計画の仕切り直し /最初の実験炉Ф― 1・ふ-アジン 炉
4 原爆開発の諸過程  
  A・ア炉の挫折 /第八一七コンビナート (チェリャビンスク— 40 )/第ー ー設計ビューロ—   (アルザマス— 16 )/ー九四九年八月 二九日 ―РДС - 1・るどぅい - アジン 実験
5 РДС-1からРДС-6へ
  РДС-2・るどぅい - ドゥヴァ からРДС-6 ・るどぅい -シャスチ ――ソ連初の水素爆弾  /波紋
第二章 核兵器体系の構築 ―ウラン資源開発・ミサイル・原子力潜水艦 
1 科学者・技術者の動員
 「冷戦気候」 /集権的多元主義モデル―Iソヴィエト社会の理解 /〃愛国的、唯物論的物理学者〃 /コスモポリタニズム・対外拝跪主義 
2 核兵器製造施設群の壮大な展開 
 〃特別閉鎖都市〃 /ウラン資源開発 /東欧〃同盟〃諸国からのウラン提供
 
3 核爆弾・核弾頭から核兵器体系へ
 ミサイル /ウスチーノフと装備人民委員部 (省 ) /原子力潜水艦の開発 ―A M・アム 装置の蹟き / Қ — 3・カー — トゥリー ―ソ連初の原子力潜水艦 /液体金属冷却炉搭載の原子力潜水艦開発 /核戦略の展開
第三章 放射能の影 ―米ソ〝サイエンス・ウォー〞の帰結 
1 ソ連における放射線影響研究
 西脇安の訪ソ、ノライル・シサキャンの訪日 /チェリヤビンスク— 40における放射線被曝と〃ウラルの核惨事〃 /ソ連国内の放射線影響研究 /放射線生物学=物理化学生物学研究所
  
2 放射線影響研究をめぐる対英米〝サイエンス・ウォー〞とその挫折 
 ソヴィエト科学者による英米流放射線影響評価への批判とその蹟き /「電離放射線の生体への一次的影響、および初期影響に関する国際シンポジウム」 /乗り越えられなかった壁 /放射線影響〃楽観論〃の横行 /アンドレイ・サハロフ
第四章 ソ連版〝平和のための原子〞
1 原子力平和利用キャンペーン
 ヴィシンスキー演説 /アイゼンハワー「アトムズ・フォ—・ピース」演説に先んじて /核兵器と放射線の恐怖
2 オブニンスク原子力発電所  
 A M・アム装置―〃陸に上がった〃潜水艦用原子炉 /押し寄せる見学者たち
3 国連第一回原子力平和利用国際会議
 〃前哨戦〃―ソ連邦科学アカデミー「原子力平和利用会議」 /ジュネーヴにて― 〃ソヴィエト・サイエンティスツ・ミ—卜•アメリカン・サイエンス〃 /「アメリカは原子カ発電に関心がない」 !? /ソヴィエト科学者の〃反省会〃
第五章 原子力発電の夢 ―経済停滞とエネルギー危機のなかで  
1 黒鉛チャンネル炉  
 ベロヤルスク原発一号炉 /ジェジェルン博士の警告 / «РБМ Қ - 1000型 ・るぶむく-ティースィチャ/その普及
2 発電所用軽水炉開発  
 ノヴォ・ヴォロネジ原発一号炉 /沸騰水型軽水炉開発の蹉跌 / «ББЭ P  —  1000 »型・ブブエル-ティースィチャ
3 高速中性子炉の開発  
 〃核エネルギー開発の総路線〃 /シェフチェンコ原発の Б H-  350・ブヌ — 炉 /現役の高速中性子炉-―  БH -600・ブヌ —シッソートゥ 炉 と БH -800・ブヌ —ヴァスィムソート 炉
4 核融合炉へのトライアル 
 核融合を〃制御する〃 /核融合研究開発の国際化
5 ソ連経済の停滞と原発  
 労働力不足とインフラストラクチャー建設の停滞 /深刻なエネルギー事情 /〃産業目的地下核爆発〃 /アストラハン・ガス田の地下ガス貯蔵庫 /東部の石炭資源開発とその失敗 /原子力発電への期待と 不安
第六章 東側の原子力 ―〝同盟〞諸国とエネルギー政策 
1 合同原子核研究所
 〃国際協力〃の機運と合同原子核研究所 /巨大粒子加速器 /〃国際共同研究〃の成果
2 中国への原子力科学技術支援と中ソ対立
 新中国指導部の核武装への渇望 /マルイシェフ•クルチャ—トフ書簡——第一の書簡 /マルィシェフ・クルチャートフ・ヴァンニコフ書簡——第二の書簡 /対中国核兵器技術供与の実際 /中ソ対立と対中国核兵器技術供与の評価
 
