将来世代の被曝被害は、放射能汚染地の人口的アリ地獄・墓場効果 加筆5/14 [被曝管理・将来世代]
東電核災害の後、その損害の性質特徴を加藤尚武氏(カトウヒサタケ、環境倫理、生命倫理など哲学者、原子力委員会専門委員を歴任)は、2011年10月刊行の「災害論 安全性工学への疑問」で次のように記している。
=どうしてそのような過失責任制と無過失責任制という区別が必要なのか。過失責任制は、行為が反復されることを想定している。たとえば、自動車のスピード違反はあとを絶たないので、サンクション(罰金、刑罰)となる罰金額を増やすことで、スピード違反の件数を減らすようにする。近代の法体系では、違法行為に対してサンクションを科すことで、違法行為の発生件数を一定の確率以下にしようとする。違法行為を根絶しようとすれば、個人に対する干渉(自由の侵害)を避けられなくなるが、警察官の数を限りなく増やすことはできないなどの理由で、犯罪を一定限度以下に保つという原則が維持されている。
自動車事故による交通事故の場合は、「異常な危険」ではなく、通常の過失責任として扱われてきた。それは、個々の災害の規模がタンカーや原子炉の事故に比べて小さく、個人にとっては立ち直りが不可能になるような不幸な事故が起こっても、社会全体としては、事故予防のためのきめ細かい努力を積み重ねることによって、立ち直りが可能な限度内に抑えられてきたからである。
大型タンカーの事故、油田の事故、原子力発電所の事故は、偶発的に発生する多数の事例をサンクション等によって一定の水準以下に抑えていくという政策では対処できない。
一回の事故の実質的な被害(人命、個人の財産、自然環境の被害)がたとえ法的に賠償を受けたとしても、永続的な影響が残り、人間社会はそういう事故の反復に耐えられない。ランダムに発生する多数の犯罪や事故に対し、サンクションによってその被害を一定以下に保つという確率論的安全確保政策の有効範囲をこれらの大事故は超えているからである。=p.102~103
=「異常な危険」(abnormal danger)には無過失責任を適用するという法律論は、過度の損失はそれを反復すると人間の生活が成り立たなくなるので、「事実上リスク・ゼロ」にしなさいという含意である。原子力発電所の事故は、当然、無過失責任の適用を受ける。=
参照・・想定外はなぜ起きた 原発事故を哲学で斬る フジテレビ2012年1月13日http://www.bsfuji.tv/primenews/text/txt120113.html
このように加藤氏は損害を二つに大きく分ける。一つは 「個人にとっては立ち直りが不可能になるような不幸な事故が起こっても、社会全体としては、事故予防のためのきめ細かい努力を積み重ねることによって、立ち直りが可能な限度内に抑えられ」る損害、社会全体では受容できる損害。もう一つは「一回の事故の実質的な被害(人命、個人の財産、自然環境の被害)がたとえ法的に賠償を受けたとしても、永続的な影響が残り、人間社会はそういう事故の反復に耐えられない」、社会全体でも受容できない損害、異常な危険(abnormal danger)である。
この二つの発生確率・頻度では、受容できる損害は「行為が反復される」が「事故予防のためのきめ細かい努力を積み重ね」ることで社会全体で受容できる損害になる。左図の第一領域から第3領域へ移行できる損害です。
被害の程度の大きい第2領域と第4領域。人為行為、原発運転や大型タンカー運行、油田操業などは事故発生頻度と被害程度小さくする、「事実上リスク・ゼロ」にしなさいとする無過失責任を適用するという法的な規制で社会的には管理すると加藤氏は説いている。
今回の東北地方太平洋沖地震でこの地域は地震津波で人命、個人の財産、自然環境に大きな被害を受けた。この東日本大震災などの天災が第2領域にある地域では社会が永続的に存在できない。
この地域では歴史的に869年(貞観11年)の貞観地震、1611年(慶長16年)の慶長三陸地震、1896年(明治29年)の明治三陸地震などで、壊滅的被害を受けている。しかし、加藤氏がいう永続的影響が社会に残ったであろうか。その後に、被害を受けた地域社会は復旧復興しています。
