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T57D、T65D めも原爆被曝者手帳⑥ [原爆被爆者援護法]

その中性子に関連して被曝量の推定法、原爆被爆者の推定被曝線量の評価が替わっている。

1956年頃に米国政府の原爆傷害調査委員会(ABCC)は、1950年以降生存していた広島・長崎の原爆被爆者の健康調査に着手していた。そして被曝生存者の健康状態と放射線被曝との因果関係を調べて、放射線被曝のリスクモデルの基礎データにしようとしていた。しかしそのためには、被爆者一人一人がどの程度の放射線を「浴びた」かを推定しなければならない。被曝線量が明確にならない限り、被曝とその健康影響の関係は明らかにならない。
推定方式Ⓐに基づいて、ある人が、10ミリシーベルトを浴びて、10年後に白血病を発症してなくなったとしよう。しかし、推定方式Ⓑでの量は10分の1の1ミリシーベルトだったとしよう。そうすると白血病で死亡するリスクは、10ミリシーベルトではなく、1ミリシーベルトだった、ということになる。「広島・長崎」の原爆生存者の被曝線量体系は「電離放射線リスクモデモデルの土台中の土台」だ
「民間影響実験作戦」(Civil Effects Test Operation=CEX)の中で、ORNLオークリッジ国立研究所を中心に推定の根拠となるデータ収集のための実験が「ICHIBAN」プロジェクトとしておこなわれた。(1964年に出た最終報告書、。http://digital.library.unt.edu/ark:/67531/metadc13058/)
T57D、T65D
BREN_AEc.jpg先ず、ネバダ核実験場に日本家屋を建設し、大気内原爆(プルトニウム)実験により線量と遮蔽効果の測定を行い、暫定線量「T57D」を発表した。
 「ICHIBAN」は続き1960 年から地上 高さ1527フィート(約466m、エンパイアステートビルが1472フィート) の鉄塔上に裸の原子炉を設置し、出力1~10㎾で変動させて原爆が爆発した時によく似た中性子の状態を再現した実験、γ線放射性の同位体コバルトCo60約1200キュリー分を吊り下げる実験などを開始。中性子やγ線の測定を行った。 http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/035/BREN_AE.pdf
 一方日本では、残留放射能測定を行い、鉄材中に含まれる誘導放射能 60Co から中性子線量を、瓦などの熱ルミネッセンス(TLD)測定からγ線量の推定を行った。それらの結果を踏まえて 1965 年 ABCC、ORNL 、NIRS(放射線医学総合研究所)から暫定線量「T65D」が発表された。
「Tentative 65 Dose」(65年の暫定被曝)の頭文字で、ガンマ線と中性子線からの個々の被爆者の被曝線量を決める線量推定体系だ。その原爆の想定出力は広島で12±1kt、米軍が広島の原爆投下直前に測定器を搭載したパラシュートを投下し、それから得た圧力情報からの爆弾出力の推定値 16.5kt から約30%小さい。
大気内核実験、米国に拡がる放射能汚染
1950年代ネバダ砂漠で大規模な大気内核実験が続いていた。1962年までに123回、総出力1028.43kt。その放射性降下物が風に乗って1960年代には東海岸に達した。また60年代初めには原発の操業ラッシュが続き、事故ではない通常運転でも大量の放射性物質が放出された。そこからの放射性物質で各地が汚染され、1960年代、アメリカは大変な放射能汚染にさらされていた。特に乳児や幼児がその被害・被曝者だった。それとともに既存の放射線リスクモデルに対する疑念、批判が全米で高まった。
それでアメリカ原子力委員会(AEC)は、いわゆる許容線量以下の低線量被曝では健康障害は発生しないことを科学的に証明する社会的必要が生じた。

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Matelashy

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