3 対東欧〝同盟〞諸国への原子力発電技術提供 
 対東欧エネルギー支援の負担 /対東欧〃同盟〃諸国への原子カ発電技術提供の枠組み /ギドロプレス—— 唯一の軽水炉メーカ— /東欧諸国における原子力発電所建設 /東欧原子カ発電の〃異端 〃
4 燃料サイクル
 重層的な核燃料サイクル /ウラン資源 /ウラン濃縮 /核燃料 /使用済み核燃料の処理 /放射性廃棄物の貯蔵
5〝プロレタリア国際主義〞  
第七章 ビジネス化する原子力 ―ソ連解体後
1 ソ連核開発四十数年の帰結 
 ソヴィエト市民の原発への疑問•不信 /核兵器製造施設からの放射性廃棄物 /原子炉などからの放射性廃棄物 /記録・回想のあいつぐ出版 !!過去のものとなりつつあった核開発
2 〝ニュークリアー・ルネッサンス〞
  "原子力エリート〃の反撃 /核燃料輸出 /国際ビジネスへ /「ロスアトム」の現在
おわりに
〃原発大国〃ウクライナ /冷戦とソ連の核開発 /ソ連の経済停滞、エネルギー危機と原子力平和利用 /〃原子力共産主義〃 ? 
 
あとがき
参考文献
図版出版一覧
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本>戦・第二次・>原爆空襲



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原爆投下後の広島、長崎を見た駐日ソ連大使の報告書が出版ー [日々の雑感]

原爆投下後の広島、長崎を見た駐日ソ連大使の報告書が出版
原爆投下の一月後、現地の様子を視察した駐日ソ連大使の報告書が、日本国民にとって大きな悲劇が起きたこの8月5日に合わせる形で、ロシア外交政策古文書館がモスクワ国際関係大学の円卓会議で初めて一般に公表した。
歴史研究家らは、大使の報告書は「あまりに価値の高い資料。今まで見たこともない力と分からない種類の兵器に遭遇し、生き残った一般市民の状態を鮮烈に描いている」と高く評価している。
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ロシア議会下院のナルィシキン議長は、「第2次世界大戦時、日本は中国他アジア諸国に対し、少なからぬ戦争犯罪を犯した。だが国際社会は相応に、そして一番大事なことに、文明的に日本の攻撃性に答えた。東京裁判とハバロフスク裁判の判決がそれだ。このため米国側から日本の一般市民をこうした攻撃にさらすことは許されることではなかった。なぜなら『広島と長崎の市民はこうした犯罪に何の関わりももっていなかった』からだ。」と語っている。
議長は、1945年の原爆を味わった日本の記憶はナチスの極悪の記憶に劣らず重要であり、それを罰せずともよいという幻想はあまりにも重い結果をもたらしかねないとして、米国の行為を問いただす国際軍事法廷の創設の必要性を取り上げ、米国の行為は当時、人道性にも軍事的な必要性にも条件付けられるものではなかったと指摘した。


タグ:原爆
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原爆投下報告書、原爆投下の経緯ー米軍資料 [日々の雑感]

20210710163027894148_550e40aa42def6e9d2a8d70f67445aa7.jpg原爆投下報告書
米軍資料―パンプキンと広島・長崎

奥住 喜重 /工藤 洋三/桂 哲男【訳】
出版年 1993.9
大きさ 23cm、ページ数 258p 図版20p
新潟市立図書館収蔵本 新津館 A/391/ゲ/

内容紹介
日本に原子爆弾を投下することを目的として特設された、第509混成群団の、日本全土に加えた全ての攻撃を報告した文書、「特殊作戦任務報告書」を紹介。10000ポンド(4.5トン)軽筒爆弾・パンプキンによる実戦訓練と2発の原子爆弾投下について、その計画から実行に至る全過程を記録した直接資料の全訳。
原爆投下の経緯
米軍資料―ウェンドーヴァーから広島・長崎まで
奥住 喜重 /訳 工藤 洋三 /訳  
出版者 東方出版
出版年 1996.9
大きさ 23cm・ページ数 320p・ 図版16p
新潟市立図書館収蔵本 新津館 A/391/ゲ/
内容紹介
原爆投下当時の9種の新資料と21年後の談話記録を本邦初訳。1993年刊行の「米軍資料 原爆投下報告書 パンプキンと広島・長崎」の続篇にあたり、資料篇と解説篇から成る。巻末にアルファベット順の事項索引を付す。「原爆投下報告書」(1993年刊)の続篇。

原爆投下報告書516EUepH90L.jpg目次
資料篇(MED‐TS、グローヴズ資料から
;第509混成群団司令部、出撃命令書
;第509混成群団司令部、最終報告
;電文集
;ファレル准将の覚え書き
;ラムゼイのA計画史
;第509混成群団、作戦計画の要約
;第509混成群団史から、5、6章
;その他の資料;空軍戦史部、1966年のティベッツの談話)
解説篇



タグ:原爆
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