慶長三陸地震後に仙台藩(伊達政宗)は、津波が及んだ地域を外して街道や宿場を整備しています。いまでいう減災を行っています。
岩手県釜石市唐丹(とうに)町本郷は、明治三陸津波(1896)当時は166戸人口873人の漁村でしたが「出漁者數十名を除く外僅かに4人生き殘れりと云ふ。」この104人たちの一部は、高台に移り住んだのです。津波の襲来後、3、4年にわたりイカの大漁が続き、生き残った人、他所から転入した人は、不便な高台ではなくて元屋敷に居を構え地域社会を再建。1913年には戸数75戸、人口378人になっています。この年に近隣の牧場で行っていた野焼きの火が延焼。唐丹村は集落の9割を焼失、本郷でも70戸の家屋が焼失した。焼死者はなし。1933年に明治三陸津波で全滅した地に102戸、613人の集落になっています。戸当たりの6人を超えています。この1933年に昭和8年の三陸大津波があります。それで明治三陸津波と同じく家屋は1戸を残して全滅、人は126人亡くなられましたが80%は無事でした。この約500人は高台、明治の時に移転したところに国や岩手県の援助で全戸移転します。その後1969、1980年に防波堤が築かれ、海岸部に転入者、分家の人たちが約50戸を建てます。今回の東日本大震災では、この海岸部50戸は津波にのみ込まれますが、住民たちは高台に避難し、犠牲者は漁船を沖に出そうとして津波に襲われた1人だけでした。
このように津波では、その地域社会が明治三陸津波のように壊滅的打撃を受けます。明治三陸津波では人も家財もやられますが、転入者や新たに子が生まれ育ち本郷の地域社会は復旧しています。昭和の三陸津波では、家財は明治と同じく全滅ですが、人は明治の経験で逃げて、生死の率が逆転しています。今回は、家財は海岸部は全滅、人は1人となって、減災されています。
このように津波では、その地域社会が明治三陸津波のように壊滅的打撃を受けます。明治三陸津波では人も家財もやられますが、転入者や新たに子が生まれ育ち本郷の地域社会は復旧しています。昭和の三陸津波では、家財は明治と同じく全滅ですが、人は明治の経験で逃げて、生死の率が逆転しています。今回は、家財は海岸部は全滅、人は1人となって、減災されています。
津波を受けて、明治のように壊滅打撃を受けても、転入ができる、新たに子が次世代を生み育てられる環境であれば回復します。居住地域に家屋を超える津波を受ける点は同じでも、減災はできてます。地震がおきたら避難するというソフト面での減災で昭和の津波では人的損害が大幅に減っています。今回は、昭和の津波を契機に取られた高台居住というハード面の減災対策も功を奏して、人的家財的損害が明治三陸津波に比べ大幅に減少しています。
釜石市にも東電核災害の放射能が降下しています。 釜石市WEB それによる被曝量は、避難など特別な減災措置をとる基準量に達していませんから、これまで通り暮らしています。仮に、降下量が多くて避難しなけばならい放射線量になったら、津波では無事な高台からも逃げ出さなくては。降下放射能の出す放射線で被曝する次世代での影響で人口の自然増加率がマイナスで、その本郷の地域社会の人口を減るならば、本郷の地域社会は先細りし、いずれ消滅。本郷の再建はあり得ません。増加率がゼロ付近なら停滞です。
参照・・チェルノブイリのいま – 死の森か、エデンの園か
ツバメと違い人はその地域では生存率や出生率が低く、子供が産めない、育てられないという情報を得れば転入しようとしないでしょう。”アリ地獄”とわかっていて、近寄る人はいない。子供がなかなか生まれない、生まれても生存率が低いという状況下で、自然増加率がマイナスなら何れ消滅する。ゼロ付近では停滞します。地域社会を人為的に消滅させることは、それによって現在の構成員やその子孫を”アリ地獄”から脱出させることです。
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